「食道がんリスクが50倍」はどんな人? 何年禁煙すれば非喫煙者と同じになる? がん予防研究の最前線

我々の暮らしはさまざまな選択の上に成り立っている。何を食べるのか、酒、タバコを嗜むのか、休日をどう過ごすのか……。無論、その「選び方」は人それぞれだが、少しの工夫でがんになるリスクを低くできるのだとすれば、その方法を知っておいても損はあるまい。
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半数近くのがんは理論上防げる?
「人生100年時代と言いますが、“長くハッピーな老後”を阻む壁。それががんだといえます」
そう語るのは、『知っておきたい「がん講座」 リスクを減らす行動学』の著者で東京大学大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授の中川恵一氏だ。
「がんが死因になる割合は、20代では1割前後で、その後、年齢とともに高くなっていきます。男性は65〜69歳、女性は55〜59歳がピークとなります。つまり、死因としてのがんは、中年から70歳前後までの年代で比率が高い。がんは働き盛りで家計を支える人を襲い、家族にも大きなダメージを与えます」

統計上、男性の場合は3人に2人、女性の場合は2人に1人はがんになる。つまり我々は誰もが、年齢が上がるにつれてがんになるリスクを直視せざるを得ないのだ。しかし、絶望する必要はない。
「国立がん研究センターの報告によれば、がんの原因の3割〜5割程度は予防可能な因子だとされています。残りは加齢による細胞のコピーエラーの増加など、原因が分からないものということだと思いますが、少なくとも半数近くのがんは理論上は防げるのです」
と、『手術件数1000件超の名医が教える がんにならないシンプルな習慣』の著者で産業医科大学第1外科講師の佐藤典宏氏は話す。
「ただし、50%を全て完全に予防しようとしたら、仙人みたいな生活をしなければならなくなる。それでは生活していてもおもしろくないし、楽しくもないでしょう。だからみなさんができる範囲でやればいいと思います」
何年禁煙すればいい?
「喫煙はがんの原因のトップで、日本人の場合、喫煙者のがん死亡リスクは、非喫煙者に比べて、男性で1.7倍、女性で2倍になります」(中川氏)
たばこを吸うと肺がんになる。そう思い込んでいる方が多いだろうが、
「喫煙は肺がんや咽頭がんだけではなく、事実上、全てのがんのリスクを増やします。肺から血液に発がん物質が入り、全身の臓器に影響を与えるわけです」
と、中川氏。
「たばこに含まれる発がん物質は70種類程度あります。これらの多くは体内で活性化された後に細胞内にある遺伝子に結合し、突然変異を起こします。その結果、細胞をがん化する『がん遺伝子』が活性化されたり、がん化を抑えている『がん抑制遺伝子』が不活性化されたりして、細胞のがん化が起こると考えられています」(同)
遺伝子の変異
そのことは最近の研究でも明らかになっている。
「現在、さまざまながんにおけるゲノム情報が明らかになりつつありますが、日本、米国、英国など17カ国が参加する国際がんゲノムコンソーシアムでは、1万6千人の患者から採取したがん細胞の遺伝子情報をデータベース化し、研究者に公開しています」(同)
そのコンソーシアムの共同研究グループが2016年11月、喫煙と関連が深い17種類のがんを対象に、5243人のがん細胞の遺伝子情報を解析し、発表。
「喫煙者に発症したがんでは、非喫煙者のがんと比べて、明らかに突然変異の数が多いことが分かりました。毎日1箱を1年間吸った場合、細胞に蓄積する遺伝子変異の数は、肺が150個で最も多く、喉頭で97個、口腔で23個などでした。1日の喫煙本数が多いほど、喫煙年数が長いほど、これらのがんのリスクが高まると考えられます」(同)
佐藤氏もこう語る。
「たばこと胃や食道といった消化器官のがんには強い関係があります。厚労省が公開しているページでは、肺がんや咽頭がんだけではなく、食道がん、肝臓がん、胃がん、すい臓がん、膀胱がん、子宮頸がんまでが喫煙者がなりやすいがんとして列挙されています」
21年以上禁煙を続けると…
ただし、禁煙することによって徐々にではあるが、生涯非喫煙者と同等のレベルまでリスクを下げられるといい、
「21年以上禁煙を続けると、一度も吸ったことのない人と同じレベルまで下げられるという日本の研究結果もあります。がんの種類別で言うと、すい臓がんは0〜5年、食道がんや膀胱がんは6〜10年、肺がんが11〜15年、胃がんは21年以上でリスクを同じレベルにできます」
食道がんのリスクが50倍になる人とは?
