精神科への入退院48回、服役生活3年間…自暴自棄だった青年が“人のために生きる”ようになるまで

―[奈落からの再起〜寄り道してたどり着いた現在地〜]―
綺麗事に聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。
間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。
特定非営利活動法人いちごの会が運営する「リカバリハウスいちご」は、アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル等依存症の当事者に寄り添い、回復支援と福祉の増進を目的とする施設を運営している。
同施設の常勤職員として勤務する渡邊洋次郎氏は、3年間の服役生活のほか、精神科病院への入退院を48回も繰り返した過去がある。
◆中学を卒業してから「シンナーの乱用」が加速
「シンナーの乱用は、中学卒業あたりから特にひどくなってきました。卒業後もそれは変わらず、四六時中シンナーを入れたビニール袋を手に持っていて、吸い続ける日々でした。ひょんなことからアルコールにもはまり、度数の高い酒を煽って救急車で運ばれたこともあります。当時の不良仲間が私の行動に驚愕するのを見て、なぜか私は『自分の怖さを思い知らせてやった』と満足していました」
渡邊氏は、幼少のころを振り返って、似たようなことがあったと話す。
「小学校入学直後から、勉強に興味が持てず、早々に授業からもリタイアしました。さりとて運動神経が良いわけでもなく、得意なことがない私は、みんなが普通はやらないような不潔なことや気色の悪いことをして注目を集めようとしていました」
◆奇行に走る理由は「認めてもらえない孤独感」か
人からの注目を集めたい。この思いの源泉には、家族にわかってもらいたいという欲求があったのかもしれない。
「両親は共働きですれ違いが多く、父は休みの日はいつもワンカップ酒を煽っていました。父は子どもにマッサージをさせたり、酒がなくなると買いに行かせるような人でした。怒らせると1〜2時間くらい正座させられ、説教が始まります。母はそんな父に同調的な態度をとる人で、『ずるいなぁ』と思った記憶があります。
私の幼少時代は奇行が多く、けれども両親から愛されたいと思って生きてきました。ただ、その願いは必ずしも成就しませんでした。誰からも認めてもらえない孤独感は、常にありました」
◆父の死がきっかけで「野垂れ死にたい」と思うように
渡邊氏は16歳のころ、シンナー乱用や窃盗などで4度目の少年鑑別所を経験したが、その最中に父親は息を引き取った。
「もちろん深い悲しみや後悔がありました。父に申し訳ないと思う気持ちもありましたが、同時に、さんざん心配をかけたまま父は死んでしまったので、これからは悪の道で生きていこうと決意したんです。今更生活を見直すよりも、野垂れ死にたい……そんな自暴自棄な気持ちでした」
その決意を体現するかのように、父親の死後、渡邊氏はさらに転落していく。その生き方は世の中に対しての悪態と表現しても過言ではない。
「当時は薬物のほかにもアルコール依存に苦しまされていましたから、ホストとして勤務しているのに客と話さず酒を飲み続けたりして、クレームが殺到しました。また、精神病院で身体を拘束されれば看護師などに唾液を吐きかけるなど、迷惑行為も行いましたね……。乱用して錯乱状態になったときは、自宅で妹と刺し合い寸前にまでなり、警察官に確保されました。20代は精神病院への入退院を繰り返して、社会に自分の居場所はどこにもないのではないかと思って生きてきました」