気持ちに整理がつかないまま「日常生活にしがみついている」と宣之さんはいう

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 株式会社LGBT総合研究所が2019年に発表したデータでは、日本の20歳〜69歳のうち10%が性的少数者だという。

 また、厚労省による企業アンケートでは、LGBTQの認知度は9割。だが実際に具体的な対応策をとっている企業は2割に過ぎなかった。いわゆる性的マイノリティに対して、日本はまだまだ理解が進んでいないといえる。

 男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏は、今回、性自認が女性の相手と関係をもった男性を取材した。本人が「恋愛や不倫ではない」と言い張る根底には、性的少数者に対する理解不足があるのかもしれない。

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「僕も性的マイノリティなのかもしれません。ちょっと不思議な関係を経験しました。そのために今、夫婦関係がおかしくなっています」

気持ちに整理がつかないまま「日常生活にしがみついている」と宣之さんはいう

 沢村宣之さん(40歳・仮名=以下同)は、同い年の佳世さんと結婚して12年がたつ。宣之さんの母、10歳のひとり娘との4人暮らしだ。宣之さんと佳世さんは新卒で入った企業の同期だった。配属先は佳世さんが東京、宣之さんが大阪だった。それから3年後、宣之さんが本社に異動となり、別の部署ではあったが、佳世さんと再会し、同期のよしみでときどき会うようになった。

「他にも同期はいたのに、なぜか佳世とは縁が切れなかったというか。東京と大阪で離れていた頃から、お互いに出張して会うこともあって。そんなときは必ず一緒に食事に行きました。気の合う仲間でしたね」

 つかず離れずの関係だったが、あるとき佳世さんが「フラれた」と泣きついてきたところから変化が生じた。

「当時、佳世は行きつけのバーのバーテンダーに惚れ込んでいたんですよ。閉店時間まで粘って彼と会話を交わすようになり、ついに告白してつきあったものの、実は彼は既婚者だったというオチがあって(笑)。バカだなあと言いながら、彼女のウケ狙いの失恋話を聞いていたんです。でもなんだかかわいいヤツだなとも思えてきた。話が一段落したときに『オレとつきあわない?』と言ってみた。彼女はびっくりしたような顔をしていたけど、『オレたち、話が合うでしょ』と顔を覗き込むと、『それもありかもね』って。そんな軽いノリからつきあいが始まって、なぜかトントン拍子に結婚してしまったんです」

 一緒にいると楽しい。その一言に尽きた。お互いに興味や関心の持ち方、考え方が異なっていたからだ。何かあると佳世さんの意見を聞きたくなった。彼女なら何というだろう、どう考えるだろう、と。それは佳世さんも同じだったらしい。

コロナ禍で応援していた店で…

 結婚して2年で娘が産まれた。佳世さんは半年ほどで仕事に復帰、近くに住んでいた宣之さんの母が全面的にバックアップしてくれた。宣之さんの母と佳世さんは、出会ったころから馬が合った。

「仲がいいんですよ。話を聞いていると、どっちもけっこう勝手なことを言ってるんだけど、お互いに認め合っている。僕から見るとふたりともそそっかしくて、それをふたりがツッコミあってるから、なんだかついつい笑っちゃって。そうするとふたりが『笑ってないで手伝ってよ!』と同時に叫ぶ。そんな感じで平穏な日々でした」

 母は週末の夜、自分が娘をみているからふたりで食事でもしておいでとよく言ってくれた。夫婦は日曜日に母を外出させた。母は近所の友人と日帰り旅行をしたり、旧友と食事に行ったりしていた。協力しあって4人の暮らしはうまく回っていたのだ。

 ひとり娘が小学校に入ってすぐコロナ禍となり、大変な時期もあったが、ふたりとも基本的には出社していた。

「ただ、あの頃は本当にストレスがたまりましたね。僕は一応、部署のまとめ役だったのですが、部長が体調を崩して入院するし、部下たちは出社停止でリモートワークだし。ひとりで奔走している感じでした」

