純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

写真拡大

これも、ウワサには聞いていたが、ようやく表沙汰になった。同窓会の地獄耳をなめてはいけない。昨年来、初等学校(小学校)の三年のあるクラスが以前から荒れており、その問題の中心の学童の対応に当たった担任の先生が、その学童の親の激烈なクレームを喰らい、渡辺共成校長、油井雄二理事長は担任の先生の方を左遷。この異常事態に3月22日に保護者会を開いたが、説明に当たった油井理事長のあまりに横柄な態度と応対がいよいよ保護者の火に油を注ぎ、四月になって、むしろ火の手が同窓生にまで広がっている。

もともと成城学園というのは、かなり風変わりなガバナンスで成り立っている。1923年秋の関東大震災で、都内は壊滅。陸軍軍人養成を旨とする新宿の成城学校の下にありながら大正自由教育を試みていた小中学校が、父兄の支援で独立し、世田谷に移転。わざわざ子どもの通学のために、余裕のある進歩的な「中産階級」(いまで言えば新興自営業者、大企業重役、文化教養人)も周辺に越してきて、「成城」という独特の高級住宅地ができた。ここでは、象徴的な意味を含めて、家と家の間に生垣より高い壁は作らない、ということが不文律だった。

私の祖父母両家も、そうした家庭の一つで、親戚一同が成城・玉川。先生方も、成城の町に住んでいる場合が多く、母が習った先生の家に私が遊びに行くなどということもしばしばだった。世間では、成城学園はおうおうに昨今の経営者や芸能人の子女で話題になるが、同級生の中では、親の代、祖父母の代から、成城・玉川という家庭が少なくない。年一回の成城パーティのほか、赤坂には常設の成城クラブもあり、各地の同窓会も盛んで、そうでなくても、長年に渡って交友関係が広く続いている。

成城学園の魅力は、まあ、もとより学力ではない。子どもの時から相応の家庭環境で、人間的に温厚で鷹揚な育ち方をしてきて、人付き合いに如才ないこと。学校というと、勉強、勉強、というところが多いなか、こういう人間性、情操性を身につけられるのは、創設以来の伝統が、学校にも、学童の家庭にも息づいているから。私のような変わり者にも、学園は数多くのすばらしい友人たちを与えてくれた。長い人生の中では、これこそが地位や財産などより大切な宝もの。じつは、問題の初等学校校長の渡辺共成くんも、同学年で、外部受験組の長年の親友だ。

しかし、バブル当たりから、成城の町も大きく様変わりした。もともといくつもの映画スタジオが近くにあったことから、芸能人も少なくなかったが、以前は彼らもまた成城ルールに従っていて、裏庭への出入りも御近所付き合いとして歓迎された。ところが、あちこちが相続で売り出され、傍若無人な成金が、窓も無い要塞のような豪邸を建て、また、高級マンションになって、だれが住んでいるのかもわからなくなった。これとともに、成城学園も「名門」などと世間で言われるようになり、成城学園の温厚な気風も知らず、おかしな人たちが入ってきて、こまったことをしでかすようになった。

成城学園は、玉川学園と違って、創立者一族の世襲支配ではなく、もとより父兄が設立し、その広く厚い支援によって独自の校風を保ってきた。しかし、問題は、この温室のような学校が底抜けの性善説で成り立っていること。それは、長年の伝統で培われてきたものだが、ここに毒が入ると、対応の仕方がわからず、すぐに振り回されてしまう。校長の渡辺共成くんが右往左往し、今日のひどい結果を招くことになってしまったのも、彼がまさにそういう典型で、人柄が良い(だけ)の成城っ子だから。

