悪事を働く北朝鮮のハッカーにも葛藤がある(写真:JONAH M. KESSEL/The New York Times)

2022年10月、警察庁・金融庁等が連名で北朝鮮のハッカー集団「ラザルス」を名指しで非難、その危険性の注意喚起を行いました。経済は破綻し飢餓に覆われる北朝鮮が、高額なミサイルを撃ちつづけられる理由の一端も、ラザルスが世界中から盗み取り、脅し取った金にあると考えられています。

米国ハリウッドへの攻撃にはじまり、世界各地での銀行ハッキング、病院へのランサムウェア攻撃による身代金奪取、そして「暗号資産」の大規模奪取など、容赦ない攻撃を続けるラザルス。調査報道のベテランジャーナリストが緻密な取材でこのハッカー・グループの正体を追った書籍『ラザルス: 世界最強の北朝鮮ハッカー・グループ』の一部を再構成、北朝鮮のハッカー育成とそこにある葛藤を明らかにします。

なぜラザルスは中国で活動するのか

FBIの「最重要指名手配:サイバー犯罪」のリストにアクセスすると、青地を背景にこちらを見つめる朴鎮赫(パク・ジンヒョク)の写真を見ることができる。無表情で、黒ストライプのしゃれたシャツに茶色のジャケットを着込んでいるが、街ですれ違ってもすぐに忘れてしまうようなタイプだ。

だが、この男こそ、数々のサイバー犯罪で使われてきたあらゆる偽名を使ってきた人物の素顔だとFBIは主張する。ソニー・ピクチャーズのコンピューター・システムをダウンさせ、バングラデシュ銀行から数百万ドルもの預金を奪ったのもこの男だ。

彼のような北朝鮮のハッカーが中国で活動していたことも明らかになった。このことは素朴な疑問をさらに深めることになった。北朝鮮の偏執的な孤立主義を考えると、なぜ北朝鮮政府はこうした者たちを国外に送り出すのだろう。

どうして国内にいて攻撃を行おうとしないのか? それには技術的な理由がいくつかある。北朝鮮のネット環境は非常にかぎられている。ネットへの接続はロシアと中国に拠点を置く企業から提供されており、国全体としてIPアドレスの保有数は約1000にすぎない。北朝鮮のハッカーが、国境を越えて中国に移動し、何千万ものIPアドレスのなかに身を隠すことはきわめて理にかなっている。

北朝鮮が国境を越えてハッカーを送り込むのは、この国ならではの理由がある。国外に人を派遣することが、自国以外の世界のほかの国の考え方やコミュニケーションの方法を学ぶ機会になっているのだ。攻撃相手をだますために効果的なフィッシングメールを送るには、相手が属している文化に精通していなくてはならない。だが、情報が厳しく管理された北朝鮮のような隔離社会ではそれはできない。

「彼らの仕事はインターネット社会や相手国の文化に溶け込み、オンラインゲームやインターネットカジノ、あるいはSWIFTのような銀行間取引などからどうやって祖国の政権に収入をもたらすか、その方法を考えることなのです」と、ある米NSAアナリストは言う。

海外に派遣された北朝鮮のハッカーはオープンなインターネットにアクセスすることができる。アクセスはそれぞれの担当者によって厳しく監視されていたのは事実だが、祖国で暮らす者に比べれば、情報にアクセスできる裁量権が必然的に授けられており、その自由度は、インターネットへの接続が指導教員によって指示されている大学生さえ比べものにはならなかった。

その過程で彼らは、必然的に北朝鮮の政権が人民に説いてきた噓や、世界の大半の国々と比べて祖国が絶望的な貧困のもとで暮らしている現実を知ることになった。それにもかかわらず、彼らはともかく国のために働き続けてきた。なぜ働くことができるのだろう? 理由はひとつではない。つねにアメとムチが使われてきたのだ。

ハッカーになれば北朝鮮の階級制度から抜け出せる

ハッカーになることは、この国の厳格な階級制度から逃れられる手段である。北朝鮮の社会では人びとは3階層の「出身成分」に分類されており、分類はそれぞれの家族の出自と、国の創設者である金日成とその後継者との関係にもっぱら基づいている。一度その身分に分類されると、抜け出すことはまず不可能だ。しかし、元駐英北朝鮮公使で脱北者の太永浩によると、この運命から逃れる方法はいくつかあるという。

階級を変えるドアは、「まず、スポーツの分野に対して開かれている。サッカーのプレイヤーとしての才能に恵まれていること、あるいはオリンピックもしくはそれに相当する国際大会でメダルを取ること。2枚目のチケットは音楽で、ピアニストやダンサーとしての成功だ」。

「そして、3枚目がコンピューター科学だ。数学が得意なら、平壌から遠く離れて暮らしていても、首都以外でも数学の大会が開かれる機会がある。下層階級の子弟として、それでも平壌に行きたいとか、あるいは身分階層を向上させたいなら、そのときは死にものぐるいで数学の勉強をしなければならない。本当の競争が可能なのがこの分野だ。そして、優秀であると証明できれば、ほかの者には進めない特別な学校に選抜される」。

数学の才能に恵まれている者なら、コンピューターの世界に進むことができるという。「学校ではコンピューター教育は、11歳か12歳で始まる。『サイバー戦士』を育成するため北朝鮮には非常に洗練された教育システムが用意されている」。

