ロンドン在住ライター・宮田華子による連載「知ったかぶりできる! コスモ・偉人伝」。名前は聞いたことがあるけれど、「何した人だっけ?」的な偉人・有名人はたくさんいるもの。

知ったかぶりできる程度に「スゴイ人」の偉業をピンポイントで紹介しつつ、ぐりぐりツッコミ&切り込みます。気軽にゆるく読める偉人伝をお届け!

人権やジェンダー平等について調べてみると、本当にたくさんの人たちによる苦しい闘いの上に現在があることが分かります。にもかかわらず、“平等な社会”はいまだ実現していません。この分野を学べば学ぶほど、先人たちに尊敬の念を抱きつつも、同時に現状に対する絶望を感じます。

3月の「女性史月間」に紹介したいアクティビストは多数いますが、この記事で取り上げるのは、1970年代アメリカの女性解放&差別撤廃運動のアイコン的存在となった、グロリア・スタイネム。その人生は映画化もされていますが、女性・ジェンダー史を学ぶうえで知っておきたい人物です。

多岐にわたるグロリア・スタイネムの活動やキャリアの一部を、生い立ちや信念と共にお届けします。

22歳で中絶を経験し、ジャーナリストへ

グロリア・スタイネム(1934年3月25日〜)はアメリカ・オハイオ州トレドで、セールスマンの父レオと元新聞記者だった母ルースの第2子(次女)として誕生しました。

移動セールスマンだった父の収入は安定せず、母はグロリア誕生以前から精神を患っていました。彼女が10歳のときに両親は離婚。グロリアは父のもとで育ちましたが、母の姿を通し、幼少期から男女不平等な社会に気づいていました。

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母ルースの腕に抱かれる赤ちゃんだったころのグロリア。

スミス・カレッジに入学し、学士号を取得。卒業後、奨学金をもらい1957〜58年の2年をインドで過ごしました。彼女はインドに渡る道すがら、イギリス・ロンドンに立ち寄り、人工妊娠中絶を経験しています。22歳のときでした。

実は当時のイギリス(1950年代)は、健康上の理由以外での中絶は違法でした。しかし人権上の信念からリスクを承知で手術を引き受けたジョン・シャープ医師は、手術に際しグロリアにこう語りました。

「どうか私に2つのことを約束してください。一つ目は、私の名前を絶対誰にも言わないこと。二つ目は、これからの人生でやりたいことは何でもやるということ」(『My Life on the Road』の献辞より。筆者抄訳)

ある意味で、この言葉が彼女の背中を押しました。そして彼女は、その後の人生をこの言葉どおりに生きてきたのです。

インドから戻ったグロリアは、ニューヨークを拠点にジャーナリストとしてのキャリアを歩み始めます。しかし当時メディアのニュースルームは完全な男性社会。なかなか採用されず、フリーランスで執筆を続けました。女性の役割は女性向けの記事や男性の秘書的役割がメイン。上司に政治の企画を提案した際に、「君に(政治の記事を書くことなんて)期待していない」と言われたエピソードは有名です。

プレイボーイクラブの潜入ルポで話題に

そんな彼女を一躍有名にしたのが、「プレイボーイクラブ」に潜入して書いたルポタージュです。

1963年、グロリアは<PLAYBOY誌>の創刊者である実業家ヒュー・ヘフナー(1926〜2017年)が経営する会員制クラブ「プレイボーイクラブ」でバニーガールとして働き、その経験を記事「A Bunny's Tale(一人のバニーの物語)」として発表。

バニーガールたちが性差別を受けながら低賃金で働く実態を明るみにし、話題となりました。これによりグロリアの名声は高まったものの、その後しばらく「仕事の依頼がない」という状況が続くことに。しかし、この記事をきっかけにヘフナーがクラブのバニーガール職の賃金を見直すという結果に繋がりました。

8日間で30万部を売り上げ、編集者として活躍

1968年、<ニューヨーク誌>の創刊に携わり、政治運動や女性解放運動などの社会問題の報道に従事するようになります。そして1971年、ジャーナリストのパトリシア・カーバイン、レティ・コッティン・ポグレビンなどの仲間ともに雑誌<Ms.(ミズ)>を立ち上げました。

立ち上げ当初は<ニューヨーク誌>の特別号としてのテスト出版でしたが、8日間で30万部を売り上げたことで1972年に独立。この雑誌が支持された理由について、グロリアはラジオのインタビュー(1972年1月24日)で、次のように語っています。

