生物を「学ばない人」「学ぶ人」に大きな差がつく訳
うそに踊らされないためには、ただしい基礎知識が必要です(写真:Fast&Slow/PIXTA)
社会人になってから、「生物学の重要性」に気づく大人も多いでしょう。日々見聞きするニュースには、生物学の知識や理解が関わることも多いのです。
このたび『大人の教養 面白いほどわかる生物』を上梓した伊藤和修氏が、現代日本を生き抜くために必要な知恵が、高校の生物に多く詰まっていることについて解説します。
こんにちは。駿台予備学校生物科講師の伊藤和修(いとうひとむ)です。駿台予備学校の教壇に20年立ち、多くの学習参考書や一般書を執筆させていただきました。
本記事は、これまでに生物を学んだことのある方、そしてほとんど初めて生物に触れる方が、懐かしさと新鮮さを覚え、生き物のすごさ、面白さ、不思議さを知り、興味を持っていただけることを願って執筆しました。
「高校で学ぶ生物」の今と昔
生物学の進歩は目覚ましく、新たに開発された技術や新たに解明された事実がどんどん教科書に記載されていきます。この点が、同じ理科でも物理などとの大きな違いです。今の高校生が学ぶ教科書には、「山中伸弥によるiPS細胞の作製」「ゲノム編集技術」「PCR法」「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」などが記載されているんです!
中には、昔は正しいとされていた学説が否定され、書き換えられているものなどもあり、「高校生の頃はこう習った!」という昔の常識をアップデートする必要がありますね。
現在の高校生物のカリキュラムは『生物基礎』と『生物』という2科目の単元に分かれています。『生物基礎』は文系、理系を問わず、全員が学びます。
一方、『生物』は理系の高校生の多くが学ぶことになります。このような事情や時代の流れを考慮して、『生物基礎』では、生物学の中でも特に生活、健康といった自身の生活や、将来の人生に関わってくるような項目を習えるように教科書が編集されています。
さて、『生物基礎』では、「生物多様性がなぜ重要なのか?」「遺伝子とは何か?」「血糖値とは? 糖尿病とは?」「免疫とは?」「どのような環境問題があるのか?」などを学びます。今の高校生は、文系、理系を問わずDNA、ホルモン、環境問題などについて学んでいるんです!
日本が直面している「里山の保全」という環境問題とSDGs
「森を守ろう!」といわれると、「木を切らないようにすればいい!」と思いませんか? それ……不正解です。日本が直面している「里山の保全」という環境問題を例に、その理由を説明してみようと思います。
そもそも、里山という言葉を聞いたことがありますか?
人里の近くにあり、人間の管理によって維持されてきた田畑、ため池、雑木林などの一帯のことを里山といい、古き良き日本の田園風景といったイメージの場所です。私たち人間は、生態系からさまざまな恩恵を受けながら暮らしています。例えば、食料や木材、水などの資源を得たり、災害の制御や気候の制御といった形の恩恵(生態系サービス)を得たりしています。さまざまな生物が生活する生物多様性の大きな生態系は、このような恩恵を人間に与えてくれる貴重な存在なのです。
2015年に国際的な目標として、17のSDGs(持続可能な開発目標、Sustainable Development Goals)が採択されました。その1つに「陸の豊かさも守ろう」というものがあります。里山の保全は、この目標の具体例の1つといえます。
里山の雑木林は、近くの集落に住む人々が燃料にするために適度に木を伐採したり、肥料にするために落ち葉などを集めたりしながら維持されてきました。このように、木を切ったり、草を抜いたりして生態系を破壊することは一般に「撹乱」といわれます。破壊とか撹乱と聞くと、ネガティブなイメージをもたれがちですね。森林伐採も撹乱ですし、台風が直撃してサンゴなどが破壊されてしまうことも撹乱です。
しかし、意外なことに、生態系では適度な撹乱が起こることで生物多様性が広がることが知られています。
