日本が調査、ジャワ島鉄道「準高速化」空しい結末
ジャカルタ近郊の複々線を行くインドネシアの在来線特急列車。日本が調査を行ったジャワ北幹線の準高速化事業は国家プロジェクトとしては白紙撤回されることになった(筆者撮影)
7月下旬、インドネシア政府は日本が調査を行ってきたジャワ島の在来線鉄道、北幹線のジャカルタ―スラバヤ間のスピードアップを図る「ジャワ北幹線鉄道準高速化事業」について、国家戦略プロジェクトから削除する方針を表明した。
今後、ジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領が正式にサインすることで、国家プロジェクトとしてのジャワ北幹線準高速化は白紙撤回され、人知れず始まったプロジェクトはこれまた人知れず歴史の彼方へ消えていくこととなる。
「ジャワ北幹線準高速化」事業とは?
同事業は2016年の伊勢志摩サミットに前後して急浮上した。そして2017年1月、ジョコウィ大統領と安倍晋三首相(当時)の会談の中で日本とインドネシア合同で行う旨が合意され、同年8月にはJICAによる「ジャワ北幹線における都市間鉄道準高速化に向けた情報収集・確認調査」としてスタート。2019年6月からは「インドネシア国ジャワ北幹線鉄道準高速化事業準備調査」として、さらなる具体化のための事前調査が始まった。インドネシア側では両者ともにフィージビリティスタディ(F/S)と呼んでいる。
このプロジェクトはあくまで在来線の高速化で、高速鉄道建設ほどのインパクトはなく、日本のメディアでもバンドンからの高速鉄道延伸と混同して報じているところすらあった。本事業に対する関心の低さがうかがえるが、結果的には日本がF/S調査を行ったもののいったん計画が白紙撤回され、その後中国が受注したジャカルタ―バンドン高速鉄道プロジェクト(日本側での呼称はインドネシア国ジャワ高速鉄道開発事業)とまったく同じ構図となった。
筆者はこの準高速化事業に対して当初から疑念を抱いており、2017年11月29日付記事「インドネシア在来線高速化も中国が奪うのか」、同30日付記事「日本企業が入札できない?鉄道輸出の矛盾点」にて詳報している。両記事共に締めくくりとして日本政府側の態度を批判しているが、結果的に悪い予感は的中した。
事業準備調査の結果、ジャワ北幹線鉄道準高速化事業は以下のとおり事業化の方向性が定められた。
●概要:
北幹線ジャカルタ―スラバヤ間、約720kmを最高時速160km・5時間半で結ぶ
●方式:
軌間1067mm・非電化、準高速列車専用の単線高架(バラストレス)を在来線に横付け
●停車駅:
ジャカルタ(マンガライ)・チカンペック・チルボン・スマラン・スラバヤ(中間駅は建設費圧縮のため2面3線)
●車両:
電気式気動車6両編成22本(営業時は2編成併結での運転を想定)、インドネシア側が求める国産化率に対応、ローカルコンテンツの活用を検討する
●車両工場・基地:
重検査用の工場1カ所、および留置及び日常検査の車両基地2カ所
●信号システム:
高速進行現示対応の多灯式信号の導入、保安装置はATS-P、インドネシア側が求める国産化率に対応、ローカルコンテンツの活用を検討する
●建設計画:
ジャカルタ―スマラン間を第1期、スマラン―スラバヤ間を第2期とし、第1期完成時にはスマラン以東は在来線に乗り入れ(乗り入れ区間は曲線通過速度の向上を図り、最高速度は時速120kmとする)。また、ジャカルタ近郊区間でも在来線(複々線の列車線)に乗り入れとする
●安全対策:
在来線乗り入れ区間の踏切を廃止し、交差道路をアンダーパスまたはフライオーバー化
これは、2017年から行われた情報収集・確認調査の中盤でインドネシア政府に打診した内容をほぼそのまま踏襲した格好だ。
国家プロジェクトから中国絡む「民活」へ
北幹線鉄道準高速化事業は、この事業準備調査に対するインドネシア側の承認を受けてから政府間契約が結ばれ、コンサルティングサービス(基本設計、詳細設計、入札補助、施工監理等)、電気・信号・通信設備、車両調達へと進むはずだった。土木工事にはインドネシア側の予算で実施されることが検討されていた。だが、円借款事業として次のステップに進むことはなかった。
同事業が国家戦略プロジェクトから外されたということは、円借款はおろか、インドネシア政府予算の投入も事実上、不可能になった。今後、インドネシア側が同プロジェクトを進めるとすれば、ジャカルタ―バンドン高速鉄道のように政府保証を求めない完全な民活プロジェクトとして進めざるをえないということになる。そして、民活での準高速化を進めることがほぼ決定しつつある。
8月5日、運輸省鉄道総局は、インドネシア鉄道(KAI)とマレーシア政府間で在来線の時速160km対応に関する協力覚書を締結したと発表した。マレーシア鉄道(KTM)はメーターゲージ(軌間1000mm)で電車の時速160km運転を実現しており、線路条件が近く、在来線高速化の知見を得るには最適と判断されたことは想像にかたくない。