「私自身も、そして他の多くの女性たちも、お互いにとても孤立していると感じています。だから、意識改革のためのグループであり、家に来てくれる友人であり、自分の人生についての真実を伝え、単なる逃避を提供するのではなく人生を変える助けとなるような雑誌を必要としているのです」(インタビューから一部抜粋、筆者抄訳)

活動家として:全米女性政治連盟(NWPC)の設立

この時期、アメリカではウーマンリブ運動(第二波フェミニズム)が盛り上がりをみせていました。

ベティ・フリーダンという、全米女性組織(National Organization for Women、通称NOW)の会長の著作『女らしさの神話』が引き金となり、1970年8月26日には女性参政権獲得50年を記念してニューヨーク市および全米各都市で「平等を目指す女性たちのストライキ」が行われました。

グロリアが“活動家”としての目覚めの時を迎えたのもこの時期でした。1969年、中絶合法化のための演説会で、22歳のときに受けた人工妊娠中絶の話を、初めて公の場で語ったのです。この出来事がターニングポイントとなり、女性解放運動へ積極的に取り組みはじめます。

また1969年に<ニューヨーク誌>に書いた記事「After Black Power, Women’s Liberation(ブラックパワーの次は、女性解放)」が広く読まれたことにより、グロリアは女性解放運動のリーダー的存在として認知されるようになります。

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『After Black Power, Women’s Liberation』が掲載された『ニューヨーク』誌1969年4月7日号。

そして彼女は、仲間たちと「男女同権憲法修正案(Equal Rights Amendment、通称ERA)」のキャンペーンに尽力します。これはアメリカ憲法に「法のもとにおける権利の平等を合衆国もどの州も性によって否認もしくは制限してはならない」と明記した修正条項を成立させようとしたムーブメントです。

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ERAにまつわる賛成派と反対派のキャンペーンについては、米ドラマ『ミセス・アメリカ〜時代に挑んだ女たち〜』で分かりやすく描かれています。第2話はグロリアが主役となっています。

1971年7月10日には320人以上のアメリカ全土の女性たちと共に、「全米女性政治会議(NWPC)」を創設。創設総会で、グロリアは「アメリカの女性たちへ(Address to the Women of America)」と題した名演説を行い、性別だけでなく人種や社会的階級で差別される社会構造を力強く否定しました。

「これは単純な改革ではありません。まさに革命なのです。性別と人種は、目に見える簡単な違いであるため、人間に優劣をつけやすいのです。そしてこのシステムは、安価な労働力を得るために必要なのです。私たちは、自分が選択した役割と獲得した役割以外の役割(性別や人種や所属階級に由来する役割)が存在しない社会について話しているのです。私たちは、まさにヒューマニズムについて話しているのです」−−『アメリカの女性たちへ』から一部抜粋、筆者抄訳。
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グロリア(左)とNWPC共同創立者のベラ・アプツーグ(右)。

現在も活動を続けるグロリア

今年で89歳となったグロリアですが、現在も作家、政治&人権アクティビストとして活動を続けています。女性解放についてだけでなく、トランスジェンダー、児童虐待、リプロダクティブライツ(性と生殖に関する健康と権利)、死刑制度など、幅広く“人権と平等”に取り組んでいます。

1970年代に盛り上がったERAは結局1982年の批准期限内に成立できず廃案となりました。しかし、グロリアは諦めていません。2022年6月24日、アメリカ最高裁判所がロー対ウェイド判決を覆し、全米で連邦法の下に認められていた人工妊娠中絶の権利が保障されなくなりました。そんな今こそ、彼女はERAの必要性を訴えています。

世の中はそう簡単に変わらないのも事実。でもだからこそ「何とか変えよう」「少しでもより良い社会に」と逆風を受けながら活動した人達の軌跡を知ることが、私たち一人一人が動くきっかけになるはずです。

おすすめ映画

グロリアの伝記的映画『グロリアス』。センター分けの長い髪と大きなサングラスがトレードマークのグロリアを、ジュリアン・ムーアとアリシア・ヴィキャンデルがダブル主演で演じています。

参考文献


『Outrageous Acts and Everyday Rebellions』(Picador USA)グロリア・スタイネム著
『My Life on the Road』(Random House Trade)グロリア・スタイネム著
<National Women’s History Museum>
<The Wayback Machine Internet Archive>
<Gloria Steinem>
<The National Women's Political Caucus>
『ブリタニカ国際大百科事典』(ブリタニカ・ジャパン)