小倉少子化担当大臣、「複雑な家系図」を“腹違いの兄”が明かす 2度のスピード離婚の原因とは

〈しつけの良い家庭を営んでいる政治家は、少いように思われます〉と記したのは太宰治だったが、翻って令和の政界で「こども家庭庁」の舵を取る大臣の家庭環境は厚いベールに包まれている。父の奔放、2度のスピード離婚。一枚剥がすと、異様な家族空間が……。
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かつて実業家の渋沢栄一が邸宅を構えたことで知られる東京都北区・王子。この地は文字通り、首都の北部にあり、西の武蔵野から続く広大な台地の北端に位置する。
渋沢邸が建てられ、桜の名所として耳目を引く飛鳥山でこの台地は途切れ、急峻な崖を下った先にJR王子駅がある。小さな川が流れる駅周辺から台地とは逆側の急坂を上がり、現在は北区役所となっている付近にかつて5階建てのビルがあった。約30坪の土地に建てられたその古びたビルは、役目を終えたかのように6年前に取り壊され、現在は小奇麗な交番になっている。

ところが、風景に溶け込み、何の変哲もなかったこのビルは、誰もうかがい知ることのできぬ“秘密”を往時から抱えていた。岸田文雄政権の重要閣僚にして、日本の将来を左右する政策を担う現役大臣が伏せてきた、ある“秘密”を――。
2度もスピード離婚
「政府として責任をもって議論を深めていきたい」
今年3月31日、小倉將信(まさのぶ)少子化担当大臣(41)は「異次元の少子化対策のたたき台」を発表した。その後の会見でも、実現に強い意欲を示し「子育て政策」について発信を強めている。
昨年、国内で生まれた子どもの数は80万人を割った。このままだと2065年には日本の人口は9千万人を下回ると推計され、インフラが崩壊するなどわれわれの生活への悪影響が危惧されている。まさに、少子化対策は日本の将来を揺るがす喫緊の課題だ。
人口減少を反転できるか。それは、4月1日付で発足した「こども家庭庁」やこども政策全般を担当する將信氏の双肩にかかっていると言っていい。
しかし、昨年8月に当選4回の將信氏が少子化担当大臣に抜てきされた時、少なからぬ驚きが政界に広がった。なぜなら、
「彼には2度もスピード離婚した過去があるんです。1度目はテレビ朝日のアナウンサーと、2度目はフジテックというエレベーターの開発などを行っている上場企業の社長令嬢と、でした」(永田町関係者)
「ありゃ本物だ」
東京都多摩市出身の將信氏は神奈川県の名門である栄光学園高校から東京大学法学部に進み、日本銀行に就職している。自民党の公募に応じ、12年、東京都第23区から出馬。初当選した。1期生の時にテレビ朝日の島本真衣アナと結婚し、ド派手な披露宴を行うも、わずか1年半で離婚。その後、総理への登竜門と呼ばれる自民党青年局長に就任。在任中の21年にはフジテック社長(当時)のご令嬢と入籍後、こちらもわずか2カ月半で別離を切り出され、離婚と相成った。
尋常ならざる2度にわたるスピード離婚の一因として將信氏の「マザコン」説がかねて永田町でささやかれてきた。さる自民党幹部も「ありゃ本物だ」と呟く始末だが、ご本人は過去の報道で再三「マザコン」説を否定している。
華麗な経歴を誇る一方で、母との関係や離婚も含めて自らの「家庭環境」を語ったことはほとんどない。少子化対策を統べる大臣はいかなる家庭で育ったのか。その来歴をたどってみると、彼の人生は多くの「謎」に満ちていることがわかる。
その一つが冒頭に触れた王子の土地である。
複雑な生育環境
この土地は1966年に將信氏の父が購入し、翌年、地上5階建てのビルを建設している。が、將信氏が1歳になる直前の82年、このビルと土地の所有権が父から將信氏と母、彼の唯一のきょうだいである姉を含む10名の親族らに贈与されるのである。さらに、その時の登記簿を確認すると、贈与された將信氏と母、姉の姓は小倉ではなく「平野」になっている。
まだハイハイ程度しかできない赤ん坊にビルと土地が贈与され、さらに姓が違っていたという事実。そこに將信氏の複雑な生育環境が示唆されていた。
「贈与された10人は將信さんの父の前の妻やその子、愛人らなんです」
と明かすのは將信氏の“腹違いの兄”である。29年生まれである將信氏の父は確認できるだけで3度結婚しており、この兄は最初の妻の息子にあたる。