ただ、KTMは現状、自前では技術を持ち合わせておらず、メンテナンスもほとんどを中国中車に丸投げしている状況だ。中国中車はマレーシアに工場(CRRC Kuala Lumpur Maintenance Sdn.Bhd)を置き、時速160km対応の車両をCRRCが製造している。マレーシアとの覚書とはいうものの、実態はCRRCとの技術協力である。KTMの列車本数は極端に少なく、あらゆる運転速度の列車が数分刻みの過密ダイヤで走っているインドネシアとは環境があまりにも異なる。物理的な技術は吸収できたとしても、実際のオペレーションまでできるようになるかは未知数である。
両国ともメリットの少ないプロジェクト
筆者は長らくの間、準高速化事業の日本・インドネシア双方の関係者に聞き取りを行ってきたが、肯定的な意見に出会うことはほぼなかった。とくに日本側にとっては、政府に円借款の金利収入が見込める以外にほとんどメリットがない。
鉄道業界、とくに車両に関してはなおさらだ。2020年9月18日付記事「国が推進『オールジャパン鉄道輸出』悲惨な実態」で記したとおり、日本では電気式気動車は国内需要が少なく、ようやく確立されたばかりの技術であり、まして海外案件に対応できるメーカーがない。ミャンマーの案件では大手メーカーが1社も手を挙げずに、最終的には外国メーカーに頼らざるをえなくなった。しかも今回は時速160km運転対応の高速気動車である。これを政府案件特有の安値受注を承知で入札する企業などない。
インドネシアの車両メーカー、INKAが発表したジャカルタ―スラバヤ間準高速化向け車両のイメージ(INKA発表資料より)
例外は信号関係で、ATS-Pは先行してジャカルタ首都圏に導入予定であり、そこに乗り入れる準高速鉄道は物理的に統一せざるをえないため、この部分は手堅く日本仕様で揃えられるとみられていた。ただ、それ以外の部分はほぼローカル企業で賄えてしまう分野であり、インドネシア側の予算でカバーすることが検討されていた。全体から見れば、やはり日本側にとっての旨味が少なすぎると見られて当然である。また、環境対応が求められる今に、化石燃料を必要とする非電化新線を、しかも単線で建設するとは時代遅れで、日本にとっても恥ずかしいのではないかという意見すら聞こえた。
インドネシア側からしても、このプロジェクトはあまりにも中途半端であるという声が多い。ジャカルタ―スラバヤ間が5時間半になるとはいえ、圧倒的優位なのは所要時間1時間半の航空機に変わりなく、運賃もほぼ同じか、鉄道のほうが高いくらいである。しかも準高速鉄道は単線運転のため、平均して3時間に1本程度しか走らない。
さらに、北幹線の最高速度はインドネシア側の自助努力で2017年以降段階的に引き上げられており、2021年9月には時速120kmに達した。2011年時点で10時間36分かかったスラバヤ―ジャカルタ間の最速達列車の所要時間は、2023年6月には8時間05分にまで短縮されている。また、北幹線は円借款により、複線化、軌道改良が2014年に完成しており、それ以前に比べて2時間半近いスピードアップを実現している。その区間を再び円借款で改良する必要があるのかという視点もある。
そもそも論として、北幹線沿いには中核都市が少なく、既存の在来線のみで十分需要を賄い切れてしまう。準高速鉄道に設置する駅の少なさもそれを物語っている。これで採算ラインに乗せるのはかなり厳しい。2021年になってインドネシア側は電化、標準軌(軌間1435mm)による完全別線方式の北本線準高速化(将来的には高速化)を一時検討し、国産高速車両計画を打ち上げた。ただ、予算や技術的な問題からこの案は立ち消えになった。
技術評価応用庁(BPPT)が発表した電化・標準軌仕様のジャカルタ―スラバヤ間準高速鉄道国産車両のイメージ(BPPT発行の季刊誌掲載ページより)
需要の少ない北幹線
ジャカルタを発着する長距離列車の行き先を見れば一目瞭然だが、北幹線経由の本数は南幹線に比べて少なく、乗車率も低い。よって、インドネシア側は需要の多い南幹線の高速化を図るべきとしており、これはバンドンからの高速鉄道の延伸によって対応する。
実際、ジャカルタ―バンドン高速鉄道に中国案が採用される以前から、インドネシア側はバンドンから先の延伸についてはいったんチルボンで北幹線と合流した後は同線と離れ、プルウォクルト・ジョグジャカルタ・ソロ・マディウン・ジョンバンと南幹線の中核都市需要を小まめに拾い、スラバヤに至るルートを主張していた(当初の日本提案はチルボンから先は北幹線に並行するルートだった)。
ジャカルタ―バンドン間高速鉄道は近く開業の見込みだが、それに合わせてバンドン以東も着工の機運が高まりつつある。高速鉄道は中国仕様で建設されているため、延伸する場合は引き続き中国式のシステムと車両を採用することが前提となるが、タイド調達を求めない欧州や、国際金融機関などが延伸への参入に関心を持ち始めている。日本は中国案採用の経緯からして、政府としていっさい関わらない方針を貫いているうえ、日本式のシステムを中国仕様の路線につなげるなどといったことは業界が絶対に許さないであろうから、延伸に日本が参入する可能性はゼロに等しい。