中川氏が言う。
「お酒もがんのリスクを高めます。“酒は百薬の長”というのはもはや死語ですね。近年は、一滴も飲まないのが一番健康的ということになっていて、お酒が好きな私は非常に肩身が狭いです」
中でも飲酒で顔が赤くなる人の深酒が一番良くないという。
「顔が赤くなるのに毎日3合飲む人は、食道がんになるリスクが50倍にも増えます。それに加えてたばこも吸おうものなら、100倍近くになるのは間違いない。そういう人は食道の検査をマメにやったほうがいいです」(同)
お酒に含まれるエタノールは肝臓で発がん性のある「アセトアルデヒド」に分解される。
「アセトアルデヒドは体内で『2型アセトアルデヒド脱水素酵素』(ALDH2)が酢酸に分解し、解毒されています。このALDH2の遺伝子には、分解力の強い型(正常型)と、乏しい型(欠損型)があり、両親からどちらかを受け継ぎます」(同)
両親から共に欠損型を受け継いだ「完全欠損型」は日本人の約5%に見られる。いわゆる「下戸」、お酒を全く飲めない人たちなのでがんリスクを気にする必要はない。一方、共に正常型を受け継いだ場合も、アセトアルデヒドが蓄積しにくいので、がんになるリスクは低い。しかし、アルコール依存症が多い傾向にある。
「問題は、両親から受けた遺伝子のうち、どちらか一方が欠損型である『部分欠損型』で、日本人の45%を占めます」
と、中川氏。
「このタイプの人はアセトアルデヒドを分解する力が十分ではないので、大量に飲むとアセトアルデヒドが体内にたまります。これが血管を拡張させて顔を赤くすると同時にがんのリスクを高めるのです」
男性の大腸がんの4分の1が…
お酒の「害」はデータでも裏付けられている。
「日本人約7万3千人を対象とした研究によると、男性は“時々飲酒している”人に比べ、1日平均で日本酒にして2〜3合程度(純アルコール換算43〜64グラム)飲む習慣のある人は、がん全体の発生率がおよそ1.4倍、1日平均で日本酒3合分以上飲む習慣のある人は、1.6倍も上昇していました」(佐藤氏)
お酒とがんの関係というと、食道がんや肝臓がんを思い浮かべる方が多いだろうが、
「男性の大腸がんの4分の1が、1日あたり23グラム以上のアルコール摂取が原因と推定されています。つまり、飲酒を控えることでその分だけ予防可能だと考えられます」(同)
とはいえ、酒好きの人がいきなり禁酒するのはいかにも辛い。佐藤氏は、
「飲んでも“ほどほど”にすべきでしょう」
と、アドバイスする。
「具体的な量の目安はアルコール換算で1日あたり20グラム程度。ビールはロング缶1本、ウイスキーはダブル1杯、ワインはグラス2杯、チューハイは1缶ということになります」
肉を食べるのは問題ない?
がんになりたくなければ、たばこもダメ、お酒もダメ……。何やら人生が無味乾燥なもののように思えてくるが、「食」はどうか。これについては「選び方」「組み合わせ方」でがんを遠ざけられるかもしれないというから、実践のしがいがあるのではないか。
「昔は焦げた部分を食べるとがんになると言われましたが、今では全く根拠がないことが分かっています。また、『肉を食べるとがんになる』とも言いますが、日本人はそれほど気にしなくていいと思います」
と、中川氏。佐藤氏も同意見で、
「日本人はそもそも欧米人と比べるとそれほど肉を多く食べる習慣がありません。実際、20年の厚労省の国民健康・栄養調査によると、日本人の赤肉・加工肉の摂取量は1日あたり70グラムで、世界的に見ても最も摂取量の少ない国の一つです。日本人の平均的な摂取の範囲であれば、加工肉や赤肉が発がんリスクに与える影響は少ないといえます」
赤肉とは牛、豚、羊などの肉で鶏肉は含まれない。世界保健機関(WHO)の一機関である国際がん研究機関(IARC)はベーコンやハムなどの「加工肉」を、喫煙やアスベストなどと同じグループ1(人に対して発がん性がある)に、赤肉をグループ2a(人に対しておそらく発がん性がある)に分類している。
「製造工程で使われる亜硝酸ナトリウムなどの食品添加物に発がん性があることが分かっている加工肉に関しては、やはり食べ過ぎは良くないでしょう。ハムやソーセージなどを毎日食べているようなら、2〜3日のうち1食に減らした方がいいと思います。毎日、牛肉や豚肉を食べている人は2日に1度は鶏肉や魚に替えるといった工夫をしてみて下さい」(佐藤氏)