「僕の父は女性関係が派手で結婚と離婚を繰り返していました。もともと、父は戦時中に九州に疎開して、医学専門学校に入り、医師になりました。母は薬剤師をしており、九州で知りあった。僕が生まれ、50年代後半に一家で上京し、北区の十条で診療所を始めました。東京で3人の子が生まれ、母とは僕を含め4人の子を育てることになりました」(同)
愛人との間に子どもが
60年代に入り、学生運動が激しくなった後、王子に前述したビルを建て、飛鳥山病院を開業する。
「王子は米軍の野戦病院が近く、学生運動が激しい場所でした。が、共産主義者が嫌いな父は負傷した学生を相手にせず、警察官ばかりを治療していました」(同)
父は都内の医療法人を買収するなどし、事業を広げ、財を成していった。世田谷区成城の約180坪の敷地に建つ豪邸に一家が移るのもこの頃だ。しかし、女性関係の派手さからか、70年代に夫婦は離婚してしまう。
兄が続ける。
「都内に何軒も家を持つようになり、富裕層の仲間入りをしました。が、北海道出身の看護師だった愛人との間に子どもができてしまった。おそらく、その子は認知していないと思います。僕は幼い時分のその子と何度か会ったことがあって、“父親の顔が見たい”と言うので病院の近くまで連れて行って“あれが父親だよ”と教えてあげたりしました」
「認知してくれ」
ほどなく、父はすらっとしたファッションモデルと見紛う美貌の女性を伴うようになる。それが父の2人目の妻。10歳以上も年下だった。
別の親族が語る。
「とある葬儀で出会ったのがきっかけだったそうで、お父さんの方が一目で気に入り、ストーカーかのようにつきまとい、結婚までこぎ着けたんです。押しに押して、という形でした」
数年に及ぶこの妻との婚姻期間中にも女性問題が噴出することになる。別の女性から夫婦のもとへ「うちの子どもを認知してくれ」と連絡が入ったのだ。その女性こそ將信氏の母その人だった。
2人目の妻と結婚しながら、將信氏の父は自身が経営する病院で事務をしていた女性との間にも將信氏を含む2人の子どもをもうけた。まさに「火宅の人」である。
「離婚歴や婚外子がほかにもいることがわかり、たまりかねた奥さんは離婚することにしました」(同)
そして1984年、將信氏の母は父と籍を入れ、平野から小倉姓となる。
おわびか口止め料?
先に触れた王子の土地は將信氏の父母が再婚する前、2人目の妻を除く先々妻とその子ら、看護師の愛人とその子、そして將信氏とその姉、母に贈与されている。不可解な生前贈与について、この親族はこう解説する。
「2人目の妻と結婚している時期でしたから、もめそうな人におわびか口止め料として、地代の高い土地を贈与したのかもしれません」
ハチャメチャな家庭生活を送っていた將信氏の父の夢は政治家になることだった。
「政治家の後援会に入ったり、地元の九州に足しげく通い、地盤づくりをしようとしていました。アメリカのカーターが大統領選に出るときには数百万円を寄付したことも。ただ、女性関係がだらしなすぎて、支援してくれる人もおらず、政治家の夢は諦めざるをえませんでした」(父の知人)
高校時代は校内でも評判の“お金持ち”
結果的に父の夢を引き継ぐことになる將信氏だったが、高校時代は校内でも評判の“お金持ち”だった。
「お父さんがお医者さんでお金持ちというのは周囲の共通認識でした。ただ本人はそれを鼻にかけることもなく、頭の切れる、いい人という印象です。高校生特有の“ノリ”もあって、学校のスポーツ大会を友人と示し合わせてサボったこともありました」(同級生)
東大を卒業し、彼が日銀に在籍していた08年に転機が訪れる。成城の豪邸と土地が將信氏の父から母に「財産分与」され(9年後に土地は売却)、それと前後して、父が所有する不動産が將信氏に贈与されたのである。それが熱海のリゾートマンションで、將信氏は直近の資産公開でこの物件を報告書に記載している。
「当時から、將信さんの両親が離婚したのでは、と言われていました」(父の病院関係者)
「何をするにもお母さんが最優先」
そして12年に初当選した將信氏が翌年秋に結婚のお相手として選んだのは、テレビ朝日の島本真衣アナ(29)=当時=だった。しかし、数カ月後には島本アナが自宅マンションを飛び出してしまう。その理由としてささやかれたのが、將信氏の母子関係だった。かつて本誌(「週刊新潮」)の取材に島本アナの親族は、
