夫が脳腫瘍になり絶対に忘れられない主治医の言葉「子ども達も…そうなってしまう可能性が…」

29歳のときに兄が自死し、その4年後に夫が33歳でグレード4と最も悪性な腫瘍・神経膠芽腫(しんけいこうがしゅ)を発症。余命14か月の宣告を受け、まだ幼い2人の子どもの育児をしながら在宅介護、死別した経験をつづった「あなたとともに生きていく〜35歳絶望未亡人這い上がり物語〜」の著者・かずママさんがアメブロを開設した。
■生死の境をさまよった夫
8月8日に更新の「この9年間、ずっと私の心の奥にあった想い」と題されたブログでは「あれは…忘れもしない。旦那が1回目の手術、脳腫瘍摘出術を受けた…翌日」「旦那は急変をし、意識を失い、生死の境をさまよいました」と回想。
子ども達を寝かしつけてから、急いで病院へ向かい、緊急手術は朝の4時ごろまで続いたと振り返った。その際にICUの片隅で主治医から病状について説明を受けたといい「旦那の脳腫瘍は…もうはじめっから、1番悪性度の高いグレード4のもの」であったと告白した。

■絶対に忘れられない主治医の言葉
同ブログでは続けて、夫の病状に驚くとともに「パパの血を受け継いでるわけだから…」「え!?ってことは…子ども達も…そうなってしまう可能性が…あるってこと!?」と不安に襲われたことを振り返った。恐る恐る主治医に尋ねると「神経膠芽腫(旦那の脳腫瘍)は、基本的には、遺伝ではありません。だから、大丈夫。心配いりませんよ」と言われたといい「その言葉に、私は救われたのでした」「その時の主治医の声、顔、ICUの薄暗さ…全部はっきりと覚えているぐらい…、絶対に忘れられない言葉」と述べ、ホッとしたことをつづった。
ブログでは引き続き、当時33歳だった夫が脳腫瘍を発症した時の事をつづっている。