撹乱が全くない生態系を考えてみましょう。動物も植物もどんどんと数を増やしていきます。その結果、生活空間や餌といった資源が不足してきて、生物どうしが激しい争い(競争)をしてしまいます。激しい競争が起こると、競争に敗れた生物はその場所で絶滅してしまい、競争に強い生物ばかりが繁栄する単純な生態系になってしまうんです。
一方、激しい撹乱が頻繁に起こると、撹乱が原因となり多くの生物が絶滅してしまいます。よって、適度な撹乱によって生物の数を抑制することで、激しい競争が起こらず、多くの生物が共存でき、生物多様性の大きな生態系となるんです。
雑木林を守っていくためにはどうしたらよいか
雑木林は、人間によって適度な撹乱が起こされることで、生物多様性が大きな状態で維持されている豊かな森林といえます。人間が適度に樹木を伐採することで、雑木林には地面付近までしっかりと日光が届く場所が生まれます。その結果、日なたでの生育に適した樹木(コナラ、クヌギなど)も日陰での生育に適した樹木(スダジイなど)も生育でき、それらを食べる多様な動物も生息できるようになります。実際、雑木林には貴重な生物(ムササビ、ニホンイタチ、オオルリ、オシドリなど)も多く生活しているんです。
さて、ここで改めて考えてみましょう。この雑木林を守っていくためにはどうしたらよいと思いますか? 「木を切らないようにする!」ではありませんね。人間が全く雑木林の資源を利用しなくなり、撹乱がなくなってしまうと、森林としては維持されますが、雑木林という多様性の大きい豊かな森林ではなくなってしまいますね。ですから、我々が適度に自然と関わりを持ちながら、多様性の大きな雑木林を維持していく必要があります。
しかし、現代人の生活スタイルを考えてみてください。大多数の日本人は、森に足を運んで、資源を調達する生活なんてしていませんね。ごはんを炊くために薪を取りに裏山に……とはなりません。我々にとって「適度に自然と関わる」生活というものは、非常にハードルが高いことに気づきます。
ですから、里山の保全、そして里山の雑木林の保全というのは、現代の日本にとって非常に難しいテーマなんです。大規模な伐採などが起こらないように守らないといけないけれど、適度に撹乱をしないといけない。まるで、「放っておいたら拗ねるくせに、干渉したら怒る」という人間関係みたい(?)ですね。
現在、企業、省庁、自治体などがさまざまな形で里山を保全するための活動を行っています。HONDAは、雑木林の間伐を行ったり、田畑を整えて子どもが自然に触れて学ぶ環境教育を行ったりしています。環境省は、里山の資源を持続的に利用する仕組みを構築することで、里山を保全していくようにさまざまな活動を行っています。林野庁も交付金を用いて、全国で里山の保全のための活動をしています。
しかし、コストをかけて頑張って保全していくというのは合理的ではありませんので、我々が上手に里山の資源を活用する中で、無理なく持続的に保全できる仕組みの構築というのが大事になってきます。
物事を正しく判断するためには基礎知識が必要
これらのさまざまな活動に共通する点は、教育に力を入れていることです。やはり、問題を把握し、解決策などを検討する際、必要な知識を持っていないことには、活動の目的の理解も、解決策についての合理的な判断もできません。
生物教育は、身近な環境、食品や医療といった自分の健康にかかわることについて、科学的に理解して判断、行動する人間になるために不可欠です。人間はその気になれば無限に心配することができる生き物です。
ですから、SNSなどで不安を煽るような書き込みに出合うと、科学的な知識やデータに基づく判断ではなく、感情による誤った判断をしてしまう場合があります。どんなに頭がキレる賢い人でも、基礎的な知識がなければ判断を誤る場合があります。
しっかりとした基礎知識を持ち、物事が正しいのか正しくないのかを自分で考えて判断できるような大人でいたいものです。
(伊藤 和修 : 駿台予備学校生物科専任講師)