戦時下のキーウで反転攻勢の根源にみる「頑固さ」
キーウの国立歴史博物館には義勇軍「アゾフ連隊」の戦死した兵士たちの写真と略歴が掲げられていた(筆者撮影)
ロシアによるウクライナ侵略開始以来、すでに1年半を経過したが、国力の違いにもかかわらず、ウクライナの抵抗は粘り強く、反転攻勢の進捗も伝えられる。侵略を受けた国が自衛戦争を継続するのは当然ではあるが、ウクライナ国民の強い意志はどこから来るのだろうか。
5月にキーウで取材した際にインタビューしたシンクタンク研究員や外交官の話を中心に、その背景を探る。
クリミアを含む全土解放の決意
キーウを訪問する前、日本のウクライナ研究者から、元外交官でキーウのシンクタンク「防衛戦略センター」オレクサンドル・ハラ研究員(47歳)を紹介してもらっていた。連絡を取ると、5月14日日曜の午後、自宅で話をするのが、一番時間が取れるとのことだった。
キーウの中心部から地下鉄でドニエプル川対岸のリヴォベレジュナ駅で降りると、眼前に高層アパート群が並んでいた。ハラ氏の自宅は駅から数分歩いたアパートの一室だった。
ウクライナ軍の反転攻勢が開始されたと報じられていた時期であり、話の取っ掛かりはその意図や見通しだった。
ハラ氏はまず、「われわれはすべての領土からロシア軍を駆逐し、領土を奪回できると信じている」と述べて、クリミア、ドンバス地方を含む占領地解放への決意を語った。
ハラ氏によれば、ウクライナが妥協できない理由は、ロシアが国際法秩序を破壊し、ウクライナ人の人権を侵害していることが明らかなことだが、安全保障上の理由も大きい。
「防衛戦略センター」オレクサンドル・ハラ研究員(筆者撮影)
「クリミアはロシアが、黒海を通じてシリア、リビア、北アフリカへと外に向かって軍事力を発揮するために、つまりロシアが大国としてあるために必要だ。逆にウクライナにとってクリミアがロシアの手にあることは、シーレーンを容易に切断されることを意味する」
ウクライナにとってクリミアの重要性は、黒海経由の穀物輸出がロシアにより妨害されたことからも明らかだ。
8月下旬、ハラ氏に反転攻勢の現状をどう見ているか、改めて問い合わせると、「ウクライナ軍は通信ライン、司令部、弾薬庫、対空火器や火砲を主要な標的に攻撃を継続している。ロシア軍の地雷原や塹壕等を除去しながら、ゆっくりだが前進している」と攻勢が成果を上げているとの見方だった。
領土での妥協はない
「ウクライナ軍が防衛線を突破し、ロシア本土とクリミアを結ぶ(ロシアによる占領地である)『クリミア回廊』を断ち切ることができれば、クリミアは孤立する。ドンバス地方はロシアに隣接しているため、鉄道を破壊しても車で補給ができるが、クリミアのほうが奪還するのはむしろ簡単」と見通しを語った。
ハラ氏のロシアに対する不信感は徹底している。
「ロシアの侵略は、ウクライナの独立や国民性の否定が目的。3万人のウクライナの子供を連行し、ウクライナのアイデンティティを消滅しようとしている」
プーチン大統領を排除すれば、問題は解決するという見方も取らない。
「ウクライナ侵略をプーチン氏の戦争と言うのも間違い。戦争はロシア国民の75〜80%から支持されている。
ロシアで世論調査をすると、強力な軍隊を持ったり、他国を脅迫したり征服したりできる状態がよいとする回答が多数を占める。ロシアの帝国主義イデオロギーは、自国が穏健な小国であることに満足しない。領土面で偉大でないとだめなのだ。帝国主義はロシアのDNAの一部だ」
ハラ氏はロシアとは戦うしかないと断言する。
「西側にも停戦交渉を求める動きがあるが、領土に関する妥協によって停戦に至る可能性はない。多くの領土を取ったほうが交渉の時に有利だという人がいるが、ばかげている。
ロシアは交渉しない。ロシアを負かさねばならない。そして、ロシアの体制変換(レジームチェンジ)が起きることを望む。新政権ができたとしても民主的ではないだろう。しかし、プーチン氏が約束した大国としての地位の獲得に失敗したことを示す意味はある」
ロシアの権威主義体制への嫌悪感
ウクライナとロシアはまったく価値観をたがえるという認識が根底にある。
「ウクライナとロシアが兄弟国家という考え方は、共産主義者によって作り出された概念だ。ロシアは国を支配する神聖な権力があるという考え方だが、ウクライナは何にもまして自由を尊ぶ。気に食わなければすぐに政治家を追い出す」
ソ連を構成していただけあって、われわれ日本人のイメージではウクライナとロシアは歴史的、文化的に近いと見がちだが、「全く別の国」とハラ氏は強調する。ウクライナが防衛戦争を進める大本には、ロシアの権威主義体制への嫌悪感があるのだろう。
