「一番古いっぽい記憶」より

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自身の内向的でHSPな実体験を元にした漫画を発信しているここみさん(@cocomi_3)。2022年8月には初の著書となる「私は私を幸せにする方法を知ってるんだ」を刊行し、多くの共感を呼んでいる。

【本編を読む】「内向的&HSPという気質のまま、背筋を伸ばして生きています」

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【書籍より引用】

幼少期から集団の中にいると、いつもどこか緊張していてぎこちない。なんとなくまわりから浮いていて、でも1人の時間と家族といる時間だけは、自分らしくいられた。そんな自分を変えたくて無理をする日々。人生が合っていないような、ぬぐえない違和感…。頭と心と体がちぐはぐなまま生きていた。

ある日、自分が「内向的」で「HSP」だということを知ると、今までズレていた人生のピントが初めて自分に合った気がした。これは「私が私を取り戻す」までのキロクである。

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人によっては「あるある」と共感したり、「へ〜」という新発見があったり、はたまたクスリと笑えたり、ほっこりしたりもしてしまう…。そんなエピソードをお届けしていきます。今回は、内向的&HSPな一面が表れている一番古い記憶のお話です。

■一番古いっぽい記憶

皆さんの子供の頃の悩みはなんでしょうか?

私にとっては「みんなでの遊び」が苦手なことでした。口にすればなんて平和でちっぽけな悩みと思われそうなものですが、今だってちっぽけだとは思いません。

漫画で触れているフルーツバスケットは、どんなところが苦手だったのでしょうか。昔はどうして楽しめないのかわからずモヤモヤしていましたが、今なら言葉にできるのでまとめてみようと思います。

・円になっていることで逃げ場がない感じがする&沢山の人が見えるので緊張する

・聞こえた音で判断してすぐに動くという瞬発力が求められる(じっくりと考えるのが好きです)

・椅子を取り合う時にぶつかる可能性などがあるのでシンプルに怖い

・オニになったら360°からの視線がある怖さ&自分から出ていく言葉をみんなが注目して聞いている緊張感に耐えられないが、白けさせてはいけないノリも必要

・バツゲームになれば人前でなにか芸をやらなければいけないという恥ずかしさ(もしやることになれば一生のトラウマになることでしょう。一週間黒板消しをするとかなら全然いいのですが…)

私の性格や運動神経の良し悪しなど色々な理由があると思いますので、こう感じる人が全員内向的&HSPとは言い切れません。ですが、低刺激を好むという共通の特徴をもつ内向的&HSPの方は同じように感じる方が多いのではないのでしょうか。とにかくフルーツバスケットは私の中の憂鬱なイベントでした。

他にも苦手だったものとしては、チーム戦の球技全般(ドッジボールとバレーボールは特に)、長縄跳び、はないちもんめなどです。

8の字になって順番に飛んで抜けてを繰り返して数をカウントしていく長縄跳びは、プレッシャーでうまく身体が動きませんでした。しかしそこで失敗するわけにはいきません。クラスの全員で続けて飛べた回数の記録更新が近づいているのです。

ここだけの話、「私の前の人よひっかかってくれ」とさえ思っていました(性格が悪い!笑)。今でも、自分が失敗してしまったときの「あ〜〜」というみんなの顔・表情を想像すると、心がキュッとなります。

子供の頃は大人になった今よりも連帯感が求められることが多く、しんどかったなあという記憶があります。

苦手だったゲームなどに共通していえることは、私には刺激が多すぎたということです。人間が1人いればその人の表情、言葉、動きなどが全て刺激になります(それ自体が悪いものではありません)。人が多ければ多い分刺激が増えるのです。さらに遊びとなればもっと多くの刺激を浴びることになります。そんな時私は楽しさを感じる余裕がなく、常に「追い込まれている」状況だったのだと思います。

人によって心地よいと思う気温が違うように、人によって最適な刺激量というものがあります。刺激が少なすぎるとつまらなさに、適度な刺激は楽しさに、過度な刺激は苦痛に繋がるのだと思います。

ちなみに好きだった遊びは、ごっこ遊びや芋ほり、秘密基地作り、お絵描きなど。1人もしくは少人数でできるものだったり、何かを創りあげるものが大好きでした。刺激は少なさそうです。

もちろん、遊びを全員の好みに合わせることなど不可能だと思います。遊びも教育の一環というのも聞いたことがあります。最低限の社会性を身に付けることも間違いなく必要でしょう(いつまでもカーテンには隠れられないから)。

私が願うのは、子供たちが自分の気質をしっかりと理解できることです。モヤモヤと感じる気持ちを自分で消すふりをするのではなく、「こういう気質なんだから仕方ない」と受け入れられるようになることです。そうすれば劣等感を感じることは減るはずです。

そのためも、内向的やHSPという存在が、ネガティブなものではなく「ただの違い」として社会に定着することが必要だと思っています。そしてその一歩として私がしなければいけないことは、内向的でHSPな自分に自信を持つことなのだと思います。そう簡単にできることではありませんが、自信を持つ努力をしていこうと思います。

私は今では嫌なことも楽しいフリや平気なフリをするのが得意になりましたが、好きと苦手の内容は泣きわめいていた子供のころとほとんど変わっていません。

でも自分を理解して、生まれ持った内向的&HSPという気質のまま、背筋を伸ばして生きています。