子供の「発想力を狭める」親の超もったいない言動
周囲の大人の「子どもはこうあるべき」という固定観念が、子どもの自由な発想や行動を制限してしまっているかもしれません(写真:Graphs/PIXTA)
「勉強好きな子どもになってほしい」「読書家な子どもになってほしい」
自身の子どもに対し、このように願ったことのある親は少なくないでしょう。しかし、現実はそう甘くないもの。どうすれば、学ぶことを億劫がらない子どもに育てられるのでしょうか?
娘のSayaちゃんがわずか6歳で世界的絵画コンクールで最優秀賞を受賞し、現在は教育事業も手掛ける池澤摩耶さんは、自身の子育ての体験を通じて、「褒めるよりも、驚くことが大事」「大切なのは結果よりも、プロセスなんです」と語ります。
池澤さんの著書『イギリスが教えてくれた 小さなサプライズが子どもの才能とやる気を引き出す 「ひとつのケーキ」と「アート思考」 』より一部抜粋・再構成してお届けします。
ストーリーを耳から理解する難しさ
読書に関連してよく「読み聞かせはしたほうがいいですか?」と聞かれることがあります。読み聞かせによって子どもの言語発達が促進され、聞く力の向上、読書量の増加などの効果があるとわかってきているそうです。
ただ私は「読み聞かせ」はほとんどしませんでした。仕事をしていて、あまり時間が取れなかったこともあります。その代わりイギリスのナーサリーや小学校では、読み聞かせの時間がありました。
どんな本を読むのかというと、絵本だけでなく、「これ全部読んだら先生の声、かれるよね」と思うほど分厚い児童書。1時間の授業では最後まで読み終わらないので、「続きは明日」という感じで1章ずつ読んでいました。
読み聞かせの授業は、ただ本を読んで聞かせるだけ。その後に子ども同士で話し合ったり、先生の解説があったりするわけではなく、読んでおしまい。でも子どもたちは、途中で終わった物語について頭の中でずっと「次はどうなるんだろう?」と考え、目を輝かせています。大人が「おもしろいドラマの続きが観たい」と思うのと同じ。子どもはすぐに想像ワールドに入り込み、隅から隅まで探検に行くでしょう。この探検こそがかけがえのないほど大切で、大きくなるにつれできなくなってしまいます。
最近では大人向けにも本を読み聞かせしてくれるシステムやアプリがあり、運転中やジムで走っている間、料理中などにも本が読めます。使ってみた人にはわかると思うのですが、これがけっこう難しくて、一瞬でも気が逸れると、話についていけなくなります。
本を読んでもらって耳だけで聞いて内容を理解し、その情景を思い浮かべ、登場人物たちの性格や細かな描写まで読み取るのは大人でもハードです。視覚を使わず聴覚のみを使って想像の世界へ旅ができるということは、特技になるのではないでしょうか。私も料理をしながらアプリでサスペンス小説などを聞いていますが、主人公と犯人がついに出くわす場面などでは、必ず料理を焦がしてしまいます(笑)。
イギリスでも日本でも人気の「読み聞かせ」
日本の小学校受験では「お話の記憶」という試験項目があります。子どもがお話を聞き、理解し、覚え、問題に取り組みます。普段から耳だけでもお話の世界に入れる癖がついている子どもにはさほど難しくありません。読み聞かせに慣れていない大人より子どもの理解は早く、内容もよく覚えていますよ!
イギリスの公立図書館でも、ほぼ毎日「ストーリー・タイム」という読み聞かせの時間がありました。小さい子どもたちがカーペットの上に座り、図書館の人が本を読んで聞かせてくれるもので、どんな図書館でも毎日行っている人気のイベントです。
こうして振り返ると、Sayaは私が読み聞かせをしなくても、いろいろな機会にさまざまな本を聞いていたのだと思います。
イギリスの絵本の表紙には2次元バーコードがついているものがあり、それを読み取るとプロの音読が始まります。ページをめくるときには小さく音の合図があり、子どもがひとりで好きなときに気楽に本を読めるのはすごくいいと思いました。日本の図書館でも「読み聞かせ」のイベントは人気ですし、朗読劇やオンラインのものなども利用してみてはどうでしょう。
子どもは好奇心旺盛で、頭が柔らかく、さまざまな発想で大人を驚かせてくれます。でも、ときとして周囲の大人の「子どもはこうあるべき」「こうあってほしい」という固定観念が、子どもの自由な発想や行動を制限してしまっていると感じることがあります。
例えば子どもが左右違う靴をはいて出かけようとしたら、どうしますか?