 最初の緊急事態宣言が明けたころ、とある飲食店から連絡があった。店が危ないから助けてほしいという内容だった。

「今はあまり使わなくなった表現だけど、いわゆる“ニューハーフ”の店でした。同僚がその店が好きで、ときどき行っていたんです。仕事の接待で利用したこともあります。ママが僕と同い年で。久しく行ってなかったんだけど、大変なんだろうなと思って足を運んでみました」

 がらんとした店内で、ポツンと座っていたママが、彼の顔を見るなり立ち上がって歓迎してくれた。愚痴を聞き、心から慰め励ました。それというのも、彼はママに恩義があったからだ。

「仕事上、どうしても取引を成立させたい相手がいたんですが、なかなかうまくいかなかった。後輩が相手社長がこういった店が好きらしいと情報を仕入れてきて。社長を接待したときに、こっそり耳打ちしておいたママがものすごくいい働きをしてくれたんです。それで取引が成立したといってもいいくらい。上司や役員たちもそれから店を贔屓にしていました。でもあのコロナ禍ではね、人を連れていくわけにもいかなくて……」

 それでも宣之さんは諦めず、せっせと店に通った。その様子をじっと見ていたのが、店に入ったばかりのマリアさんだった。「今辞めさせたら、この子は行き倒れになっちゃう。天涯孤独な子なの」とママが紹介してくれたマリアさんは20代半ば、もともと小柄で性自認も女性。当時はホルモン剤を常用していて、少し胸が膨らんできたところだった。

「不思議な魅力をもっている子でした。妖精みたいな感じというか。口数が多いわけではなかったけど、気が利いていて聞き上手だった。僕がつい仕事の愚痴を言うと、真剣な表情で聞いてくれました」

 マリアさんは帰りに必ずハグしてくれた。それがなんとも心地よかったと宣之さんは言う。そして色白の華奢な手がひらひらと宙を舞い、「また来てね」と彼女は微笑むのだ。

「恋愛とはいえないんだけど、彼女といると浮き世の憂さを忘れるというか、自分が浄化されていくような不思議な快適さがありました。店は休業していた時期もあり、その間、僕はマリアとデートを繰り返していた。いつも少しだけお小遣いをあげていました」

妻の発言で感じた後ろめたさ

 彼はあるとき、妻に「マリアって誰?」と単刀直入に声をかけられて驚きのあまり、飲んでいたコーヒーでむせてしまった。なぜその名前をと尋ねると、妻は「あなたが寝言で言ってたのよ、マリア、マリアって。浮気でもしてるんじゃないの?」と笑った。

「僕も慌てて笑いながら、マリアは恩義のあるママの店で働いている子だということだけ話しました。ごく普通のスナックだよとも言っておいた。妻も『なあんだ、そういうことなの。でも大変ね、飲食店も』と世間話に転じてくれたので助かりました」

 宣之さんには、どこか後ろめたさがあったのだろうか。そう聞くと、しばらく考え込んでから、「あったのかもしれません」と彼はつぶやいた。恋愛したいとか関係をもちたいとか、そういうことではなく、彼女のことが気になってたまらないという感じだったらしい。戸籍上は男性だとわかっていても、ふたりのやりとりの中で信頼だけではない感情が行き交っていたのだろう。恋心と一口に言っても、人情や人間愛に近いものから激しい情欲まで、多彩なグラデーションがあるのではないだろうか。

「僕自身は同性に対してそういう気持ちをもったことがないから、自分が恋をしているとは思っていなかった。でも妻にマリアのことを聞かれたとき、自分でもびっくりするくらい動揺したんです。それで以前よりマリアのことを意識するようになってしまった」

 マリアさんと食事をしての帰り道、彼女が「いつもお世話になっているからお礼がしたい」と言い出した。そんなことは気にしなくていいと言ったが、自分の気持ちがすまないという。うちに来て、おいしいコーヒーがあるの。宣之さん、コーヒー好きでしょと言われ、彼女の住まいを見たいという好奇心にもかられて行ってしまった。