「新ヨーロッパセンター」のセルジー・ソロドゥキー副所長(筆者撮影)
キーウの国際問題シンクタンク「新ヨーロッパセンター」のセルジー・ソロドゥキー副所長(44歳)も、ロシアに対する厳しい認識と、防衛戦争を遂行しない限りウクライナは消滅するという強い危機感を語った。
「われわれは、人命を考慮に入れず、国際法を無視し、インフラの破壊も辞さない非常に残酷な国と対峙している。ロシアはその残酷性において予測不可能な国だ。ブチャやマリウポリで起きた惨状を考えれば、長期間の占領で、ロシアの支配を受け入れない人に対して何が起きるかは容易に想像がつく。ロシアの侵略は生存の問題、生か死の問題なのだ」
ソロドゥキー氏はこう語る。
「多様性をつぶすことは、ロシア帝国、ソ連の目標だった。ウクライナ語は禁止された。それはウクライナ人に自分自身のアイデンティティを忘れさせるのが目的だった。ロシアにとってウクライナは頭痛の種だったが、それはウクライナが常に自由を夢見ていたからだ」
ソロドゥキー氏によれば、プーチン氏が主張する西側の「脅威」とは、ロシアの安全保障上と言うよりも、プーチン氏個人の政権喪失の懸念から来るものだ。
安全保障よりも政権喪失の懸念
「かつてプーチン氏は北大西洋条約機構(NATO)に加盟したいと言っていた。NATOにとって受け入れは可能だったが、ロシアは民主主義の価値と基準を満たさねばならない。しかし、プーチン氏が民主主義の価値に服するなどとは考えられない。
今回の戦争はNATOやアメリカとロシアとの間の戦争ではない。プーチン氏は自分の政権を維持したい。レジームチェンジこそ最も恐れていることだ」
ソロドゥキー氏も、プーチン氏はロシア国民の価値を体現している指導者とみる。
「ロシアの指導者が代わったとしても、ロシア人の社会的態度(Social Attitude)は変わらない。ロシアに民主的リーダーはほとんどいない。多数がスターリン時代を誇りに思っていると回答する。民主的ロシアが近い将来、現れることはない」
キーウ市内に建つ巨大な対ナチス・ドイツ戦勝記念碑「祖国のモニュメント」。盾に描かれていたソ連の国章が、8月初め、ウクライナの国章に取り換えられた(筆者撮影)
キーウでは先進7カ国(G7)のある国の在ウクライナ大使にも話を聞いたが、クリミア奪回について、「クリミアは象徴的な意味を持つ。軍事的に奪回することは難しいが、射程が長距離の最新兵器で不安や困難を生じさせれば、いつか、ロシア軍が撤退するという可能性もなくはない」と言う。
この大使も、「ウクライナ人はロシアに対するあらゆる幻想を失った。ウクライナ社会は全面的に戦争を支持している。この状態は続くだろう。ウクライナ人は信じられないくらい頑固な国民」とウクライナの継戦意志は固いという見方を示した。
政権担当者や知的階層のナショナリズムは強く、ロシアに対する不信感は根深い。今後の戦争の展開がどうであれ、この基本的な考え方の枠組みが崩れることはないだろう。
キーウ中心部、聖ミハイル黄金ドーム修道院の前の広場には、ロシアから捕獲した兵器が置かれ、親子連れが記念写真を撮る姿が見られた。日本人にとって戦争とはどこか無縁の世界の、倫理的に否定する対象でしかないが、ウクライナ人にとって戦争は、すっかり日常の一部となっている。
キーウ市内に展示されたロシアから捕獲した兵器(筆者撮影)
国立歴史博物館を訪れると、展示はほぼ戦争関連のもので占められていたし、市内の至る所に兵士の写真とともに戦意を鼓舞するポスターが掲げられていた。
言論の自由が保障されているウクライナであっても、戦時下のこともあり、本当の感情を話すことをためらわせる雰囲気もあるのだろう。
戦時下の国民感情
国民の意識を知る一つの手がかりは世論調査だが、国営メディアのウクルインフォルムが報じるキーウ国際社会学研究所の世論調査(調査期間2023年5月26日〜6月5日)によれば、「ウクライナはどのような状況下でも領土を断念すべきではない」84%、「一定の領土の断念はあり得る」10%となっている。
他方、徴兵逃れが相当程度広がっていることも、報じられている。読売新聞(2023年8月21日付)によると、8月には徴兵逃れに絡む112件の汚職で、徴兵担当者33人が訴追され、国内各地域の徴兵責任者全員が解任された。
国民の大多数が領土奪還を望んでいることは事実だが、肉親や知人の犠牲、国内外での避難生活が続く中、戦争が長期化するにつれて、「戦争疲れ」が広がるとしても不思議ではない。
(三好 範英 : ジャーナリスト)