石川県の羽咋市には、地方の博物館とは思えないほど充実した展示物を誇る宇宙科学博物館があります。ここにある収蔵品の多くは実は米ソが実際に使った本物。入手には苦労したようですが、その甲斐あって世界的な知名度を獲得しています。

展示物はなんと米ロ二大国から直接入手!

 能登半島の付け根辺りに位置する石川県羽咋市。人口約2万人の比較的小さな街ですが、宇宙に興味のある人々の間で有名な博物館があります。その名前は海の向こう、ロシアやアメリカの宇宙開発に携わる関係者にまで知れ渡っているほど。それが「宇宙科学博物館コスモアイル羽咋」です(以下、コスモアイル羽咋)。

 コスモアイル羽咋は、JR七尾線の羽咋駅から徒歩20分ほど歩いたところにあります。周辺は建物よりも田畑などの緑の方が多くて牧歌的な風情がありますが、その中でコスモアイル羽咋は独特な雰囲気を醸し出していました。

 その理由のひとつは敷地内に立つ全長26.6mの細長い円柱形の構造物。全体は白と黒で塗られ、先端には黒い円錐系のカプセル、根元には翼のようなモノが付いており、側面には英語で「ユナイテット・ステーツ(合衆国)」と書かれています。じつはこれ、NASA(アメリカ航空宇宙局)が1960年代に行った有人宇宙飛行プロジェクト「マーキュリー計画」で、人工衛星や宇宙飛行士をアメリカ本土から打ち上げるのに使われた「レッドストーン」ロケットなのです。


宇宙人サンダーくん。羽咋市の非公式ご当地キャラで、常駐ではないが博物館の公式サイトに「出没」情報が告知されている(布留川 司撮影)。

 アメリカから遠く離れた日本の地方都市に展示されているため、レプリカと思いきや、実際に打ち上げで使われた本物(一部分が同じ素材を使った複製品)で、NASAから購入したものだそう。

「宇宙科学博物館」という名称からすればロケットがあるのは当たり前とも言えますが、それでもNASAが開発した実物があるのは驚きでしょう。

 実はコスモアイル羽咋の展示物には、NASAやソ連邦時代にロシアで作られた本物が数多くあります。そのコレクションの充実ぶりは地方にある博物館としては異例の規模で、国内だけでなく海外からも見学者が来るほどだといいます。

 日本のいち地方にある博物館が、どうやってこれら本物の展示物を揃えることかできたのでしょうか。そこにはこの博物館を作り上げた方の徹底した現場主義による活動がありました。

アメリカ製はNASAに直談判

 その方とはコスモアイル羽咋の仕掛け人である、高野誠鮮(たかのじょうせん)さんです。設立当時は羽咋市の職員だった高野氏は、宇宙をテーマにした町おこし事業を行い、1990年に「宇宙とUFO国際シンポジウム」をこの地で開催して、人口2万人の町に5万人もの来場者を集めました。

 その実績から、羽咋市の地域振興政策として国からの予算が下り、宇宙やUFOをテーマにした博物館が建設されることになり、これが今のコスモアイル羽咋へとなったそうです。

 しかし、建物の建設は決まっても、その中に置かれる展示物に関してはプランがなく、当初は模型やレプリカを考えていたとのこと。しかし、博物館に実物大のロケットのレプリカを置こうとしたら、その費用はなんと1億6000万円もかかることが判明します。

 また、博物館の定番といえる模型も、国内では製造できる業者が限られており、作ったとしても他の博物館と同じものを展示する形になることがわかりました。これでは羽咋市に博物館を新設する意味がありません。その結果、高野さんは本物のロケットや宇宙船を置くことを決意します。


コスモアイル羽咋の全景。右側の白いのがNASAから譲り受けた「レッドストーン」ロケット(布留川 司撮影)。

 博物館の設計会社には「無理でしょう」と一蹴されますが、彼は羽咋市の職員になる前に、テレビの構成作家や科学ライターをやっており、行動派で物事を進めるには現場に行くのが一番だという信条もあったようです。単身でアメリカに渡ってNASAを直接訪問します。すると、当時のNASAは博物館などへの所有物の貸し出しには好意的で、日本国内での展示についても「問題ない」と回答してくれたそうです。

 NASAとの契約では期間を指定する必要があり、高野さんは自分の博物館でそれらを常設展示するために、その期間を「100年」と指定。これまでそのような期間を申し込んだ人や団体はなかったらしく、「こんなことを書いたのは今まで一人もいなかった」と担当者は驚いたそうです。しかし、逆にそれが高野さんの熱意として伝わったようで、結果として多くの品々を貸し出してもらえました。