数学とコンピューターの才能があれば、もうひとつ別の恩恵にもあずかれる。海外旅行だ。ハッカーになる以前の段階で、北朝鮮の数学の天才児たちは、もっとも分野が絞られた世界的コンテストの「国際数学オリンピック」に参加し、外の世界を体験することができる。

北朝鮮も代表チームを結成して大会に派遣しており、この国の「数学戦士」はトップ10に入ることも珍しくない。中国やアメリカなど、人口も資源も豊富な国と並んで、非常に優秀な成績を収めている。

国際数学オリンピックの参加者で、その後脱北した人物は、開催国ではじめて目にした街灯のまぶしさ、行き交う大量の車を見たときの驚きの光景について語っている。このような体験は通常、平壌のエリート層だけにしか許されていない。そして、数学オリンピックは参加する北朝鮮の若者たちが緊張を解き、世界の人たちと交流する機会にもなっていたようである。

ハッカーも北朝鮮の「サイバー奴隷」である

しかし、ゆくゆくはサイバー兵士となる北朝鮮の数学の天才児たちは、時には望外の特権を享受できるとはいえ、それに見合うだけの数々の苦難に耐えなければならない。北朝鮮のハッカーの大半は、何百万人もの同胞と同じように、この国の軍隊の一員であり、そのような存在として扱われている。

太永浩が言うように、「サイバー兵士に選抜されたら、たしかに配給はよくなるだろう。だが、生活が大変になるのはやはり軍隊だからだ。たとえば朝は6時に起床。一睡もしないまま10時間、15時間、20時間、働き続けられるだけの体力もいる。そうした理由から、サイバー教育の分野では、政府はとくに優秀で才能を備えている青年を選んでいる」のだ。

また、政府直属のハッカーの多くは北朝鮮国内で働いているという。「彼らの全生活は北朝鮮のほかの社会から隔離されている。軍の施設から簡単に出られないよう、彼らは閉鎖された空間で働いている」。

軍のハッカーと中国で交流があった脱北者の一人は、彼らのことを「サイバー奴隷」と評していた。彼らハッカーには、年間少なくとも1万ドルの利益をあげる任務が課せられていた。稼いだ金の大半は最終的に平壌に送られていく。大連に暮らしていた李賢勝が言うように、「彼らは月に300ドルの給料をもらい、それは彼らの報酬となっていたが、残りはすべての上層部の人間のところに直接流れていった」。

彼らはこのように政権から扱われているが、国の命令で国外に派遣されてきた点では、ハッカーもこの国の何十万人の人民となんら変わりはない。シベリアの建設現場からミャンマーの朝鮮レストランまで、この国の労働者には世界のあらゆる土地に出向いて働いてきた長い歴史がある。彼らはハッカーよりさらに厳しい管理のもとに置かれ続けるが、国外に送り出されていく目的はただひとつ。政権のために現金を稼ぎ、1ウォンでも多くの金を本国に送金することだ。

アメリカの国連代表部は、北朝鮮政府がこのやり方で年間5億ドルの利益を得てきたと主張している。これは明らかに国家が支援する奴隷制度だと考える者がいれば、低迷する経済を立て直すため、政権が行ったもうひとつの絶望的な試みと考える者もいる。

ハッカーを脱北させないため必ず人質をとる

インターネットにアクセスできるので、外の世界がどうなっているのか、母国とはどのように違うのかについては、本人が想像する以上の見識が得られたはずだ。政権が教え続けている噓も知っている。北朝鮮の生活が、ほかの多くの国が享受できる水準よりはるかに低い事実にも気づいている。脱北者の話も聞いたことがあるだろうし、彼らがどんな手段で国を逃げたのかも知っているかもしれない。それにもかかわらず、なぜ朴鎮赫は脱北者の一人に加わろうとはしないのだろうか?

そこで登場するのが「ムチ」だ。「アメ」つまり、海外旅行や自由な生活、出身成分の改善といった恩恵とは対照的に、北朝鮮のハッカーは、脱走を防ぐことを目的とした厳格なシステムによって抑え込まれている。


まず、脱北を試みて朴鎮赫が捕らえられた場合、連れ戻された北朝鮮で地獄のような獄中生活に直面することになる。たぶん、家族も巻き添えになるだろう。少なくとも、それまでキャリアによってもたらされたいかなる特権も失われる。

さらに、パスポートは発給されてはいるものの(発給されること自体が北朝鮮の大半の国民にとってきわめてまれ)、ほぼまちがいなく監視者の手で保管されている。逃亡の可能性を排除するのが目的だ。

しかし、それ以上に、脱北を夢見る北朝鮮の国民に立ちはだかる恐ろしい理由があり、脱北の意志そのものが挫かれてしまう。李賢勝が話していたように、「政府は国内に残る家族の一人をかならず人質として拘束している」のだ。

つまり、脱北に成功したらしたで、故国の親族に厳しい処罰が下されることを脱北者本人が一番よく知っている。

脱北に成功して他国で夢のような生活を送れる代償として、故国では自分に近しい人間を苦しめていることを知りながら生きていかなければならない。自由の代償として、心に傷を負い続けるような罪悪感を抱えなくてはならないのだ。

(ジェフ・ホワイト : テクノロジージャーナリスト)