毒は、大学から入った。戦後にできた成城大学が、初等・中等教育の独自性を核とする成城学園にとって、まったくの異物だった。これは、もともとは中等教育の七年制大学予科で、現在の中学〜大学教養課程に相当するものであり、いずれかの帝大への進学が当然だった(つまり、当時の成城学園は、野卑なバンカラの一高に対して、東高、武蔵と並ぶ帝大へのジェントルマンエリートの進学校であり、それが新たに誰でも大学という一貫教育を掲げた玉川学園の分離を引き起こす)のだが、戦後の私立濫立に便乗して大学成りすると、広く外から地方の大学生を集め、また、旧帝大進学に及ばない新制高校の卒業生の受け皿となった。こうして、成城学園としての気風は、何倍にも水で薄められ、カネの匂いがする半端な中堅お坊ちゃま・お嬢ちゃま私立の一つとして、位置づけられた。

それでも当初は、成城大学の先生には、成城関係者、つまり、成城の町の文化人や成城学園の父兄で元旧帝大教員(以前は東大の定年が60歳だったため)などが多かったのだが、やがて東大閥の出城ポストと化し、学園側は人事コントロールを失っていく。また、戦後教育の自由化への急旋回で文部省(現文科省)の影響も強く、東京帝大出の財界人を理事長に担ぎ、これらの外部の連中が主導権を握った理事会が、ステークホルダーである「父母の会」を形骸化し、本来の成城学園、つまり、幼・初等・中高を支配下において、成城大学への進学者を確保するための下部機関へと変質させていってしまう。(成城大学は、本来は初等学校付属大学であって、その逆ではない。)

成城学園の同窓生らしい品格として、あまり外に向かって騒ぎ立てたりはしなかったが、これまでも伊勢原キャンパスの購入と処分、新学部設立の迷走、成城キャンパスの全面的な建て替えなど、上層部のキナ臭い話は多く、数世代に渡る同窓生のウワサ話として、困ったことね、ほんとにイヤだわ、と伝わってはくるのだが、いかんせん、これまで、こういう毒々しい連中にあまり接してこなかったこともあって、だれも、どうしていいのかわからず、連中のほしいまま。

財界人(新日本石油社長)の渡文明前々理事長は、新制成城学園高等学校出だったが、保護者会でふんぞりかえっていた油井雄二前理事長なんて、どこかから成城大学に転がりこんできた教員上がりで、成城っ子ではない。だから、もとより、成城学園とは何か、など、まったくわかっておらず、ITだの、ブランドだの、安っぽい広告代理店のマーケッターみたいなことを言い出す。そして、その挙げ句が、これだ。この始末のどこに成城学園らしさがある? 共成くん、成城っ子として未来ある子どもたちの校長を任されたきみが、こういう勘違いの老害の最後っ屁の言いなり、使いっ走りになり、横でニヤけたまま突っ立っていて恥ずかしくないのか?

どういう了見か知らないが、わざわざ成城学園に入ってきて、子どもたちに慕われている先生を追い出した親も親だ。残り三年、ひょっとして中高まで上がったとしても、あなたや、あなたの子どものことは、クラスも、先生方も、同窓会の先輩たちも、永遠に絶対に許さないだろう。成城っ子は、あなたのように面と向かって人にがなり立てて、強引にムリを押し通すようなことはできないかもしれない。だが、それをしないのが、成城っ子だ。しかし、だからといって、毒づく変な連中に、好き勝手はさせない。あなたや油井雄二前理事長は、自分の思い通りにできたと思った成城学園が何だったのか、いつか思い知るだろう。

それより、共成くん、校長なんだろ、もっとしっかりしろよ。人のクビを切った引責で、自分も腹を切って、逃げて寝込んで終わりにする気か? この四月からの新理事長は、成城出でファンケルの改革をやってきた宮島和美さんだ。未来ある子どもたちに対して、無機的に巨大化した成城大学なんかに振り回されず、初等・中等教育主導の成城学園らしさを見直し、きちんと立て直す責任が、きみにはあるんじゃないのか? 

成城学園は、理事会のものなどではない。父兄が作ってきた学校だ。そして、学園名簿が父兄の名前でできていたように、それこそが成城学園そのものだ。数多くの同窓生や父兄そして子どもたちは、学園の現場の先生方を信頼し、期待し、心から応援していることを忘れないでくれ。