パリ五輪に内定した樋口黎(撮影・粟野仁雄)

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 9月16日からベオグラード(セルビア)で行われているレスリング世界選手権で、樋口黎(ミキハウス=27)が日本のレスリング選手として初のパリ五輪行きの切符を手にした。2016年のリオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得したものの階級変更に苦しみ、東京五輪出場を逃した樋口の2大会ぶりのメダル獲得が期待される。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

【写真】フォール負けしショックで座り込む乙黒拓斗

地元選手と接戦も敗れる

 レスリングの世界選手権は大会2日目の18日、リオデジャネイロ五輪・銀メダリストの樋口がフリースタイル57キロ級の決勝に登場、地元セルビア代表のステバン・アンドリア・ミチッチ(27)と対戦した。

 樋口は2点先制されたが追いつき、第2ピリオドは4対4の接戦となった。その後、バックを取られて引き離されると、終了間際に相手を場外に押し出してセコンドがチャレンジ(判定に不服を申し立てビデオ検証する)を申し立てたが通らず、結局4対7で敗れて準優勝となった。

パリ五輪に内定した樋口黎(撮影・粟野仁雄)

 試合後、記者に囲まれた樋口は「まあ仕方ない。これをしっかり受け止めて、目標は来年のパリオリンピックだから」「片足タックルの処理をもう少ししっかりやらなきゃいけなかった」「グラウンド(寝技)も妥協して取り切れないところがあったり」「手足の長い外国人とあまりやっていなかった」などと盛んに反省点を語った。

落ち着き払った試合

「優勝だけを目指したのに」と話す樋口は悔しそうだったが、その表情は暗くなかった。当然である。前日に決勝進出を決め、パリ五輪出場を射止めた日本のレスリング選手の第1号となっていたからだ。パリ五輪の出場資格は、今回の世界選手権で3位以内である。

 東京五輪に出られなかった樋口は、これで2大会ぶりの五輪出場となる。

 ミチッチは米国育ちで昨年の世界選手権3位の強豪、セルビア人の父の国籍を取って参加していた。会場は盛り上がり、観客スタンドには警備員が増えた。決勝はアナウンスも完全に地元贔屓、異様な雰囲気の中での戦いを余儀なくされたが、樋口は冷静に戦い続けた。

「地元の声援は気にならなかった」

 樋口はベテランらしく初戦から落ち着き払っていた。2回戦まで無失点で勝利。準々決勝はアルメニアの選手と接戦になった。試合開始早々に突っ込んできた相手に投げ飛ばされ、いきなり4点を取られるなどして2対7と先行されたが、隙を見てタックルを決め、粘り強く次々とバックを取って逆転して引き離す。結局16対14で逃げきった。終盤、場外に押されたが、敢えて抵抗せず相手に1点を与えた。無理して抵抗すると大きな点を失いかねないからだ。

 パリ五輪を射止めた準決勝は、対戦相手のカザフスタン選手に10点差をつけるテクニカルスペリオリティ(旧テクニカルフォール)で勝利した。

乙黒の登場で減量苦に

 最近の樋口といえば、悲壮感が漂う印象が強かった。

 東京五輪前のアジア予選では、2位に入れば五輪出場の切符が獲得できた。ところが、計量で50グラム超過し、まさかの失格。ライバルの高橋侑希(山梨学院大職=29)との五輪代表を賭けてのプレーオフも減量苦で力が出せず、敗れて涙を呑んだ。「卵一個」の重さに泣いたのだ。

 その後、65キロ級に転向したものの、ここに彗星のように現れたのが18年の世界選手権に優勝した、当時山梨学院大の乙黒拓斗(自衛隊=24)だった。樋口は、翌年暮れの全日本選手権こそ乙黒に勝ったが、その後、勝てなくなる。

「この階級では五輪出場は無理だ」と樋口は階級を57キロに戻した。

 パリでの雪辱を目指す樋口は、昨年は同じベオグラードの世界選手権で非五輪階級の61キロ級に出て優勝。そこから五輪階級の57キロへ向けて調整していたが、年齢も上がり、壮絶な減量苦に陥ってゆく。ぜい肉がない筋肉ばかりの体を数キロも削ぎ落とすことは容易ではない。無理な減量をすれば、体力そのものも失われて闘えないのだ。

 それでも樋口は「二度と同じ失敗はしない」と、毎日、自分の体と相談してきた。今年、元レスリング選手の女性と結婚した樋口は、減量のための食事を妻が工夫して作ってくれたという。

 それでも今大会が始まる10日ほど前には、5キロ近くリミット体重をオーバーしていた。「樋口の計量は本当に大丈夫か」と心配していた報道陣も、17日朝の計量に合格したと聞いて安堵した。

期待される新たな五輪記録

 過去の五輪で、一大会を挟んで二つの大会に登場したレスリング選手は、1996年のアトランタに出場しながら2000年のシドニーに出られず、2004年のアテネに復活登場した横山秀和(52)しかいない。

 古くは1976年のモントリオール五輪で優勝、1984年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した「天才レスラー」の高田裕司(山梨学院大教授=69)もいるが、1980年のモスクワ五輪の不参加はソ連のアフガニスタン侵攻により日本が米国に追随した参加ボイコットであり、レスリングそのものの力が及ばずに出られなかった横山や今回の樋口とは全く事情が違うだろう。

 横山はメダルに届かなかったが、来年、樋口がパリ五輪で表彰台に上がれば、オリンピックで「一大会スキップしての2大会メダル」という新たな歴史を作ることになる。

 筆者がそれを樋口に向けると「そんな記録は考えていませんけど、金メダルを目指します」と力強く答えてくれた。「天皇杯(全日本選手権=12月)は出ますか?」と聞くと、「欠場します」と答えた。そして「9月、10月……3月までに完璧に仕上げます」と話した。

 減量に苦しみ抜いて遂に獲得したパリの檜舞台へのカウントダウンが始まる。

東京王者の乙黒は敗退・棄権で国別枠も取れず

 一方、その樋口を減量苦に追い込んだ「張本人」ともいえる存在の乙黒は、今大会、3日目からフリースタイル65キロ級に登場。2回戦でハンガリーの選手にフォール負けを喫し、傷めていた足を再び悪化させた。

 ハンガリー選手が決勝に勝ち進んだため、敗者復活戦に出る資格は得たものの、乙黒の足は回復せず、ついに負傷棄権してしまった。

 これでフリースタイル65キロ級のパリ五輪代表選考は振出しに戻り、東京五輪王者の乙黒も12月の全日本選手権からの出直しとなった。それだけでなく、乙黒が5位以内に入れなかったため、この階級での国別の参加資格枠も獲得できなかった。これは来年春のアジア選手権まで持ち越されることになる。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部