Jaguar Land Rover

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クラシックカーの世界では、近年、コンティニュエーションというモデルが話題にのぼることがめずらしくなくなった。本来、”continuation”とは、「継続」、「再開」などの意味を持つが、クラシックカーについていえば、現存するメーカーが、過去に生産を終了したモデルを再生産すること。復刻版。となるだろう。復刻再生産するといっても、『生産方法を含めて、原型に沿って細部まで再現する』ことが必須条件になり、単に雰囲気を真似ただけのものではコンティニュエーションの定義から離れ、単なるレプリカに過ぎない。

【画像】ジャガーの「未完の」CタイプとDタイプが、コンティニュエーション・モデルとして生産される(写真22点)

こうした定義づけから、復刻の対象となるのは、歴史的価値や人気の度合いなどの観点から、それに値するモデルとなり、しばしば歴戦のレーシングモデルが選ばれている。

ジャガー・クラシックでは、2015年頃からコンティニュエーション・モデルの生産を開始。これまでにEタイプ・ライトウェイト(6台)とXK-SS(9台)を送り出し、現在はCタイプとDタイプの計画が進行中である。ともにル・マン24時間で圧倒的な強さを見せ、ジャガーの名を世界中に広く知らしめた偉大な存在である。

ジャガーの創業者であるウィリアム・ライオンズは、ル・マンで勝つことがジャガーにとっての成長の鍵になるとの考えを抱き、過酷なレースによって鍛えられることで製品力が向上し、勝利とともに知名度が高まると確信していた。

ジャガー社自身が関与した最初のル・マン挑戦は1950年のことで、市販スポーツカーのXK120をワークスがレース用に仕立てた3台をプライベートチームに貸与しての参戦であった。レースでは2台が完走して12位と15位を得ることができた。

主任設計者のビル・ヘインズはこの結果を得て、XK120をベースとしたレース専用の開発に着手した。これがXK120C、いわゆるCタイプ(Cはコンペティションの意味)である。エンジンはXK120の直列6気筒3442ccをベースに200bhp超にパワーアップを施し、車体構造は新設計の多鋼管スペースフレームとして、サスペンションは後輪を板バネからトーションバーに変更した。Cタイプの最大の特徴はスムーズな曲面で構成されたボディにあるが、スタイリングを手掛けたのは名門航空機メーカーであるブリストル社出身のマルコム・セイヤーであった。

1951年には完成したばかりのCタイプ(XK120C)でワークスチームを組織して臨み、初のル・マン優勝を果たした。

ジャガーの技術陣は、高速レースでの勝利には強力なブレーキ性能が必要であることを見抜くと、まだレースカーでもドラム式が一般的であった1951年から、ダンロップ社とともに自動車用ディスクブレーキの開発に着手。1952年のミッレ・ミリアではじめて実戦投入し、その効果のほどを確認するとル・マンに臨んだ。

果たして、長いストレートを持つサルテ・サーキットではディスクブレーキの効果は絶大で、1953年にはCタイプが総合優勝したほか、2位と4位にも入り、ジャガーにル・マン2勝目をもたらした。このCタイプによる勝利が転機となって、欧州では高性能車へのディスクブレーキの採用が急ピッチで進むことになった。

1955年から1957年にジャガーは3連勝を果たす。連勝の原動力となったのは、1954年からル・マンに投入された新開発のDタイプ(XK-D)だった。直列6気筒DOHCのXKエンジンほか主要コンポーネンツはCタイプを引き継ぐものの、シャシーは多鋼管スペースフレームに代えて、強靱で軽量な軽合金製モノコック構造(中央部分はマグネシウム合金製)を採用。マルコム・セイヤーが手がけたボディは、テールフィンを備えることが特徴であった。