「変だから同じものにはき替えなさい!」
「それを許していたら大人になってから困るのでは」
「しつけをしない親だと私(母)が思われる」
こんなふうに感じる方も多いのではないでしょうか? そして自分の思う通りに行動してくれない子どもに対してイライラしてしまうなんてことも……。これは、きっと靴や靴下は左右セットではくべき、という固定観念にとらわれているからなのかもしれません。確かに左右違う靴をはいたら、少し歩きにくくて危ないかも。もちろん、靴はセットで販売されているものなので、生産側からしたらそのままセットではいてほしいでしょう。
しかしそこをあえて違う組み合わせにすることで生まれる発見や育まれる創造性を大切にしたい時期があります。子どもが一般的な常識と違うことをしたとき、それを容認するか、注意して止めさせるか。私の判断基準は、「他の人に迷惑をかけているか」「親が介入するほどの危険があるか」です。
「左はまだはかないでって言っているから」
実はSayaも4歳のあるとき、出かける前の慌ただしい朝に右足しか靴下をはいていないことがありました。
「どうして右しかはいていないの?」と聞いたら「左はまだはかないでって言っているから」と言うのです。
Sayaの世界では右の靴下さんと左の靴下さんだけでなく足にも感情があって、靴下と足との相性もあることを説明してくれました。その話を聞いた私はその行動に納得し、無理に左足に靴下をはかせるのではなく、「じゃあ、左の靴下さんは後にして、先に歯磨きしようか。歯は全員並んでいて、準備はいいね」と、少し視点が変わるように声かけしてみました。
すると娘も「みんな磨かれる用意はできてまーす!」と張りきって返してくれ、出かける準備が先に進みました。結局この日は右足だけ靴下をはき、出かけました。誰にも迷惑はかけていないし、危険もありません。途中で靴ずれすると困るので、もう片方の靴下は私がカバンに入れて持って行きました。
もしも、このときここで靴下にばかりこだわっていたのなら、きっと不必要なケンカになっていたのではないかと思います。
靴下を先にはきなさいと言う私、まだ足の準備ができていないと言う娘。
母親の言うことを聞かせることを優先させるのか、深呼吸をして子どもの(左足さんの)言うことに少し耳を傾けるのか。時間との勝負もありますが、きっとそんな発想をしてくれるのは今だけ。そのうちきっと左足さんは話さなくなるので、聞いてあげるのもいいかもしれません。そしてその些細な出来事を写真に撮ったり、メモしたりする癖をつけると、だんだんと自らの子育てに対する固定観念や不必要な常識の殻が柔らかくなっていきますよ。
子どもの想像力は無限大です。その発想は、大人の斜め上を行くこともあり、ときには理解できないと思うこともあります。しかし、それはとても重要な個性であり、才能を引き出す大切な要素です。大人のメガネだけで見た世界に閉じ込めてしまうのは、本当にもったいないことです。
例えば私なら、自分の靴下も片方だけ脱いでみます。「ママの右足さんも暑いって言っているから、こっちの靴下だけ脱ぐね!」と言ったら、子どもはどれだけ笑顔になるでしょう! 靴下を交換しても楽しいですね。もっと自由に、もっと大胆に、子どもたちの空想の世界を親も楽しんでみませんか?
自由な発想を狭めてしまう、間違いだらけの「声かけ」
アリの行列を見ている子どもに対して、
「食べ物を運んでいるんだね」
「巣に向かって進んでいるのかな」
「女王アリはどれだろう?」
などと声をかけたくなることはありませんか。
親は、自分が知っていることを子どもに教えたいと思い、教育のために声をかけます。でも子どもはそんなことには興味がなく、全く違うことを考えているかもしれません。
例えばそれぞれのアリの色の違いや、アリが運んでいる食べ物についてなどです。そんなときに親が声をかけることで、その子が抱いている興味や好奇心の方向を変えてしまう可能性があるのではないでしょうか。だから私は子どもから話しかけてくる、もしくは子どもが自発的にその場を離れるのを待ちます。いい機会なのでその時間は本を広げたり、仕事のメールに返信したり、座る場所を見つけてコーヒーを飲むなどして、ふと訪れた「暇」という名の優雅な時間を楽しんでいます。
私は以前、セミの羽化待ちで6時間ほど公園のベンチで静かにひとりで座っていたことがありました。そのとき、息子の集中力を最終的に切らせたのは空腹という大敵でした! もし時間に制限があって声をかけなければならなかったとしても、できるだけ子どもが満足し、自らその場を立ち去るタイミングを狙ってみてください。
大人として「教えてあげる」という構図になりがちな声かけはしないほうがいいと思いますが、子どもが「なんで?」と聞いてきたときには、それに全力で応えたいと思っています。
円周率はどうして生まれた?
「ロジカルな視点で自然界を観察する」ことのたとえとして、ここで余談です。私が数学や物理に恋し始めたのは16歳のころ、きっかけは高校のおじいちゃん先生、Mr.グリーンでした。それまで「円周率」とは、円の直径に対する円周の長さを求めるためにある、魔法のような便利な値だと教えられていたし、私もそう信じていました。でもグリーン先生が円周率の話を始めたとき、私は数学がどこまで日々の生活に影響しているのか、自然界とどんな関係があるのかを知り、一気に話に引き込まれました。円周率を最初に研究したのは古代ギリシャの数学者アルキメデスだったといわれています。
では、なぜアルキメデスは円周率を求めようと思ったのでしょう?
答えは簡単、知りたかったから! 身の回りの滑車や車輪、転がるものを見て、興味を抱いたのだそうです。このアルキメデスの「なんで?」がなければ、自動車のタイヤも、観覧車もスペースシャトルも、生まれなかったかもしれません。
数学は計算や算数と違い、まだまだ答えが定まっていない分野がたくさん残っています。例えば先ほどの円周率、3.14ではないことは知っている方も多いと思います。
無限に続くという説も聞いたことがあると思いますが、すごいのはここからです。円周率の数の並びには規則性があるのか、それとも不規則なのか、これは未だ解明できていないのです! 2022年についに100兆桁目まで計算されたというニュースを読み、私は亡くなったグリーン先生を真っ先に思い浮かべました。雪の結晶の角度も、植物の葉のつき方も、パイナップルの模様も、モーツァルトの音楽も、数学を使って表すことができます。
高校の数学の授業があったからこそ、私は「ロジカルな視点で自然界を観察する」ことに興味を持ち、数学を使った仕事に就き、子育てにまで応用できています。小さな好奇心がきっかけとなり、人生も枝分かれしていくのですね。
(池澤 摩耶 : 経営者・投資家)