「そこで少し特別な関係になったんです……キスもしました。やはり僕はマリアのことが好きなんだと実感した。ただ、女性に対する気持ちとはどこかが違っていました。うまく説明できないけど」

 これだけは妻には言えない。彼はそう思ったという。

「危うい関係」は続き

 店が以前のように営業されるようになると、宣之さんはホッとした。だが、マリアさん目当ての客が少しずつ増えているとママから聞かされたとき、自分の中でメラメラと燃え上がるものがあった。

「でも恋愛ではない。そう自分で決めつけました。だって僕は変わらず妻を愛していたし、家族はうまくいっていたから。ママの手前、店に行かないわけにもいかない。月に1回くらいは行っていました。あるとき、マリアが『最近、食事に連れていってくれないのね、さびしい』と甘えてきた。やっぱりかわいいんですよ。翌日の約束をして帰ろうとしたら、ママに『あなたのことだから大丈夫だと思うけど、マリアを傷つけないでね』と釘を刺された。お見通しだったんでしょうね。ママは、僕自身より僕の気持ちを把握していたのかもしれません」

 店が休みの日、マリアさんの自宅に直接行くこともあった。「危うい関係」は続いていた。だが客が増えてくるにつれ、マリアさんの気持ちが微妙に引いていくような気がしてならなかった。

「食事に行かないかと言っても乗ってこない。これは誰かいい人ができたに違いない。そう思いました。彼女が幸せならそれでいいと鷹揚に構えていたけど、心の奥では焦っていたんです。自分の気持ちに気づかないふりをしていただけだったのかもしれない」

 そこで引けばよかったのだ。もともとはっきりした恋愛関係があったわけでもないのだから。だが彼は深追いした。マリアさんが休みの日に自宅に行き、ドアをガンガン叩いたのだ。

「彼女はドアを開けてくれたけど、少し迷惑そうだった。ごめんと謝りながらも、マリアと会えなくて寂しかったと言ったら、『宣之さんから卒業したほうがいいと思うの』と言うんです。頼りすぎた、家庭のある人なのにと。僕が離婚すればいいのかと思わず言ったら、そういうことではないと言われましたが。彼女自身も『別れたいという言葉を使うのはヘンだと思う。お店には来てほしい』と。そんな身勝手な言い草があるかと思いました。今思えば頭に血が上っていたんでしょうね。僕は彼女を押し倒してしまった。抵抗されました。すると突然、部屋に男が入ってきたんです。僕より若くて、ずっといい男でした。マリアが彼に抱きついてこっちを見ていた。わかったよ、ごめんと引き下がり、部屋を出ていくしかありませんでした」

 店のママの顔や部長の顔が浮かんだ。今後も店を使うことはあるはずだから、ママに迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 それから数日後、店に行くとマリアさんは消えていた。

「何日か前から、マリアの様子がおかしかったのよ。あなた、事情を知らないのと聞かれたけど、なんとも答えようがありませんでした」

 あの男とどこかへ行ってしまったのだろうか。マリアさんとの関係は1年足らずだったが、いなくなってみて初めて、宣之さんは自分が彼女にこれまで感じたことのない複雑な愛情を抱いていると認めざるを得なかった。

「全部知ってるんだから」

 その後、マリアさんからママに連絡が入り、無事でいることはわかった。だが、店には戻れない、別の場所でひとりでがんばってみるという話だった。

「あの男が恋人というわけではなかったのかと、さらにがっくり来ました。マリアがなぜ消えたのか説明がつかないから……」

 寂しさを抱えながらも、宣之さんはなんとか日常生活に戻ろうとがんばった。そして少しずつ気持ちが落ち着いてきた昨年末、突然、母親の様子がおかしくなった。

「ちょうど4人で夕食をとっているときでした。母がいきなり手に持っていた茶碗を落としたんです。どうしたのと言ったら、少しぼんやりして『ううん、大丈夫』と。急に力が抜けたのと言ったんだけど、少しろれつが回っていなかった。それに気づいたのは佳世です。『おかしい、脳梗塞かもしれない。救急車呼んで』と言われて。結局、佳世の言うとおりでした。軽い脳梗塞と診断され、そのまま3週間ほど入院したんです」