魚を食べることで肺がんのリスクが低下
魚に関しては、「がんのリスクを下げる」ことを多くの研究結果が示している。
「20の研究をまとめた解析では、魚を多く食べることにより、肺がんのリスクが21%低下することが示されました。大腸がん(結腸がん、直腸がん)に関しても同様の研究結果があり、魚の摂取は大腸がんのリスクを12%下げる、と報告されています。この関係は特に直腸がんで強く、魚を取ることで直腸がんのリスクが20%以上低下することが示されています」(同)
すい臓がんに関しても同様の研究結果がある。
「45歳から74歳までの8万2千人以上の日本人に、詳しい食事内容のアンケート調査を行ったところ、観察期間中に449人がすい臓がんと診断されました。観察開始から3年以内にすい臓がんと診断された対象者を除外した結果、魚介類から摂取したオメガ3脂肪酸(EPA、DPA、DHA)が最大のグループは、最小のグループに比べ、すい臓がんの発症リスクが30%低下していました」(同)
EPAやDHAはタイやヒラメなどの白身魚より、サバ、イワシ、アジ、サンマなどの青魚に豊富に含まれることが分かっている。肉より魚、特に青魚を積極的に食べることによって、がんを遠ざける。これならストレスなく明日からの食生活に取り入れられるのではないか。
食事の多様性
魚の他にも、みそや納豆などの大豆食品はがんの死亡リスクを下げることが分かっている。
「がんは大きくなる時、自分で血管を引き寄せて、新しい血管を作ります。これを血管新生と言います。こうして栄養を奪って大きくなっていくわけですが、大豆に含まれるイソフラボンには、この血管新生を阻害する、つまり抑える作用があるのです。がんの“芽”ができたとしても、成長させない効果があるわけです」(同)
みそ、納豆、魚。なるほど、我々が慣れ親しんだ和食には、がんと対峙するのに有効な多くの素材が使われているのだ。
「大事なのは、食事の“多様性”です。大豆製品や魚介類、野菜、果物、海藻、キノコ、緑茶など、いろいろな素材を少しずつ取る。それががん予防の面でも効果的です」
と、中川氏は言う。
「例えば、米やヒジキには発がんリスクのある無機ヒ素が含まれています。そこから分かる通り、全ての食べ物には一定程度の毒があると思ったほうがいい。発がん性のあるものを全て避けるのは現実的ではありません。伝統的な和食は発がんリスクの低減に大いに役立っていると思います」
最強のがん予防食
ギリシャや南イタリアなど地中海沿岸で取られている食事形態「地中海食」も和食同様、野菜や魚介など多様な食材によって構成されている。その地中海食の中心的な食材であるオリーブオイルには、
「強力な抗酸化作用や抗炎症作用があり、がん予防にも有効であると考えられています」
と、佐藤氏が話す。
「最近では、エキストラ・バージン・オリーブオイルから抽出された『オレオカンタール』という成分が、がん細胞を死滅させる作用(抗がん作用)を持つことが明らかになっています。また、イギリスから最近報告された研究では、オリーブオイルの主成分であるオレイン酸を最も多く摂取する人は、最も少ない人に比べ、すい臓がんのリスクが71%も低くなっていました」(同)
超加工食品のがんリスク
伝統的な和食に地中海食の要素を組み合わせると「最強のがん予防食」に近づきそうだが、それとは正反対なのが、「超加工食品」を多く摂取する食生活といえるだろう。超加工食品とはスーパーやコンビニに陳列されている袋詰めのパンや菓子、デザート、清涼飲料水(ソーダや砂糖入りのジュース)、即席めんや冷凍食品などを指す言葉である。
「超加工食品のがんリスクについては、フランスでの10万人以上を対象とした大規模な研究があります。この研究では、全食品群に対する超加工食品の摂取量の割合が10%増加すると、全てのがんを発症するリスクが12%増加していました」(同)
コンビニやスーパー、自販機などで売られているブラック以外の缶コーヒーにも、ジュースなどと同様に多量の砂糖が含まれていることがあるから避けた方がいい。しかし、コーヒー自体はむしろ積極的に飲むべきだという。
