ハンバーグ(写真: kuro3 / PIXTA)

日本の洋食における代表的メニュー、ハンバーグ。ハンバーグは戦前から存在しますが、かつてはさほど存在感のない、マイナーな料理でした。

“戦前、街の洋食屋でひき肉料理といえば、メンチボールに決まっていたもんです(中略)メンチボールといっても、お若いかたにはおわかりにならないと思いますが、丸い形のハンバーグと考えてくださればいいんです”(茂出木心護『洋食やたいめいけんよもやま噺』)

1911(明治44)年生まれの、老舗洋食店「日本橋たいめいけん」創業者・茂出木心護の証言です。戦前はハンバーグではなく、ハンバーグによく似た丸い「メンチボール」という料理が人気でした。

下は、1918(大正7)年生まれの紙芝居作家・加太こうじの証言です。

“ハンバーグステーキは、日本では太平洋戦争後、さかんに食べられるようになった(中略)太平洋戦争中までは挽き肉の西洋料理といえばメンチ(ミンチ)ボールだった”(加太こうじ『江戸のあじ東京の味』)

明治時代のメンチボールについて、1894(明治27)年生まれの風俗評論家・植原路郎は、こう解説しています。

“メンチボール Minceboll(原文ママ)(英) 「西洋一品料理」が登場したころの花形の一種。今日のハンバーグ・ステーキの材料をボール型にしたもの”(植原路郎『明治語録』)

イギリスからやってきたメンチボール

カレーライスにウスターソースにスープにシチュー。明治時代の日本において、いちばん最初に普及した西洋料理は、イギリス料理でした。なぜフランス料理などではなくイギリス料理だったのかについては、拙著『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』を参照してください。

メンチボールもまた、mince ballという英語が示す通り、イギリスからやってきた料理です。ただしmince ballは和製英語。イギリス本国ではforcemeat ballといいました。

forcemeatとは「つくね」のこと。19世紀のイギリスでは、鳥獣肉、魚肉などとさまざまな物を混ぜた「つくね」=forcemeatを、ソーセージやロースト料理やパイの詰め物として使用していました。

そしてforcemeatを料理の主役とする場合は、ボール形に丸めて使うことが慣例となっていました。丸めたforcemeatはスープやカレーの具に、あるいはそのまま揚げたり焼いたりして食卓にのぼりました。

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1894年の『Cassells New Universal Cookery Book』よりforcemeat ballの説明

日本では、イギリスの多彩なforcemeat料理の中から、挽肉につなぎとしてパン粉や鶏卵や小麦粉を混ぜ/あるいはまぶし、フライパンで焼いたforcemeat ball=メンチボールが定着することとなります。

フランス風ハンバーグとアメリカ風ハンバーグの違い

こうしてメンチボールが日本で定着した一方、一部の店では戦前からハンバーグを提供しており、戦後に入りこのハンバーグが一気に広まっていきます。

1912(大正元)年生まれの作家・三宅艶子は、子どもの頃銀座の洋食店「凮月堂」および「富士アイス」において、ハンバーグを食べた経験があります(三宅艶子『ハイカラ食いしんぼう記』)。

西洋菓子店「米津凮月堂」のレストラン部門「凮月堂」は、フランス料理を中心とした店。三宅が食べたハンバーグは、おそらくフランス料理のハンバーグだったと思われます。

一方の「富士アイス」は、ホットドッグやハンバーガー、ショートケーキやホットケーキを出すアメリカ料理の店。ここで出されるハンバーグは、アメリカ流の「ハンバーグ・ステーキ」でした。

フランスとアメリカ、2つの国から日本に渡来したハンバーグ。両者には次のような違いがありました。

相違点(1) 名称

フランスでは「h」を発音しません。従ってHambourgはハンバーグではなく「アンブー」と発音します。

また、当時のフランス料理名は「(材料)のハンブルグ風」と呼び習わしていたので、近代フランス料理の父エスコフィエの『Le Guide Culinaire』(第4版)におけるハンバーグの料理名は、Beefsteak à la Hambourgeoise(ビーフステイク・ア・ラ・アンブルジョワーズ)となっています。

一方のアメリカでは、Hamburg steak(ハンバーグ・ステーキ)とよびます。

相違点(2) ソース

フランス料理店においては、日本の洋食店のように卓上に調味料が並ぶということはありません。料理はさまざまなソースなどであらかじめ味かつけられています。

一方のアメリカにおいては、ケチャップやマスタードなどの卓上調味料で自分の好みの味をつけます。そしてイギリス料理の影響を受けていたかつてのアメリカの卓上には、日本と同じくウスターソース類も存在していました(拙著『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』参照)。

トマトケチャップとソースで食べる

“ニューヨークの人達は、今とてもハンバーグがお好き”

『主婦と生活』1950年9月号所収の「ほんとにアメリカ不思議なお国(その六)」には、ハンバーグ・ステーキが国民食であったころのアメリカの食生活が描かれています。

“次にキャフェテリヤにご案内しましよう。これは、お給仕人なしに自分で給仕する食堂で、大抵の大衆食堂はこの式になつています” 

当時のニューヨークの食堂はカフェテリア方式が全盛でした。そこでの代表的メニュー“ハンバーグステーキ“は50セント。

“トマトケチャップ、ソース、からし、鹽、コショーなどは、各食卓にちやんと用意されています”

ニューヨークの人々は、ケチャップやソースで思い思いに味をつけながら、ハンバーグ・ステーキを食べていました。

先日、昭和時代にハンバーグを食べた方限定で、「昭和のハンバーグの(主な、頻度の多い)調味料は何でしたか?」というアンケートをTwitter上でとりました。


アンケート結果

2754人にご回答いただいた結果、87%の方が、トマトケチャップもしくはウスター(中濃、とんかつ)ソースで調味していました。

「ハンバーグ」という名称、ケチャップやソースによる味付け。戦後の日本で人気となったハンバーグは、アメリカ料理のハンバーグ・ステーキだったのです。

アメリカには、ソールズベリー・ステーキ(Salisbury steak)という、ハンバーグ・ステーキによく似た料理も存在します。

ハンバーグ・ステーキとソールズベリー・ステーキ、双方のレシピが掲載されている戦前のアメリカの料理書(『The Art of Cookery』、『A Text-book of Cooking』)を読み比べると、両者にはタマネギを使用する(ハンバーグ・ステーキ)、しない(ソールズベリー・ステーキ)という違いがあります。


1896年の『The Art of Cookery』(左)と1915年の『A Text-book of Cooking』(右)

料理書によってはタマネギを使用しないハンバーグ・ステーキレシピもありましたが、日本ではタマネギを使うハンバーグ・ステーキが定着したようです。

戦後、ハンバーグは国民的洋食へ

“太平洋戦争後、占領軍としてきたアメリカの兵隊たちが、ハンバーグを好んで食べたのを日本人がまねて、メンチボールにとって代るハンバーグの全盛になった”(加太こうじ『江戸のあじ東京の味』)

今では想像もつきませんが、かつてのアメリカ人は、国民食と言ってもよいほど実によくハンバーグ・ステーキを食べていました。戦後日本の洋食における挽肉料理の主役が、メンチボールからハンバーグに交代した理由は、アメリカの影響によるものでした。

そしてハンバーグが今日のような国民的洋食にまで上り詰めた背景には、戦後のベビーブーム、団塊の世代の誕生があったのです。

『戦後に食べられた「ハンバーグ」その驚きの中身』に続きます。

後編は6月7日(水)に配信予定です

(近代食文化研究会 : 食文化史研究家)