 母がいない期間、佳世さんは仕事をしながら家事をこなし、娘のめんどうもみなければならなくなった。宣之さんも「手伝った」つもりだったが、佳世さんはいつにも増してストレスを感じていたらしい。

「母が退院する直前、家事のことで言い争いになったんです。僕は佳世とはケンカひとつしたことがなかったけど、こんなに頑固で融通の利かない女だったのかとびっくりして、ちょっとひどいことを言ってしまったんですよ。僕の母がいなかったら、きみは家事も育児もできないんだから、ものすごく困っただろうね、というような。母がいても佳世ががんばっているのは知っていました。それなのに、そんなことを言ってしまった」

 そのとき、佳世さんの表情が変わった。彼女は必死に何かに耐えているようだったが、顔を上げると、「あなたこそ、家事や育児をお義母さんと私に押しつけて何をしてた? 女のような男に入れあげてたんでしょ、見て見ぬふりをしてきたのに。バカにしないでよ。全部知ってるんだから」と一気に言った。

「マリアを遠くに追いやったのは妻だったのかとピンときました。連絡したのかと聞いたら、『したわよ。人の夫を惑わせないでって』と白状しました。それはひどい。マリアがどんなに傷ついたか。それなのに彼女は黙って僕の前から姿を消した。僕とマリアはそんな関係じゃない、誤解も甚だしいと怒鳴りましたが、内心では『マリアに申し訳ない』とばかり思っていた」

 母が退院してきたのでケンカをしているわけにもいかず、夫婦は表面上、穏やかに過ごしている。だが彼はほとんど妻とは直接、口をきいていない。それを母親が気づかないはずもない。

「先日、娘が寝たあと、母が『あんたたち、どうしちゃったの』と言い出して。病み上がりの母に本当のことを話すわけにもいかず、妻も僕も苦笑するしかなかった。『お義母さんに心配させたくないから、普通にして』と妻に言われたので、一見、以前の日常が戻って来たようには振る舞っています。妻は僕の携帯を見て、マリアとのことを知ったようです。それもね……人の携帯を見るようなタイプだとは思っていなかったからショックでしたね」

 宣之さんは何の釈明もしていない。妻も説明を求めてはこないが、夫婦の夜の生活はまったくなくなった。

 マリアさんとの不思議な関係を思い起こすたび、彼は自分が同性を愛することができるのか、あるいはマリアさんの性自認が女性であったから恋のような気持ちを抱いたのか、わからなくなっている。さらにあの頃の自分の感情にも「恋」と名前をつけることに抵抗があり、「浮気や不倫をしたわけではない」と考えている。それでも、マリアさんとは明らかに気持ちが通い合っていた時期があり、彼女によって性的満足を得たことも何度もある。あれはいったい、何だったのか。自分の中で整理がつかないまま、そしてマリアさんがどこにいるのかわからない不安を抱えたまま、今も「日常生活にしがみついている」と自嘲気味に言葉を吐き出した。

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 宣之さんは、部屋に押しかけるほどにマリアさんを気にかけ、妻の振る舞いに「マリアを追いやった」と怒ってもいる。にもかかわらず彼女との関係を「浮気や不倫ではない」と言い切るのは無理があるのではないか。少なくとも佳世さんは夫が不貞行為を働いたと思っているわけだから、妻と同じ前提に立たなければ関係の修復は望めないだろう。

 さらにいえば、宣之さんが「不倫ではない」と言い切ることは、マリアさんに対して不誠実ではないか。これが身も心も女性が相手だったら同じことを言うだろうか。マリアさんを失い、佳世さんからも距離を置かれている現状は、宣之さんの人間性が招いた事態という印象も受ける。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部