人間への深い洞察力と詩情にあふれた、新たなハードボイルド小説の誕生 『父を撃った12の銃弾』(ハンナ・ティンティ)
『父を撃った12の銃弾 下』(ハンナ・ティンティ)
読み方としては邪道かもしれないが、二年ぶりに再読するにあたり、父親ホーリーの過去の章、すなわち「銃弾#1」から「銃弾#11」まで読んでから、冒頭にもどり、娘ルーの現在の章を読み進めた。そのほうがハンナ・ティンティが持つ特性を味わうには最も良い方法ではないかと思ったからである。なぜならこれほど詩的なハードボイルド精神を持った作家はまれであるからだ。実際、そのようにして再読したら、初読よりもはるかに心動かされたし、物語の全体像が実に良く見えてきた。
もちろんこの読み方は、本書をはじめて読む読者にはおすすめしない。本書の配列通り読むと、ルーの青春小説の味わいが濃く、さらに家族が抱えている過去の秘密の問題などが、「銃弾」のエピソードで少しずつ見えてくるようになっていて、それがミステリの面白さにつながっているからである。
ただ、今回あえてホーリーの物語から読みたくなったのは、もともと『父を撃った12の銃弾』を読む六年前に、リザ・スコットライン編『ベスト・アメリカン・短編ミステリ2014』(DHC、二〇一五年一月)所収の「二つ目の弾丸」を、解説者として先に読んでいたからである。後に長篇の一部に組み込まれた短篇(本書では「銃弾#2」)を独立した作品として読み、その詩情に深く魅せられたからだ。モーテルで、男が赤ん坊をつれた女と知り合い、部屋に泊めたあとにモーテルの他の部屋で銃撃戦が起こり、やがて二人がそれに巻き込まれる話である。驚くのは、場末のモーテルでの銃撃戦にも詩があり、余情があることだった。緊迫した場面のなかに不思議な情感が醸しだされていて、切ない思いにかられる。まさか、この男が長篇の主人公になるとは思いもしなかった。
それにしても、いったい何だろうこの作者の力はと、あらためて思ったのである。いまどき珍しく容赦のない視点から徹底的に描写をしていく。鋭い観察ぶりで、驚くほど人間の真実を突きつめている。情感がこもりすぎて、謳いあげている部分もあるけれど、それは逆にそうせざるをえないほど物語がうねりをあげ、切実な響きを強めているからで、読者は心を震わすことになる。明らかにハードボイルド精神に貫かれたスタイルが功を奏しているのだが、十二分に抑制された筆致なのに、詩情が醸しだされていることに惹きつけられたのである。今回読み返してみてふと、熱心な海外ミステリファンでもあった藤沢周平のハードボイルド論を思い出した。すなわち「世界から詩を汲み上げる心情と深い人間洞察の眼、それと主人公のシニカルな心的構造が釣合って一篇のハードボイルドが誕生する」(文春文庫『小説の周辺』所収「読書日記」より。以下同じ)というものである。
これはミッキー・スピレインの小説と関係して出てくる。スピレインは「肌が合わなくて、過去二、三冊しか読んでいない」、『裁くのは俺だ』も読んでいなくて初めて読んだのだが、「読み終わった感想はというと、ハメットからチャンドラー、マクドナルドとつづく正統ハードボイルドはマクドナルドで終わっているという日ごろの感想を確かめたにとどまる」といって、「世界から詩を汲み上げる心情」云々とハードボイルド論を披瀝する。そして「自前の解釈から言うと、マイク・ハマーものは詩と人間洞察の深みを欠いている。あるのは肥大化した憎悪と暴力だけで、言うまでもなく、何でもかでも殺せばハードボイルドになるというものではないのだ」と厳しい。だがしかし、「おれは溝(どぶ)のなかから拾われた。おれがあとに残したものは夜だけで、その夜も残り少なだった」という書き出しで始まる『ガールハンター』を引くまでもなく、子細に読んでいけば、スピレインもまた「世界から詩を汲み上げる」抒情的作家であることがわかるのだが、ただハードボイルド御三家と比べたら深みを欠いているかもしれない。
話をさきにもどせば、ホーリーの短篇集がとくに素晴しいのは、まさに藤沢周平の言う「世界から詩を汲み上げる心情と深い人間洞察の眼、それと主人公のシニカルな心的構造が釣合って一篇のハードボイルドが誕生」しているからである。「何でもかでも殺せばハードボイルドになる」ものではないけれど、ハンナ・ティンティは、一ダースもの銃弾を体に食らい、ときに殺人も辞さなかったならず者のホーリーの肖像を雄々しくも繊細に捉えて、だれもが共感をよぶヒーロー像に仕立てている。それは妻のリリーが、娘のルーが、そして祖母のメイベルが生き生きと存在するからでもある。藤沢周平が生きていて、本書を読めば、ルース・レンデルやグレアム・グリーンの新作を称賛したように、かならずや大絶賛していたであろう。そしてアメリカン・ハードボイルドの影響をうけて『消えた女』を書き、グリーンの『ヒューマン・ファクター』に感化されて『海鳴り』を書いたように、本書にインスパイアされて傑作を書き上げていたに違いない。ハードボイルドでありながら、藤沢の好きなグリーンのような純文学的な奥行きと豊かさをもつからだ。
枕が長くなってしまった。具体的に紹介していこう。
前述したように、物語の主人公は二人で、父親のホーリーと十二歳の娘のルーである。ホーリーは過去を描く挿話集「銃弾」の主人公で、物語の現在はルーの視点から捉えられていく。ルーが様々な人物と交流して、わだかまりが出てくると、それに呼応してホーリーの過去の挿話が提示されて、そのわだかまりが時に解けていく形式である。そのホーリーの物語では後の妻となるリリーとの出会い(これが何とも恰好いい!)、リリーとの結婚生活、ルーの出産、そしてリリーの死、ルーの成長(四歳頃)までが語られる。
ゆえあって各地を転々としてきたホーリーと娘のルーは、ホーリーの亡き妻の生まれ育った故郷、ニューイングランドの小さな港町オリンパスに腰をすえる決心をする。そこにはリリーの母親のメイベル・リッジが住んでいたが、ホーリーとルーが挨拶にいっても、母方の祖母は父娘に会おうとしなかった。
それには理由があった。ホーリーの体には被弾による多数の傷痕があり、後ろ暗い仕事のために夜逃げ同然の経験を何度もしてきたからで、メイベルはそれを嫌っていた。しかも娘リリーはホーリーに殺されたとも考えていた。ルーは祖母の話から、母親の死をめぐる秘密があると気付くようになる。それは一体何なのか?