いずれにせよ、「フル規格」の高速鉄道がスラバヤに到達するのであれば、わざわざ北幹線までも国家予算で準高速化する必要はないという判断である。
それにしても、どうして北幹線準高速化でまたも高速鉄道と同じ失敗を繰り返そうとしているのか。筆者は、どちらの原因も根底にあるものは同じと考えている。
結局は、インドネシアが求めていないものを日本側が提案して押し付けているということに尽きるだろう。高速鉄道にしても当時は時期尚早と判断されて国家戦略プロジェクトから削除されていたし、北幹線準高速化については高速鉄道での雪辱を果たさんとする安倍首相(当時)の精神論的部分があまりにも強すぎたように見える。
中国が受注したジャカルタ―バンドン高速鉄道。開業に向けて試運転が進む(筆者撮影)
1つのプロジェクトに対して案件醸成だけで5〜10年かかることはざらにあるが、突如の合意から具体化ありきで半年後にF/Sが始まるのは異例と言わざるをえない。インドネシア政府側が日本をつなぎ留めておくためにバーターとして北幹線準高速化事業を提案してきたという側面もあるが、突如降って湧いたような話に感情論から乗ってしまったことが間違いである。
日本には、ジャカルタMRT南北線、東西線という勝算あるプロジェクトがあるのだから、それらに集中するべきだった。不要不急、真偽不明のプロジェクトにわざわざ足を突っ込む必要などなかったのである。そして、仮に都市鉄道、高速鉄道双方を受注していたら、それこそ人材不足で現場は回らなくなっていた。
誰のためのプロジェクトなのか
日本の開発援助の基本は要請主義なのではないかと言われるかもしれない。しかし、厳密に要請主義が採られるのは、本体着工などに関わる円借款契約からである。それ以前のコンサル業務は日本の予算で実行されるため、ある程度は日本の主導で進めることができると言われている。実態はほとんど日本の都合で進められているほうが正しいかもしれない。
このような状況をコンサルのマスタープラン(M/P)策定案件にかけて、業界にはマスターベーションプランと揶揄する人もいる。つまり、事前のF/SやM/P策定などの部分と、本体の着工には継続性を求められていない。極端な話、F/Sまでやるのは日本の勝手、その先を決めるのは相手国である。
よって、今回のような事例は氷山の一角に過ぎない。インドネシアだけ見ても、政府に承認されなかったF/S、M/P案件などはいくつもある。
ただ、高速鉄道のように注目を集めるプロジェクトでなければ、このような案件はほとんど人目に触れぬまま消えていく。「ODA見える化サイト」に反映されていないことも多い。JICAの調達情報から案件名などで検索しないと詳細情報にたどり着けず、このような状況を世間の目からなるべく遠ざけようとしているように感じる。そんな背景から、大手メディアも積極的に報じようとしない。筆者が2017年に前述の記事2本を公開した際はすぐに大使館から連絡が入り、面会を求められた。もちろん、筆者は事実を書いただけと突っぱねたが、それほどまでに触れてもらいたくなかったのだろう。
JICAとコンサル間の契約は巡り巡って国民の税金が使われている以上、公開されるべきであるが、一部の案件は契約額すら伏せられている。準高速化事業準備調査も本稿執筆時点で入札選定結果は空白のままだ。しかし、各コンサル契約では億単位の金が動いており、本体着工に至らなかったプロジェクトではそれが誰のためにも使われず、JICAからコンサルに支払われて終わっているのである。
そして、相手国はF/SやM/Pを承認しなくても、成果物として受け取ればそれを煮るも焼くも自由である。だから、設計書類がそのまま流用されるということが起きる。政治家や官僚の自己満足、そしてJICAの天下り先になっているコンサルの仕事づくりのための建前だけの要請主義は、今こそやめるべきである。そして、鉄道を国家の威信と政治の駆け引きのために使うべきではない。一体誰の金で誰のために鉄道を造っているのか、よく考えたほうがいい。
旧態依然のODAはもう限界だ
戦後賠償を源流とする日本の開発援助だが、つまるところ、目的は戦争で疲弊した日本の国内産業の活性化と輸出市場の確保だった。それが批判されることもあるが、当時の途上国が求めていたインフラの近代化や生活水準の向上は、外国からの資金や技術なしに成し遂げられるものではなかった。よって、双方は相互利益の関係で結ばれていた。
しかし、日本の国内産業は成熟し、リスクを負って海外に出ようとする力は減退した。一方で東南アジアを中心とする新興国は急速な経済発展を遂げ、自国予算と自国技術である程度のものは造れるようになった。中には、被援助国から援助供与国側に立場を変えつつある国もある。
そんな情勢変化の中で、旧態依然の日本式政府開発援助(ODA)は限界に来ているのではないか。少なくとも、ハコモノ依存の開発援助からは脱却しなければならない。そんなものは、インドネシアをはじめとする東南アジアの国々ではもはや自前でできる範疇なのだ。
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(高木 聡 : アジアン鉄道ライター)