純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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先日、中日新聞や静岡新聞などに、こんな記事が出ていた。「現代では、ホタルの群舞はたき火よりも出会うことがはるかに難しい。……人間による環境破壊によって、日本全国からホタルが姿を消している。……ホタルは、環境の豊かさを測る目安となる「指標生物」である。……自然と人間の営みが調和した「里山」の景観を代表する生物として、ホタルが飛び交う光景を維持することには価値がある。大げさに言えば、人類の未来がそこに懸かっているのだ。」

かの「脳学者」茂木健一郎だ。それにしても、体裁ばかりのこんな雑文は、学者の書くものではない。新聞社も新聞社だ。どこも、まともな校閲者がいないのだろうか。だが、大衆向けの新聞では、こういう通俗的で浅はかな感動ポルノが、自分ではなにも調べない、考えない読者たちに受け、やがては教科書に載ったり、入試の問題になったりするのだろうか。

たしかにホタルは「指標生物」だ。だが、「指標生物」というのは、環境の豊かさを測る目安、ではない。環境省・国土交通省のガイド『川の生き物をしらべよう』では、ゲンジボタルはむしろ「少し汚い水の指標生物」なのだ。つまり、ほんとうの清流には、ホタルは住まない、住めない。

もう二十年も前のことだが、同じ東大出身ということもあって、熊本では「農学者」の片野学先生に、たいへんよくしてもらっていた。研究室に伺うと、炊きたてのさまざまな米を食べさせてくれた。シロウトなので私には違いがわからないのだが、それぞれの田んぼの田起しから稲刈りまで、農家の方々とどんな苦労と工夫をしたのかを延々と話してくれた。

この季節のそんなおり、夜にある村のホタル鑑賞会を見に行く、と話したら、そうですか、あそこももうそうですか、と悲しげに言う。農家や行政との絡みで「農地改良」には口を挟みがたいようだが、それが大きな問題らしい。聞いた話を元に、自分でもさまざまな論文を読んでみたが、問題が絡み合い、環境破壊と自然保護の二項対立でかんたんに説明できるような話ではない。

ちょっと調べればわかるとおり、近年、全国各地でむしろ爆発的に「ホタル鑑賞会」が開かれ、花火大会なみに観光資源として村の客引き、商売のネタになっている。つまり、安全管理がうるさくなった野山の焚き火より、ホタルの群舞に出会う機会は激増してしまっているのだ。言うまでもなく、これは異常事態だ。

もともと日本の自然植生は、特別な高山を除いて、ドングリなどが採れるような落葉広葉樹林が中心だった。小川のカワニナ(小さな巻き貝)は、川に落ちた腐った葉を食べる腐食生物で、これをエサにしてホタルの幼虫は育つ。しかし、日本の川は、急で短く、地中深くには浸透しないので、ミネラル分、とくにカルシウムが少ない。いわゆる軟水だ。人間には飲みやすいのだが、殻に多くのカルシウムを必要とするカワニナには、暮らしやすいとは言えない。だから、昔から、ホタルは限られた小川にしかいなかった。

事態が悪化するのは、奈良平安時代。人間が村を離れ、あちこちに町を作って、大量の建設資材や生活燃料を消費するようになる。このための大量伐採によって、日本の町の周辺は、またたく間にハゲ山に。それで、あちこちに遷都。しかし、そのせいで、よけいに日本中の樹林が消滅し、いよいよ雨水の土壌浸透は減り、土砂崩れも頻発し、小川は泥で埋もれ、カワニナもホタルもいなくなっていく。とはいえ、この山土流出、河流堆積によってこそ、日本は広大な水田を持ち、充分な食料を賄える農業国家へと飛躍していく。

武士の中世になると、防災と防衛のために植林が始まり、江戸幕府が「諸国山川掟」(1666)でみずから環境保護に務め、また、各大名家も特産品の商品木材として山を厳重管理するようになり、これらによって、状況は改善。我々が話に聞いて懐かしむ、ホタル飛び交う里山の風景というのは、この時代のことだろう。

