日本に流れを持ってきた大谷翔平のプレー 5試合は全て彼のワンマンショーだった【柴田勲のセブンアイズ】

「侍ジャパン」が16日の準々決勝でイタリアを破って参加国で唯一の5大会連続で4強入りを決めた。
今後は舞台をアメリカに移すが、日本での5試合は大谷翔平(エンゼルス)のワンマンショーだった。大谷のための東京プールだ。16日の試合を見てつくづく思った。
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3回裏に1死一塁の場面で打席に入り、初球に三塁線へのセーフティバントを試みた。内野手3人が一、二塁間に寄る極端なシフトを敷いていた。
イタリアのマイク・ピアザ監督は捕手出身だ。かつて野茂英雄とコンビを組んでいた。日本でも有名だ。データを使った彼の指示ではないか。左に流されたら仕方ないと割り切り、右方向への打球を警戒したのだろう。

やはり「持っている男」
実際、1打席目のチャンスでは中前に抜けそうなライナーを捕られていた。3回、同じシフトで仕掛けたわけだが、打球を三塁線に転がし、俊足を生かして内野安打とした。
打球を処理した投手のジョセフ・ラソーサは一塁に悪送球してチャンスは一、三塁に広がった。併殺を嫌った自己犠牲のプレーだったが、これが悪送球を誘った。
やはり「持っている男」だ。ラソーサが落ち着いて処理していれば2死二塁だったが、一、三塁となり吉田正尚の二ゴロで1点を先制できたし、さらには岡本和真の3ランを呼び込んだ。
これで決まったと思った。イタリア戦は安心して見ていることができた。
1、2回のチャンスを潰していただけに、大谷のプレーは流れを日本に持ってきた点で大きかった。自分のことは考えずにチームのためという意識があった。
投手としても9日の中国戦よりは格段に良かった。中国戦はスライダーでストライクを取るのに四苦八苦していた。イタリア戦は追い込んでからのフォークが効いた。マウンド上で気合を発していたが、チームを大いに鼓舞していたと思う。
村上に適時打、岡本に一発が出たのは大きい
不振だった村上宗隆に待望の適時打が飛び出した。栗山英樹監督は我慢してずっと4番に置くと思っていたが「5番」に下げた。気分的に楽にしてやろうという配慮だ。
初めてファーストストライクを振るようになったと思う。これまでは簡単に見逃していた。積極性が出てきた。これから甘い球をどんどん狙ってほしい。
アメリカでは吉田が4番に座るよりも村上の方がいいのではないか。とにかく振らなきゃ始まらない。日本の三冠王だ。とにかく初球から甘い球を見逃すな。これまでは迷っていたが自信を持って臨んでほしい。
岡本にしても久々にいい笑顔を見た。外角から入ってきたスライダーをうまく捉えた。軽々と運んだ感じだった。
村上に適時打、岡本に一発が出たのは大きい。トーナメントは進めば進むほど相手は強敵になる。でも、外国人投手の球は速いには速いが制球力に難がある。彼らと対戦する時はボール球に手を出して助けてはダメだ。肝に銘じてもらいたい。
それにしても日本の投手陣は素晴らしい。大谷から伊藤大海(日本ハム)、今永昇太(DeNA)、ダルビッシュ有(パドレス)、そして大勢(巨人)、準決勝以降の勝負のカギを握るのは投手陣だ。
準決勝を勝ち上がって決勝へと進み、勝利の美酒に酔う「侍ジャパン」の姿が見たい。
柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。
デイリー新潮編集部