新潟方面にスキー旅行に行く途中。(1975年ごろ)

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早いもので8日の自民党総裁選告示から数えて11日。明日の総裁選挙で、安倍晋三官房長官が自由民主党第21代の総裁に就任する。これだけの若さ(51歳)で、またこれだけの短期間に総裁=総理大臣にまで上りつめた例はかつてない。安倍晋三というのは、果たしてどんな人物なのか。節目に関わった友人、関係者の証言等を基にして、その人間性を点描してみたい(文中一部敬称略、参考文献は最終日に掲載)。

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やさしいサラブレッド

 ここに1枚のセピア色の写真がある。当時の流行(はや)りの服装だった、アイビー調に全身を固め、人なつこそうな笑顔で友人の体に寄り添う安倍。これは、大学2年当時、親しかったクラブ仲間4人とともに新潟・湯沢にスキー旅行に出かけた時のものという。車は安倍のマークIIだった。

 安倍の人付き合いの良さは格別のものがあった。ただ、その性格はおとなしく真面目だった、というのが多くの友人に共通の見方のようだ。

 大学で所属したアーチェリー部の同期生・浜部千秋氏(52)はこんな思い出を語っている。

 「同じクラブなのですぐに知り合いにはなったんですが、特別に目立つ存在ではなかった。早口で、上から下までアイビー姿のメンクラ(メンズクラブ)から飛び出してきたような姿が印象的。ただ、付き合いは良かったですね。私が安倍晋太郎の息子だということを知ったのも1年近く経ってからぐらいで、全然ぶらないし、冗談もよく飛ばすいい奴だとの印象ですよ」

 浜部氏は、前記のスキー旅行と同様に、クラブ仲間と一緒に安倍と何回か旅行に出かけている。やはり大学2年当時に遠出をした、富士急ハイランドへのスケート行もそのひとつ。

 クラブの2年生のほぼ全員(14人ほど)で出かけたというが、その帰りに安倍はクラブの仲間たちを、御殿場にあった祖父の家、つまり岸信介邸に招いている。

 「表札に『岸信介』って出ている家に大勢で泊めてもらいました。マントルピースのある広いリビングに招き入れられて、みんなで飲んだり食べたりしていた時も安倍はワンオブゼム。まるでそれが当たり前のように、自然体で振る舞っていた。家柄が良いというのは、こういう事なのかと妙に感心した覚えがありますね」

誠実な人柄と協調性

 安倍晋三官房長官は、2歳上の長男(寛信)と同様、小学校から成蹊学園に通った。この成蹊ボーイとして高校、大学(法学部政治学科)を通しての付き合いがあった鈴木茂之氏(52)も、安倍の人間性に同じような感想を抱くと話す。

 「おとなしくて真面目な人間でしたよ。そして、そういったタイプのグループに属していましたね。ただ、周りも政治家の息子だと意識はしていなかったし、本人も威張ったりはしない。成蹊はもっと自由で、差別のない学校だったからね」

 鈴木氏は、高校時代は同じクラブ(地理研究部)、大学時代も同じゼミ(行政学・佐藤竺教授)に属していた。前出の浜部氏も一緒にいて政治的な話を聞いたことはないというが、これは鈴木氏も同じような思い出を話す。

 「誰かとは話していたのかもしれないが、おとなしいタイプなので発言も余り印象に残ってはいませんね。僕たちはお兄さんがいることを知っていたから、てっきりお兄さんが政治家を継ぐものと思っていたんですよ。人前で話すのが得意なタイプにも見えませんでしたからね」

 ところが、鈴木氏も安倍が衆院議員になり、しばらくして北朝鮮問題などで積極的に発言する姿に驚かされることになる。

 清和会(森派)の取材経験の長い政治評論家の浅川博忠氏は、安倍家が二男を政治家向きと判断したことについては「お母さんの洋子さんの意向が働いたといいますね。洋子さんは彼を“未完の大器”と考えていたようです」と話す。

 この話に呼応するかのように、「真面目でおとなしい」と評される一方だった安倍は、自分の強い意志を幹部政治家として発言するようになった。「血筋かな。自分の意見をきっちりしゃべっているのを聞いて、少し驚いた」(鈴木氏)と、以前とは違う成長ぶりがかつての仲間をとらえることになる。

 しかし、その人柄に対しては、揺るぎない評価もついて回っているようだ。

 「誠実で行動力のある人。人との和を大切にする奴ですね」(浜部氏)との言葉は、何人かのクラブ仲間にほぼ共通する。そして「変わっていないところは優しさ、思いやり、気遣いのあることかな。そういうところは細かい人ですよ」とは鈴木氏の言。

 その格別な“優しさ”は、政治の場にどのような結果をもたらすのだろうか。(つづく

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