しかし、明治維新で幕府も大名家も無くなると、政府と結託した地方の豪商がやりたい放題。藩の蔵入地であろうと、村の入会地であろうと、文明開化の建設や燃料の需要に応えるべく、ふたたび大量伐採を始めた。また、鉄鉱や石炭の掘り出しのためにも、山は乱開発され、鉱毒は垂れ流され、河川はいよいよ荒れていく。そして、大正昭和になると、20年の短期間で促成商品化できる針葉樹の杉などが大量植林された。

これが、戦後、焼け跡の復興を支え、計画的な植林で安定した林業サイクルを確立したかに見えたが、山はさらに保水性を失い、ふたたび土砂崩れや洪水などの災害をあちこちで引き起こすことになる。これを防ぐには、針葉樹の林業を止め、本来の落葉広葉樹林に戻せばいいのに、林業豪商や土建業者と結託して、行政は、大規模で強引な河川改修、治山事業を始める。すなわち、川をまっすぐにして、底までコンクリで固め、とにかく海まで雨を早く排水する。また、山には、すべての谷沿いに何段ものコンクリの砂防堰堤を築いて土留め。台風のたびに水に浸かっていた農地も改良して区画整理し、これまた水路をコンクリで固めて権利保全。

これでホタルは、いなくなった。コンクリで固められた川は、最短時間で雨水を流し出すだけの下水路となり、落葉どころか水草も水辺も無く、渋谷川などのように、ときには上を歩道にすべく、フタをして暗渠となった。これでは、ホタルの幼虫のエサとなるカワニナの取り付くシマも無い。おまけに、殺虫剤も同様の界面活性剤だらけの生活排水まで、ここに流し込んだ。

しかし、自然の連鎖は人知を超える。ふつう、水は中性、ph7。とはいえ、雨は、空気中の二酸化炭素を吸収して、もともとph5.6程度の酸性に傾いている。くわえて、近代化とともに、蒸気機関から工場の煤煙、車の排ガスまで、人間は大量の二酸化硫黄や窒素酸化物などを空中に撒き散らしてきた。そのせいで、いまやいわゆる酸性雨が問題となっている。日本の場合、いくら国内の公害を抑制しても、隣国の影響もあって、平均でph4.8くらい。場所によっては、もっと濃い。これが日本の山に降り注ぎ、川を流れ落ちる。

コンクリは、消石灰(水酸化カルシウム)に火山灰などの混合剤を混ぜ、砂利などの骨材を固めたもの。基本的に耐水性があるが、酸性水には溶け出す。だから、酸性雨によって、戦前から戦後にかけて大量に作った山の堰堤から川の護岸まで、骨材を残してカルシウムを溶かし砕いて、ボロボロに。このスキマに水草や雑草が生え、その根が堰堤や護岸を浸食し、さらに深くまで溶解を進める。

たしかに山はいまだ針葉樹だ。落葉は無い。ところが、水田の肥料や農場の屎尿。これもまた、余剰や漏失が川に流れ出る。カルシウムと栄養、そして水草や雑草。ここにカワニナが異常発生。劣化し老朽化しコケむしたコンクリの川岸に大量のホタルが群舞。我々は、これを喜んでいいのか。日本の浅知恵、その場しのぎの最期の一幕。

「農学者」の片野先生は、あまり多くを語ろうとしなかった。研究も、米作りとともに一年で一歩。それで、短期で次々と数ばかりの論文を書き散らすバイオの連中に、ずいぶんな目に遭わされていたようだ。まだまだ、私にはわからないことがいっぱいだよ。しかし、楽しそうに、そう言っていた。ろくに調べず、考えず、大衆の心を惑わすだけの「脳学者」とは大違いだ。だが、片野先生は、十年前に亡くなった。私は、尊敬すべき先輩に出会えたことを生かせているだろうか。