物語は「ルーが十二歳になったとき、父親のホーリーはわが子に銃の撃ち方を教えた」という文章で始まる。危険と死をはらむ不穏な物語にふさわしい書き出しで、事実、現在と並行してやくざ者のホーリーが被弾にあった過去の章が挿入され、暴力的な人生が描かれていくからだが、しかしそれは最初見えにくい。ルーの青春小説としての輝き、いじめにあったり、仕返したり、初恋、初体験などが、父親や街の住民たちのいざこざをまじえながらゆったりと描かれていくからである。
おそらく読者のなかには、世界的ベストセラーで、日本でも大いに話題になった湿地の少女の一代記、ディーリア・オーエンズの『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)を想起する人もいるかもしれない。あちらも文芸色豊かなミステリーの傑作で、オーエンズ作品では、父親と兄などに捨てられた孤独な少女が迫害され、貧困にあえぎながら生きていく姿が活写されていた。本書のルーはそれに比べたらまだ大人しいと思うかもしれないが、しかし命懸けのルーの戦いは終盤に用意されていて、生命の危機という点では本書のほうがはるかに強いだろう。
しかし見どころは終盤だけではない。繰り返すが、過去の「銃弾」のエピソード集は、銃撃戦を交えつつも、実にエモーショナルで、詩的で、ときに象徴的ですらある。鮮烈な場面の連続といっていい。過去の秘密を明らかにする場面なので曖昧に書くけれど、ホーリーとリリーのキスの深遠さと愛しい傷をめぐる会話も(「銃弾#5」)、ギャングの妻が語る花のような骨の模様に神様を信じる話も(「銃弾#7、#8、#9」)、リリーが失われていくことを一つ一つ確かめる場面も(同)、ホーリーが死の淵へと誘い込まれる場面も(「銃弾#11」)、何と心に響く名場面だろうか。「銃弾#3」に出てくる片目が濁ったギャングの妻が語る手紙やウェディングドレスの話ですら、愛の神々しさを伝えてはっとするほどだ。醜悪で汚らしいものからでさえ、ハンナ・ティンティは、一滴の美と愛をつかみとる。至るところから、人生の詩を汲み上げて僕らの心をふるわせるのである。
「銃弾#2」がそうであるように、一つひとつが独立して読めるけれど、クライム・サスペンスのなかにホーリーとリリーとの恋愛小説、ルーを交えての家族小説、さらに成長をたどる青春小説の輝きが重なり合い、小説としての厚みをもつことになる。
『ザリガニの鳴くところ』では、湿地の自然や動物たちが鮮やかな風景の中で象徴的に捉えられていたが、本書では重要な場面で鯨が登場して、生命の危機と再生、あるいは孤高の生き方の美しさを見せつけて、きわめて印象深い。ギャングたちの銃撃戦ですら名場面に昇華され(グラフィカルな活劇と独特の表現による負傷の感覚など)、ときに荘厳な響きをもち、読者の胸を激しくうつ。「まるで交響楽のような驚嘆すべき一冊」(ニューヨーク・タイムズ)という賛辞は決して誇張ではない。いつまでも心に残る作品であり、おりにふれて読み返したくなる作品なのではないか。
最後に本書刊行時の情報も書いておこう。本書は、二〇一八年のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞にノミネートされたものの受賞には至らなかった。受賞作はアッティカ・ロック『ブルーバード、ブルーバード』だが、はるかに本書のほうが優れている。日本では二〇二一年に翻訳刊行され、「このミステリーがすごい!」と「ミステリが読みたい」で第四位、「週刊文春ミステリーベスト10」では第五位に入ったけれど、さまざまなジャンルをもつ物語の面白さ、端役の一人一人までめざましいキャラクターの鮮やかさ、そして硬質な文体の質の高さからいっても、第一位にふさわしい。それほどの傑作である。