受験には、「合格/不合格」よりも大切なことがあります(Fast&Slow/PIXTA)

「『自分の頭で考える』って、どういうことなんだろう?」「頭が良い人とバカな自分は、いったいどこが違うんだろう?」

偏差値35から東大を目指して必死に勉強しているのに、まったく成績が上がらず2浪してしまった西岡壱誠氏。彼はずっとそう思い悩み、東大に受かった友人たちに「恥を忍んで」勉強法や思考法を聞いて回ったといいます。

東大生は『生まれつきの頭の良さ』以前に、『頭の使い方』が根本的に違いました。その『頭の使い方』を真似した結果、成績は急上昇し、僕も東大に合格することができたのです」

頭の良い人は、頭をどう使っているのか? 「自分の頭で考える」とは、どういうことなのか? 「頭の良い人」になるためには、どうすればいいのか? 

そんな疑問に答える10万部ベストセラー『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』の著者である西岡氏に、今回は「受験で不合格になってしまった子どもに、親はどんな声をかけるべきか」について、解説してもらいました。

「不合格」だった子どもに言ってはいけない一言

みなさんは、もしお子さんが受験で不合格になったら、どんなふうに声かけをしますか?


受験というのは合格と不合格がはっきりと出てしまうものです。とても頑張っていたとしてもうまくいかないこともありますし、それで落ち込んでしまうこともあるでしょう。

そんなときに、親御さんはどんなふうにお子さんに声をかけてあげればいいのでしょうか? 親としても、早くお子さんに立ち直ってほしいとは思いつつ、声かけの仕方によっては子どもを傷つけてしまいます

今日は、浪人を経験した東大生たちや、中学受験で失敗した東大生たちから聞いた、親御さんの声かけについて共有させてください。

さて、先に「やってはいけないこと」からお話ししましょう。

「惜しかったね」「もう少しだったのにね」と話すのは、よくないことです。この言葉をかけてしまうと、お子さんにとって受験が「失敗だった」という感覚になってしまいます。

不合格になっているということは、「挑戦した」ということにほかなりません。偏差値的に絶対に合格できるところで不合格になった場合はともかく、ほとんどの場合は「受かるか落ちるかわからないところを目指した結果、運悪く、不合格になってしまった」というだけです。

「不合格」は、自分の行けるところではなく、行きたい道を模索して頑張った「挑戦の勲章」です。


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人間は挑戦していれば成長できます。たとえ結果として行きたい中学・高校・大学に行けなかったとしても、その過程で、必ず成長することができているのです。それなのに、ただ「失敗だった」と子ども自身が感じてしまうのは、あまりにももったいないです。

「不合格」という結果を「失敗だ」ととらえてしまうと、「負け癖」がついてしまいます。「どうせ自分なんて無理だ」と、次の挑戦を避けるようになってしまうかもしれません。そうなってしまっては、挑戦することのない、安全な道だけを模索する人生になってしまいます。

親御さんにお願いしたいのは、「不合格」で子どもが腐らないようにしてあげることです。子どもが次の挑戦を見据えられるように、前を向けるように、頑張った過程を褒めてあげるようにしましょう。「惜しかったね」ではなく、「よく頑張ったね」と褒めてあげるようにするのです。

「不合格」を経験した東大生に親が言った言葉

中学受験で第一志望に受からなかったという場合でも、直前期に成績が伸びたことを褒めてくれたと語る東大生がいました。「結果は不合格だったけれど、これだけ成績伸びたのはすごいよ!」と。

また、「こんなに何か1つのことを極めたのって、初めてなんじゃない?」と言って、結果ではなく努力のほうを褒めてもらったと語っている東大生もいました。

僕も自分のことを思い返すと、浪人中、母親がこんなふうに言っていたのが、なんだかすごく嬉しかった思い出があります。

「あんた本当、よくやるわね。私はやったことないけれど、受験ってすっごい大変なことで、こんな大変なことを何回もやっているんだから、きっといつか、いいことあるわよ」と。

これらのように、受験の中で何か、褒めるポイントを見つけてあげるというのは大きな意味があると言えます。

受験を、「不合格だった」という失敗の体験にするのではなく、「頑張った」という成功体験にできれば、きっとそれは「失敗」にはならないのです。

しかしお子さんの中には、かたくなに受験を「失敗だ」ととらえてしまう人もいるでしょう。「でも結局、不合格になったら、それは失敗でしょ?」と。

また、親御さんの中にも、同じように考える人もいると思います。「現実問題として、うまくいかなかったことはうまくいかなかったこととして、子どもにしっかり教え込まないといけないのではないか?」と。

これはまったく間違っていないと思います。受験において、不合格というのはある種の「ゲームオーバー」であることは確かでしょう。

受験のゴールは「合格」だけではない

でも、受験のゴールって、なにも「合格」だけではないと思うんです。

僕は、偏差値35から受験しました。そして今も、偏差値が低いところからの受験を支援していて、いろんな生徒を見ています。その中には合格できる生徒もいますし、惜しくも不合格になってしまう生徒もいます。

でもみんな一様に、「成長」しているんですよね。1年ちょっとで、顔つきが変わっているし、大人になっているんです。

彼ら彼女らを見て、ちょっと話しただけで、「半年前の〇〇くんとは全然違うね」と感じる人も多いです。それくらい、受験って成長をうながすものだと思うんです。

もっと言えば、合格した人より、不合格になった人のほうが、人間的に成長できることもあります。

合格した人は、受験の道のりを「うまくいったもの」としか感じられません。「結果的にうまくいったのだから、すべての選択・努力が正しかったんだ」と感じることでしょう。

しかし、不合格になった人は、受験の道のりを振り返って「何がいけなかったのか」「あのとき、どうしていればよかったのか」を徹底的に考えます。後悔して、どうすればよかったのか、合格した人の何百倍も考えます。

だからこそ、受験の振り返りの質は、合格した人より圧倒的に不合格になった人のほうが高いのです。もしかしたら、受験を通して人間的に成長するのは、合格した人よりも不合格になった人かもしれないのです。

受験をゲームと見たら、不合格は「ゲームオーバー=ゲーム終了」かもしれません。

でも、同時に「ゲームセット=ゲーム完了」でもあるのです。最後まで頑張ったのであれば、それはゲームを最後の最後まで懸命に戦ったということで、その分、最後まで成長することができたわけです。そう考えると、やはり「失敗」では決してないのです。

いかがでしょうか?

ただ「不合格=失敗」と考えるのではなく、きちんと戦い抜いた分、成長することができたと考えるようにすると、その後の人生でもいろんな挑戦をすることができるようになると思います。ぜひ、参考にしてみてください!

(西岡 壱誠 : 現役東大生・ドラゴン桜2編集担当)