「およそ9万人の日本人を対象に、コーヒー摂取と肝臓がんの発生率との関係を調べた大規模な研究があります。それによると、コーヒーをほぼ毎日飲む人は、ほとんど飲まない人に比べて肝臓がんのリスクが約半分に減少。1日5杯以上飲む人は、4分の1にまで低下していました」(同)
天然の抗がん剤
がんを遠ざけるためには、食生活を改善するとともに、日々の習慣を見直すことも重要なのは言うまでもない。特に運動にはがんを予防する効果がある。
「運動すると、慢性炎症が抑えられ、免疫細胞が活性化されます。また、筋肉からマイオカインという物質が分泌される。これにはがんを抑える“天然の抗がん剤”のような効果があります」
佐藤氏はそう語る。
「そして、運動すると、がんを誘発する高血糖の抑制にも役立ちます。このような理由で運動はがんの予防に良いのです」
ただ、仕事や家事が忙しくてウオーキングやランニング、筋トレなどの時間がなかなか取れない、という方も多いに違いない。そんな人にとって朗報といえそうなのが、以下の研究である。
「ウェアラブルデバイスを用いた画期的な研究で、22年11月に『ネイチャー』の姉妹誌『ネイチャー・メディシン』に報告されたものです。イギリスとオーストラリアの研究で、ふだん体を動かさない2万5千人以上(平均年齢62歳)が対象となりました」(同)
研究では、対象となった人たちの7日間の動きを細かく記録。その後、7年間におけるがんなどの死亡率を調べると、
「『ヴィルパ』と呼ばれる、1〜2分の一時的な激しい動き、例えば乗り遅れそうなバスを追いかける、といったことですが、そういう動きが1日で3回あった人は、全くなかった人に比べて30〜40%もがんのリスクが下がっていたのです。そうした動きが1回だけでもリスクは下がっていました」(同)
日常生活の中で、少し息切れするような動きをするだけでいいのだ。きちんと運動する時間が取れない人も、これなら明日からでも実践可能である。
歯磨きをする際のポイント
その他、すぐに改善可能でがんリスクを下げるために重要な生活習慣として、歯磨きが挙げられる。
「歯磨きには虫歯や歯周病を防ぐ効果があるだけではなく、がん予防にも大いに役立ちます」
と、中川氏。
「愛知県がんセンター研究所の調査によると、1日に2回以上歯を磨く人は、1回の人と比べて、口の中や食道のがんにかかるリスクが3割も低くなることが分かりました。逆に、全く磨かない人のリスクは、1回磨く人の1.8倍、2回の人の2.5倍にもなっていました」
歯磨きをする際のポイントは、
「デンタルフロスや歯間ブラシを使用することです。表面の歯磨きよりもこちらのほうが重要です。歯周病を防ぐという意味では、歯垢がたまる歯の間をきれいにするのが大切。歯周病の原因となる歯垢は細菌のかたまりで、その中には発がん物質のアセトアルデヒドを作るものがある。それが血液の中に入ると、すい臓がんのリスクなどが上がってしまいます」(同)
ゾウががんにならない理由
食生活や習慣は改善可能だが、前述したように、改善不可能な要因によっても、我々はがんになる。
例えば、遺伝。
「遺伝が原因となるがんは約5%です。もし血縁者が若くしてがんに罹患したら、その可能性を考えなくてはいけません」(中川氏)
血液型もまた改善不可能な要素だが、その違いによってがんリスクに差が出る、との研究があるという。
「09年に米国立がん研究所が発表した研究は『O型の人はA、B、AB型の人に比べ、すい臓がんになりにくい』と結論付けています」(同)
高身長の人ほどがんリスクが上がる、という事実もあまり知られていない。
「背が高くなるほど大腸がんのリスクが上がることが分かっています。背が高いほど細胞の数は多く、大腸も大きい。それだけがんリスクは上がるのです」(同)
ただし、体が大きいほどがんになりやすいという傾向は哺乳類全般に当てはまるわけではないようで、
「ゾウはがんになりにくいのです。ゾウは、p53というがんを抑える遺伝子が非常に多い。人間には1組しかないのに、ゾウには20組もあることが分かっています」(同)
無論、このような知識は「がん予防」にすぐに使えるわけではない。しかし、すでに触れたように、たばこの発がん物質は「p53」という「がん抑制遺伝子」などを不活性化する。ゾウには20組あるその「p53」は、人間には1組しかない。そのことは知っておいても損はないだろう。
「週刊新潮」2023年3月9日号 掲載