 月面・火星探索車のプロトタイプ「ルナ・マーズローバー」や、「バイキング火星探査機」の使われなかった予備機、月の石などを借用し、アポロ司令船や月着陸船は、使用された機器や素材が入手できたため、精巧なレプリカを製作することができました。

 博物館正面に立つ巨大な「レッドストーン」ロケットは購入しましたが、その費用はレプリカを製作した場合の約1億6000万円よりも安く、加えて本体がマグネシウム合金製だったので潮風に晒されても錆びることがないため、メンテナンス費用も浮いたといいます。

ロシアものは一世一代の大交渉で入手

 1990年ごろまでの宇宙開発において、アメリカのNASAと並んで世界をリードしていたのはソビエト連邦(現ロシア)でした。宇宙博物館で世界の宇宙開発を紹介するのであれば、同国の偉業も外すことはできません。しかし、高野さんはソビエト連邦にはコネクションがなく、流石にNASAのように単身で乗り込むワケにもいきません。しかも、当時はソビエト連邦が崩壊して、ロシア連邦に変わった混乱期でもありました。

 ダメ元でソビエト時代の宇宙開発を継いだロシア宇宙局に宇宙船の購入を打診してみると、意外にもレスポンスがあり、購入交渉を進められることになりました。しかし、それは簡単なことではありませんでした。宇宙局の所有物なのに、交渉相手となったロシア人はなぜか民間会社の社員を名乗っていたのです。当時のロシアは国自体が混乱期にあったこともあり、彼らを信頼することができず、この申し出自体を怪しんだそうです。

 そこで高野さんは、売ってくれる宇宙船をアメリカまで持ってきてもらい、前述の借用契約で知り合ったNASAの職員に、同地で鑑定人として協力してもらうことを思いつきます。


月面、火星での走行を想定して作られたグラマン社製の「ルナ・マーズローバー」。実験用のプロトタイプで、宇宙には行かなかったが開発のための実験は繰り返し行われたという(布留川 司撮影)。

 ロシア側との交渉場所として選んだのはアメリカ中西部のホテルの駐車場。素人目には無茶苦茶な条件に思えますが、当時のロシア側も外貨が欲しかったのか、その条件を受け入れて宇宙船をコンテナに入れて指定場所まで持ってきました。

 交渉相手がアメリカまで運んできたのは「ヴォストーク宇宙カプセル」と「モルニア通信衛星」、無人月面探査機「ルナ24号」の3つ。交渉の際にはNASAの中堅職員を高野さんの「個人的なアメリカ人の友達」という体で立ち会わせ、これらが本物かをすぐに確認してもらったそうです。結果は「間違いなく本物」で、特に無人月面探査機「ルナ24号」については、現存するものは目の前にある1機だけという超レアな一品だったとのこと。

 NASAの職員は「絶対に買うべきだ」とアドバイスしてくれましたが、交渉は簡単には行きませんでした。交渉相手のロシア人は、なんと売値を当初の約束よりも一桁多い金額に吊り上げてきたのです。

名誉館長はアノ有名UFO研究家に依頼

 高野さんは、ロシアの宇宙船が喉から手が出るほど欲しかったそうですが、値上げ交渉には応じず「その金額ならいらない。ロシアに持って帰ってくれ」とこれを拒否します。その瞬間、相手のロシア人は殺意を込めた怒りの目つきで高野さんを睨み付けたとか。これには、高野さん自身も「殺されるかと思いました」と語るほど恐怖を感じたと話してくれました。

 しかし、ロシア側もわざわざアメリカまで運んできた宇宙船を持って帰ることもできないため、翌日には約束の金額で引き渡してくれたそうです。


コスモアイル羽咋をプロデュースした高野誠鮮氏(布留川 司撮影)。

 こうした、アメリカとロシア、2大国を相手にした交渉と大立ち回りによって、コスモアイル羽咋には人類の宇宙開発における本物の展示品を揃えることができました。これら充実した展示内容によって多くの人々が今もこの博物館を訪れています。開業から30年近く経った現在でも、年間来場者数は約5万人を記録しているといいます。

 ただ、高野さんは展示物の充実だけではなく、町おこしに合わせてUFOや宇宙人に関するものの展示を行うなど、来館者を飽きさせない工夫にも知恵を絞っています。名誉館長には、UFO番組のプロデューサーとして有名な矢追純一氏を迎え、宇宙人「サンダーくん」というご当地キャラまで用意。彼らとともに各種講演会やトークショーなどのイベントを不定期で開催することで、常に博物館の鮮度が落ちないよう尽力しています。

 実際、筆者(布留川 司:ルポライター・カメラマン)も初めて訪れましたが、その充実ぶりに驚いたほど。さまざまな形で宇宙に興味を抱く人々に注目される施設として、今後も活動を続けていくようです。