「ドリル優子」批判やまない小渕氏の不安な前途
記者会見する自民党の小渕優子選対委員長(写真:時事)
第2次岸田再改造内閣発足から2週間、岸田文雄首相が狙った支持率アップにはつながらず、与党内でも「このままでは解散困難」との声が広がる。特に“目玉人事”だった小渕優子元経済産業相の自民選挙対策委員長への起用が、「国民的にも不評」(自民幹部)だったことで、今後の政権運営の“火種”にもなりかねない状況だ。
岸田首相があえて自民党4役の一角に小渕氏を起用した人事には「茂木派内の事情を見透かしたうえでの、茂木幹事長への牽制」(自民長老)との受け止めが大勢だ。多くの他派閥幹部が「将来の小渕派復活への布石になる」(安倍派)と読むからだ。
そもそも、岸田首相が茂木氏に幹事長を続投させたのは「次期総裁選への茂木氏出馬の芽を摘む狙い」(岸田派幹部)との指摘がある一方「状況次第では、次期総裁選で茂木氏に政権を禅譲することで、大派閥領袖としての影響力維持を目指す戦略」(麻生派幹部)との見方も出る。「茂木政権後の小渕派への衣替えをにらんで、双方に恩を売る」(同)という“岸田流強か人事”の一環との分析からだ。
ただ、岸田首相の小渕氏起用が思惑通りの結果になるかは、「まさに小渕氏次第」(自民長老)だ。通り名とまでなっている「ドリル優子」の汚名と、小渕氏がどっぷり漬かってきた「昭和の政治」からの脱却ができない限り、「初の女性宰相は夢のまた夢」(同)になりかねないのが実態だ。
戦後最年少での初入閣で「自民のプリンセス」に
小渕氏は恵三元首相(故人)の愛娘で、政界デビュー時から「自民党のプリンセス」と呼ばれ、2008年の麻生内閣で内閣府特命担当相として戦後最年少(34歳9か月)で初入閣した頃から「初の女性首相の最有力候補」の呼び声が高まった。
そうした中、2014年9月に発足した第2次安倍改造内閣では、重要閣僚の経済産業相に女性として初めて任命された。しかし、10月に自身の政治団体を巡り政治資金規正法違反があったことが『週刊新潮』に報じられ、わずか1カ月半で辞任に追い込まれたことが、「政治家としての挫折」(茂木派幹部)となった。
特にこの問題で、東京地検特捜部の家宅捜索前にパソコンのデータを保存するハードディスクがドリルで破壊されていた事実が報じられると、ネットも含め「ドリル優子」と大炎上。さらに、2015年に元秘書2人の政治資金規正法違反での有罪判決を受けて、小渕氏の管理責任が厳しく問われたが、説明のための本格的記者会見は地元群馬で2015年に1回開いただけだったため、いまだに当時の汚名を引きずる状況が続いている。
小渕選対委員長も含めた自民党4役の就任会見は内閣改造に先立つ9月13日午前、永田町の自民党本部で開かれた。これまでの党4役就任会見は儀礼的な内容となるため、記者席も空席が目立つケースが多かったが、今回は50人近い記者で満席となり、しかも最前列に多数のカメラマンが並ぶという物々しい雰囲気で始まった。
もちろん、注目の的は小渕氏の言動だった。就任会見という晴れ舞台に黒いパンツスーツで臨んだ小渕氏は殊勝な態度で抱負を語ったが、記者団は次々と過去の政治資金規正法違反事件について小渕氏を問い詰めた。
「決して忘れることができない『傷』」と涙ぐむ
これに対し小渕氏は、次第に感情が高ぶったのか、目に涙をたたえて「あの時に起こったことは、政治家として歩みを進めていく中で、決して忘れることのない『傷』。私自身の今後の歩みを見て判断していただきたい」と言葉を絞り出し、すさまじいカメラのフラッシュを避けるように頭を下げた。
小渕氏は、この事件についての地元群馬での記者会見では「心からおわび申し上げる」などと謝罪を繰り返したが、詳細については「関係者が亡くなったり、資料がなかったりして十分に説明できない」「捜査や調査の限界があるのでこれ以上の説明はできない」などと“幕引き宣言”して、以後は沈黙を続けてきた。
だからこそ、今回の就任会見での対応が問われたわけで、自民党内からも「改めてきちんと説明できなければ、涙で訴えても逆効果」(長老)との厳しい声が噴出。そうした状況も踏まえ、山口那津男公明党代表は9月24日放送のBS朝日「激論!クロスファイア」で、「説明責任が十分ではない。しっかり果たしてもらいたい」と苦言を呈した。
そもそも、政治資金をめぐる自民党議員の不祥事は「日常茶飯事」(選対幹部)だ。それだけに、小渕氏にしてみれば「なぜ自分だけがいつまでも追及されるのか、との思いが強かった」(周辺)とされる。
しかし、その原因は「いつか世間も忘れてくれるという態度を続けてきたことへの批判」(閣僚経験者)だったことは否定できない。だからこそ安倍、菅、岸田と続いた3政権では目立つ役職への起用は避けられてきたのだ。
その中で小渕氏は、2017年には党組織運動本部長代理、2019年には党政調会長代理、2021年には党選対委員長代行と党組織運動本部長として、裏方の活動を続けてきた。これに対し「色々思惑はあっても、自民党内では“小渕ブランド”復活への期待があり、それが今回の人事につながった」(同)とみられている。
岸田首相が小渕選対委員長に踏み切った背景には「6月に亡くなった青木幹雄・元自民党参院議員会長の『優子を頼む』との“遺言”と、それを後押しした森喜朗元首相の強い要請」があった。青木、森両氏は、小渕氏の父の恵三元首相と早大雄弁会の同窓として深い絆があり、特に小渕恵三政権で幹事長を務めた森氏は、首相在任中に病に倒れた小渕氏の後継首相となった経緯があるからだ。
人事前のインタビューで「腹くくる瞬間がある」と決意
今回の表舞台復帰を前に、小渕氏は『サンデー毎日』の企画した田原総一朗氏の特別インタビューの中で、初めて「首相の座」を目指す心境を吐露した。同インタビューは内政・外交各分野での小渕氏の考えを質したものだが、やはり注目されたのは有力政治家としての今後の目標についての発言だった。
インタビューの終盤に田原氏が「小渕首相待望論があるが」と核心に切り込むと「私の場合は父が倒れ、私なりに覚悟を決めてこの世界に入りました」と答えたうえで「私はずっと父の背中を見ながら育ち、父が総理をやった2年弱の苦労を見ています。命を削り身をもってそれを体現した姿が浮かびます。あの背中と同じ背中を今の自分が見せられるだろうか。自信はないし不安だらけです」とまずは正直に語った。
そのうえで総理の座について「目指しているとも言い難いが、腹をくくる瞬間というのがある。経産相になる時も、子供を産む時もくくる瞬間があった。(将来)またあの瞬間が来るだろうなとは思う」と控えめな表現ながら決意をにじませた。
当の田原氏はインタビュー後「人柄もよく、調整能力に長けている。女性初の総理を目指してほしい」と小渕総理への期待を強調した。しかし、改造後の各種世論調査では、小渕氏の抜擢を「評価しない」との声が多数派だ。
折しも、政局秋の陣は「いよいよ佳境に入り、解散風も吹き荒れている」(自民長老)。その中で野党側は小渕氏への“個人攻撃”に活路を見出そうとしており、「今後の展開次第では、岸田首相にとって小渕氏という存在が政局運営でも重い足かせになる可能性」(同)も少なくない。
(泉 宏 : 政治ジャーナリスト)