「將信さんとお母さまの関係は私たちから見ても仲が良すぎるといいますか、彼とお母さまとの方が夫婦らしいといいますか……」
そう困惑しつつ、
「もともと、夫婦とお母さまは別々のマンションに住んでいたのですが、お母さまが將信さんに“一緒に住みたい”と言って、同じフロアの近くの部屋で生活することになったんです。さらに、お母さまと將信さんは真衣を放っておいて、二人で旅行に行くこともありました。ビックリしましたね。結局、將信さんは何をするにもお母さまが最優先なんです」
この母子密着について、先の病院関係者は、
「お母さんの中に、医者や弁護士になった先々妻の子どもたちに負けたくないという強い思いがあったのかもしれません。それで一生懸命育て、將信さんはそれへの恩返しをしているのではないですか。破天荒なお父さんに振り回され、だいぶ苦労されたようです」
さらに“過保護”ぶりを裏付けるのが、母から將信氏への献金だ。
姉やその親族から1300万円以上の献金
12年以降、將信氏が代表を務める政党支部や政治団体に対し、病院理事長などを務める母は総額で1600万円もの献金を行っている。さながら、高額な“子ども手当”である。加えて、医師となった姉やその親族などからも計1300万円以上の献金がある。家族総出で將信氏の政治活動を支えているようなのだ。
「初出馬の選挙の時には、小倉さんのお母さまが選挙事務所に来て、“お世話になります”とあいさつしてまわっていました」(地元市議)
その一方で、將信氏や母に財産を贈与し、父の暮らしぶりは楽ではなかった様がうかがえる。
例えば、76年に父が購入した箱根の別荘地の土地と建物がある。その登記を確認すると、12年に国税局から差し押さえられている。
そして5年後の17年初頭、米寿を超えていた父は成城からも王子からも離れた八王子の老人ホームで暮らし、静かに息を引き取った。
ところが、この年の3月、関係者に穏やかならざる「通知」が届くことになる。
「東京国税局からの督促状でした」
とは、前出・將信氏の“兄”である。
「父は税金を滞納していたんです。12年に本人に督促したのが最後だったようで、本税として約2千万円、加算税や延滞税を合わせて、計約3400万円の滞納した税金を知らせる通知でした。大金を払えるわけがなく、僕は相続放棄をするしかありませんでした」
ちなみに、前述した箱根の不動産は12年に差し押さえられた後、19年に解除されている。別の親族にこの件を聞くと、
「関わりたくないのでお引き取りください」
売却益は1人1500万円
なぜか、過剰な拒否反応を示すばかり。また、將信氏にはこの間、“臨時収入”もあった。前述した王子の土地を17年、交番を新設するという警視庁(登記簿上は東京都)に売却したのだ。この時点で土地は將信氏を含め、9人が所有権を有していた。
「売却益は1人当たり約1500万円でした」(兄)
生後9カ月で贈与され、大金に化けた王子の土地。將信氏にも濡れ手で粟の約1500万円が懐に入ったことになる。
さて、これらについて当の將信氏にぶつけると、代理人弁護士を通じて回答があった。まず税金滞納や両親の離婚は、
「小倉將信は公人ですが、親族らは私人であり(中略)回答の必要がありません。ただし、督促状を受け取ったことはなく、税金を滞納している事実を知りませんでした。(父の)財産については相続放棄しています。(両親の)離婚は事実です」
エリート議員の今後は
母や親族からの献金については、
「親族として政治家小倉將信を支える趣旨と理解しています」
政治アナリストの伊藤惇夫氏によれば、
「若くして入閣し、現状は“自分が優秀だ”という認識がにじみ出てしまっている印象があります。それを自覚し、今後はこども家庭庁の担当大臣にふさわしい政治家なのか、が問われていくと思います」
將信氏はかつてインタビューで実父のことをこう語っている。
〈「自分に多少なりとも能力があれば、それを社会に還元しなさい」というのが、父親の口癖でした〉
人もうらやむエリートコースを歩みながら、特異な家庭で育った少子化担当大臣は、いかなる政策成果を世に還元してくれるのか。
「週刊新潮」2023年5月25日号 掲載