「I'm Back.」。1995年3月に、NBAから一時引退していたマイケル・ジョーダンが、そんな一言を記したファックスを送付してシカゴ・ブルスへの復帰を表明したエピソードは有名である。

 それから約28年――。5月31日、米国大学バスケットボールNCAA1部・ネブラスカ大学の富永啓生も、ジョーダンと同じフレーズに「!」を加えた「I'm Back!」というコメントをSNSに投稿。2023年のNBAドラフトへのアーリーエントリー(※)を取り下げ、来季は再びネブラスカ大に戻ることを表明した。

(※)「アーリーエントリー」とは、米国の大学に所属する選手の場合、大学卒業学年の前にドラフト参加を表明すること。自動的にドラフト資格が与えられない選手が、資格を得るためにドラフト60日前までにその旨を宣言することで、指名対象になる。アーリーエントリーすることにより、ドラフトにおける自分の位置づけを確認するために、ドラフト前に実施されるキャンプやワークアウトに参加することが可能となる。


ネブラスカ大で活躍する富永啓生

 これにより、富永のNBAへの挑戦は来年以降に持ち越しとなった。

「決断したのは本当に最後の最後です。(インディアナ・ペイサーズの)ワークアウトで自分の感触を確かめられ、どの道に進むのが一番レベルアップするのかなとよく考え、決断しました」

 そんな本人の言葉通り、アーリーエントリー取り下げ期限の前日の5月30日、富永はインディアナ・ペイサーズのドラフト前ワークアウトに参加。そこではいいプレーができ、「通用するという自信がついた」と述べていた。

 東京五輪では3人制バスケットボール、2022FIBAアジアカップでは初めてA代表で活躍して名を売った富永は、渡邊雄太、八村塁に続く"日本バスケットボール界の希望"とみなされるようになっている。富永がこのまま夢舞台に挑戦することを期待していたファンも、日本には多かったのかもしれない。

 しかし――。少なくとも現時点では、ドラフト指名される可能性は高くないように思えただけに、ここでの判断は適切なものだったのだろう。あと1年、しっかりと準備を整え、最大目標として掲げてきたNBA入りを目指すことができる。

 それと同時に、もちろんジョーダンのケースとは大きくスケールは違うが、富永がカレッジキャリアを継続すると発表したことはネブラスカ大の支持者たちを歓喜させることにもなった。

"バスケットボール界の希望"は、もはや日本だけのものではない。富永は、ネブラスカでは絶大な人気を集めるローカルヒーローであり、名だたる強豪校が揃った「ビッグ10カンファレンス」でも注目される屈指のスコアラーになった。

 そんな22歳がカレッジに残ると決め、地元がどれだけ興奮したかは、富永のこんな言葉から推し量ることができる。

「今までにないぐらいの盛り上がり方でした。自分が戻ってくることを、それだけ喜んでくれたのは本当にすごく嬉しいですし、(アーリーエントリー取り下げの)ひとつの理由でした。街全体で応援してくれるっていうのは本当に嬉しいこと。反響はすごかったですね......」

 隔世の感がある。昨季開幕の時点で、富永は再建途上のネブラスカ大のベンチから登場する荒削りなシューターという印象だった。レンジャー・カレッジからの編入1年目となった2021−2022シーズン、30 試合で平均16.5分をプレーし、5.7得点、FG成功率37.3%(3Pは33.0%)。その頃は「目標はNBA」という言葉を、多くのファン、関係者は真剣には捉えなかっただろう。

 しかし昨季、大きく成長した富永はライジングスターの階段を駆け上がっていく。

シーズン平均13.1得点(FG50.3%、3P40.0%、FT85%)と好成績をマークし、特に2月1日以降は平均20.3得点。最後の9戦中、6勝と急上昇した母校の"牽引車"になった。開幕前は大苦戦の予想も多かったネブラスカ大が、勝率5割(16勝16敗)を残せたのは、富永の貢献が大きかった。

「カリスマ性を備えた日本人ガードは、昨季後半にネブラスカを一変させた。そのシュート力、プレーメイキングはヘッドコーチの(フレッド・)ホイバーグのオフェンスの中で解き放たれた。常に笑顔な彼のプレーを見るのは喜びであり、ファンを喜ばせるエンターテイナーでもある」

 オマハ・ワールド・ヘラルド紙のスポーツコラムニスト、トム・シャテルのそんな記述を読めば、今の富永がネブラスカでどれだけ評価され、期待されているかが伝わってくるはずだ。

 ただ、NBAのレベルは恐ろしく高い。今では富永もカレッジレベルでは「優秀なスコアラー」と称されるようになったが、あくまでNBAを基準にした場合、課題は少なくないのが現実である。

 渡邊雄太をして「日本の中ではずば抜けている」と言わしめたシュート力は大きな武器だとしても、それ以外のさまざまな部分でレベルアップが必要。心強いのは、誰よりも富永自身がそれに気づいていることだ。今回のペイサーズでのワークアウトでも自身に足りないものを感じたあとで、具体的な課題の克服を今後の目標としてはっきりと掲げている。

「身体を作るということでウェイトトレーニングをしっかりやっています。それ以外にもディフェンス、ハンドリングスキル、パススキルであったり、シュート以外の部分はほとんどですね。

 それを、もっともっとレベルアップすることによって自分のプレースタイルも変わってくる。(シューティングガードとしては)身長がないほうなんで、クイックネスもレベルアップできたらと思っています」

 強靭な選手たちに当たり負けしないために、フィジカル強化は必須になる。オフの間、ウェイトトレーニングで体重を3キロ前後増やした富永は、80キロ超まで身体を大きくしたという。

 同時に身体のバネ、しなやかさを保ち、ガード選手としてのスキルも確実にアップさせていかなければいけない。それらは容易なことではないが、難しい作業をやり遂げた時にさらに上の世界が見えてくる。

 目論見通りに成長するために、日本代表の一員として臨む今夏のW杯、その後に待ち受けるビッグ10カンファレンスの戦いは最高の場。だからこそ、富永はカレッジの舞台に戻ることを決めたのだろう。

「ステフィン・カリーみたいな選手になりたい」

 大きな目標を掲げる22歳が、カリーのようなスーパースターが闊歩するNBAに近づくためにやるべきことは山ほどある。ただ、もはや「不可能な夢」だとは思えない。

これからの1年間で、童顔の日本人シャープシューターはどんな位置にまで駆け上がることができるのか。富永のバスケットボール人生の中でも極めて重要で、それゆれに楽しみな時間がこれから始まろうとしている。