土佐料理を前に、山本一力に初めて会ったときのこと 『ほかげ橋夕景』(山本 一力)
土佐の女性は酒と話が好きである。だから、土佐で有名な皿鉢(さわち)料理には前菜からデザートまでがすべてひとつに盛り込まれている。それはその家の主婦がどんと大皿一枚を出して、あとは酒だけを持ち込み、客とともに主婦も一緒に座を楽しむための工夫である。
山本一力に最初に会ったのは、そんな美味しい土佐料理を前にしてであった。その席は、山本一力と小学校時代に同じ教師に学んだ私の友人が、四国土佐の長宗我部家の末裔である私を山本夫妻に紹介するために用意してくれていた。そして、山本一力フアンであった私はいそいそと出掛け、酒と肴の勢いもあり長宗我部家に伝わる話を、その時脈絡もなくしてしまったのである。彼はうつむき加減に、静かに聞いていたが、ふいと顔を上げると「“銀子三枚”と、“たもと石”の話、この二つは小説にしましょう。」といった。
書き進むきっかけがひらめいたのだと思うが、タイトルになる言葉を切り取る感覚には感服した。本書に収録された『銀子三枚』は平成二十二年度の日本文藝家協会編『代表作時代小説』(光文社)に選ばれた。『たもと石』は四国の覇者、長宗我部元親の妹、養甫にまつわる話で、『朝の霧』(文藝春秋)の最終章に収まっている。
本書『ほかげ橋夕景』には、表題作をはじめ、『銀子三枚』や『藍染めの』、それに晩年の清水の次郎長の知られざる挿話『言えねえずら』など八本が収録されているが、それらの作品のいずれもが、冒頭から数枚読むだけで、すっと作品の時代に引き込まれていく。
表題作『ほかげ橋夕景』は、深川山本町の堀に架かった五ノ橋で、その西詰に常夜灯があるいわゆる「火影橋(ほかげばし)」が舞台装置として使われている。大工の傳次郎(でんじろう)の娘のおすみが主人公だが、その常夜灯が置かれた橋を火影橋と名づけたのは今は亡き傳次郎の妻でおすみの母親であったおきちだ。彼女はかつて両国橋西詰の料亭で働いていた。この作品を読んでいると自然に、人情の町、深川の川風が吹いてくるような錯覚にとらわれる。
山本一力の『ほかげ橋夕景』でのテーマは、引き継がれてゆく親子の思いと下町の人情風景、である。それはおきち夫婦からおすみへと受け継がれ、そして近く所帯を持つであろう、おすみ夫婦からまたその子へと、時代を経て繫がっていくことを思わせる。ラストが印象深い。
肩に担いだ道具箱が、軽やかにカタンッと鳴った。
おすみは紅だすきに手をかけた。
「肩に担いだ道具箱が、軽やかにカタンッと鳴った。」で終わってもよい。けれど、おすみが紅だすきに手をかけるという姿を描いて、さらに次に続いていく流れを作っているところが山本一力らしい。
この手法は、長宗我部元親の家臣であった、波川玄蕃の内乱を描いた『朝の霧』の最後の場面にもでてくる。夫の玄蕃、それにわが子までも兄である元親に殺されて、失意のどん底に落とされた養甫が、焼け落ちた玄蕃の城影を映す仁淀川の河原の小石を、たもとに入れる、という動作と、「明日もまた、石を拾いに参ります」という養甫の言葉で、この小説は終わる。この幕切れの演出は、余韻を残す。
『藍染めの』は、伊勢型紙彫り職人である佐五郎の一途な愛が描かれている。親方の娘さゆりは「白桃のような甘い香り」を漂わせている美しい娘。だが、不幸にもその娘は、佐五郎ではなく、商品を納めている吉野屋の息子に恋心を抱いている。さてこの苦しい恋のねじれをいかに解いてゆくか。むろん娘の父親である親方はしきたりに厳しい職人中の職人である。山本一力はこうした人物を描くのが得意だ。そして、その下町の人々が作り上げていく世界が、また心地よい。
最初に山本一力の作品に私が出会ったのは、直木賞を受賞した『あかね空』である。徳川将軍のお膝もと、「貧乏人が助(す)けあって暮らす町」である深川に関西訛りの大柄な男、永吉が突然やってきて、京豆腐を売り始める。冒頭の長屋の情景描写から、切れのよいタッチで物語は進んでゆく。まるでそこに舞台のセットがあって、人情深い人々が相次いで登場し、粋な芝居が眼前で繰り広げられていくような筆致が気に入って、一気に読み進んでしまった。そのうえ、亀戸天神で迷子になり、その行方がわからなくなってしまった息子を永吉にかさね、そっと陰から永吉の手助けをし続ける相州屋夫婦の存在をはじめ、大団円に向かう幾重にも計算された筋立てには泣かされた。ディテールもきっちりと書き込まれている。卓越した構想力が感じられる、すごい作家が出てきたと思った。
その作家に土佐料理の店で会え、さらに伝えたかった話が本当に小説になった。
『銀子三枚』について述べる。
読み始めて、書き出しの場面で私は突如体が震えるような感覚に襲われた。『銀子三枚』は、長宗我部元親の末弟で、私の先祖にあたる長宗我部親房(別名島親房)の三代目である與助(小説では嶋璵介)が主人公になっているが、その時代に漂っていたピンと張りつめた空気が、読み始めると同時に私に伝わってきた。そうか、こういう思いをして、與助は時の藩主である山内家、ひいては徳川政権に、與助の父、五郎左衛門と自分の「差し出し」(身上調書)をしたためていたのか。あたかも與助が文机に向かっているその場に私が引き出され、凜とした彼の後姿を見せつけられているような不思議な感覚に、陥った。物語の展開には、その時代の生きた空気が必要である。山本一力はいとも容易にそれを生み出す。
この物語に登場する五郎左衛門には謎が多い。彼が長宗我部家の血を引く人物であり、親房の後を継いでいることは、山内家の二代目忠義から手紙をもらっている史実などからもわかる。だが、それは間接記録によるのであって、この五郎左衛門本人が直接記したものは何も見当たらない。というか消し去られてしまっている。逆にそういうことからもこの人物は、長宗我部家の血の流れの中で重要なカギを握っていたと推察できる。作家として山本一力がその謎の一面を大胆に解き明かしたのがこの『銀子三枚』である。また、山内家から五郎左衛門が隠居に際して頂戴したという報奨金の銀子三枚を、息子の與助はいったい何に使用したのか。山本一力は答えをこの作品の中で出している。その着想にうならされた。
山本一力の作品には悪人があまり登場しない。やくざでさえその心根は太く優しい。ささくれ立った現代に、安心して読める作品であるのはそのためでもあると思う。また登場する主人公はほとんどが夫婦仲が良く、家族の絆が強い。二〇一二年には一家そろってアメリカに渡り、国道66号線四千キロの長旅を実行されたという、作家の実生活がそうだからでもあろう。