20日、第21代自民党総裁に選出された安倍氏。(撮影:吉川忠行)

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20日午後2時50分、自民党の新総裁として安倍は満場の拍手を受けた。当選時51歳、そして今日はくしくも安倍の52歳の誕生日だ。門出の祝福を受けたということだろうか。

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長官と副長官の対立

 それにしても、当選5回、議員歴13年の男が自民党総裁にまで一気に上り詰めたということは、政党史、政治史にも残る出来事に違いない。何が彼に“幸い”したのだろうか。

 10年ほど前までは「外務委員会でキャンキャン吠(ほ)えていた、ただのお兄ちゃん」(全国紙デスク)と回顧された安倍は実際、そう目立つ存在ではなかった。名前を一気に押し上げたのはもちろん、拉致問題以外にありえない。

 父君である安倍晋太郎幹事長(当時)を拉致被害者である有本恵子さんの両親、有本明弘・嘉代子夫妻が訪ねたのが1988年9月。ワラにもすがる訴えを聞いてくれただけでなく、忙しい父親に代わって夫妻の声に耳を傾けた安倍は以後、この問題に真摯(しんし)に取り組んでいく。その後も被害者家族会の面々が「政府や党、また家族に対してもまともにモノを言いよるのは、安倍さんだけやからな。信頼して当然やろ」(有本夫妻)と声を重ねていくのは、誇張でも何でもなかった。

 これも何回も報道されたことだが、日本に帰った拉致被害者5人の北朝鮮帰国方針に対して、最後まで頑強に反対したのは安倍と中山恭子内閣府参与(当時)の2人。これは、本人も周囲の関係者も認めている。さらにこれも新聞記者たちの証言だが、“帰国派”だった福田康夫官房長官(同)と田中均・アジア大洋州局長(同)に対する安倍の対決姿勢はすさまじかった。

 「この問題の打ち合わせの時は、福田は机をたたいて激昂し、イスを蹴り上げたらしい。何だかモノが飛んだとの話もあるよ」(全国紙論説委員)と、かなりの対立があったことは既知の事実。一方の安倍の「正論はあくまで正論だ」(側近記者の証言)との主張は、国民の強い支持を受けて「戦う政治家」「信念を曲げない人」との評価を強固なものとした。そして、続いた安倍人気である。

安倍をかわいがった小泉

 一方、ここで考えておきたいのは安倍の活躍の場を作った小泉首相の強い“推し”のことである。こんな証言がある。

 安倍が官房副長官を拝命した第2次森内閣の組閣日(2000年7月4日)。小泉首相の同窓で非常に親しい政治評論家の浅川博忠氏は、閣僚名簿の発表を小泉と一緒にテレビで見ていた。

 「浅川ちゃん、この内閣の目玉は誰だと思う」と小泉。「誰って、外務か大蔵あたりかな。それとも女性大臣か?」と浅川氏。

 「違う、違う。安倍だよ、副長官の安倍。俺が推薦したんだ」と、小泉はニヤリと笑って答えた。浅川氏は「小泉はよほど安倍を気にかけているんだな」と思ったという。

 では、なぜ、小泉はこうも節目で安倍を重用してきた(03年9月の党幹事長登用は驚天動地の人事)のだろうか。以下は、浅川氏の分析。

 「同じ派閥で福田(康夫)も世話になった福田赳夫元首相の子ども。ただ、小泉はその元首相の後を襲った派閥の領袖(しゅう)の安倍晋太郎に特別な思いがある。小泉は当時から跳ねっ返りで、派閥の会合で問題発言を重ねることが多かった。ところが安倍は、会議が終わってからそっと小泉を呼び『純ちゃん、ああいう話はちょっとマズイかもしれないな』と優しく諭した。そんなところは、晋太郎は本当に優しく、気配りのある人だった。そこに恩義を感じているのだと思う」

 一方で、福田は小泉が一年生議員の時には既に父親の秘書。歳が上のこともあり、呼び捨てにはできない。自分の地位に照らして、福田元官房長官の使い方に一種の“ねじれ”があったためではないかとの見方だ。

 話を戻して、安倍が官房副長官だった頃の周辺の印象も拾ってみたい。

 当時の副長官番記者だった、テレビ朝日政治部の山本志門記者(31)はこう語る。

 「当時、拉致問題が渦中の時で彼はヒーローでしたからね。スラっと背が高くてさわやかな印象は受けました。記者との懇談も大事にしていた人だったと思います。ただ、嫌いなマスコミや人物にはハッキリと敵意は表していた。温厚な人柄なんですけど、自分の経験や年齢もあり、なめられたくないとの意識があったんじゃないかな。余談ですけど、晋三さんは奥さんともども、西田ひかるのファンみたいですよ」

 次回でも触れることになるが、巧妙を極めた小泉首相のマスコミ戦略のDNAは安倍新総裁にも受け継がれているようだ。ある意味で、対マスコミ対策が内閣の命運を左右する一つの条件になるかもしれない。(文中一部敬称略)

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 (次回は22日掲載予定)

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