2021年にクリスティーズでオークションにかけられたピカソの「窓辺に座る女」(右、写真:REX/アフロ)

今年は芸術界の巨匠、スペイン人のパブロ・ピカソの没後50周年にあたり、世界中でピカソの特別展が計画されている。フランス美術雑誌『コネッサンス・デアール』によれば、世界40カ所で開催予定とされ、大々的な「ピカソ年」になりそうだ。国を超えた知名度としてはイタリアルネッサンスの巨匠、レオナルド・ダヴィンチと並び、時代を超え、世代を超えて巨匠として君臨している。

ピカソ作品は世界で最も高値で取引されており、例えば2021年5月にニューヨークのクリスティーズでオークションにかけられた、マリーテレーズ・ワルテルを描いた「窓辺に座る女」(1932年作)は、1億0341万ドル(当時のレートで約113億円)で落札された。

ピカソに対する厳しい批判が浮上

ピカソの天才ぶりに異を唱える者はいない。中学生だったピカソのデッサンを見て、当時画家だった父親が筆を折った話は有名だ。20歳でスペインとフランスの美術界で称賛され、「青の時代」や「ピンクの時代」を経て、形を極端にデフォルメしたキュビスムによって20世紀の美術の潮流に決定的影響を与えた。今風にいえば、ピカソは美術界の20世紀のゲームチェンジャーだった。

ピカソはダヴィンチとは異なり、多作で知られる。時代は違うとはいえ、真作としてダヴィンチが残した作品数が現在11作品にすぎないのに対して、ピカソは1万3500点もの油絵やデッサン、さらには300点の彫刻や陶器、10万点を超える版画が残っている。

そのピカソの没後50周年ともなれば、ピカソ礼賛の特別展や評論の山となりそうだが、実は厳しい批判も浮上している。それはモデルとなった女性との同棲などを繰り返し、時には複数の女性と同時に付き合っていたピカソについて、別れた後の女性たちが悲惨な運命をたどったことについての研究が進められ、女性の人権を著しく蹂躙した男として歴史に刻もうという動きがあることだ。

昨年12月、ドイツのBBCといわれるドイツ国際公共放送のウェブサイトにインド出身のジャーナリスト兼編集者のマナシ・ゴパラクリシュナン氏が寄稿した論文が掲載された。その内容は、ピカソの病的ともいえる野獣のような女性支配欲は無視できず、女性蔑視、女性を侮辱する態度を続けたことを「有毒な男らしさ」として再評価が必要との主張だった。

2017年、ハリウッドの映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが数十年に及ぶセクシャルハラスメントで、ニューヨーク・タイムズ紙が告発記事を掲載したことから#MeToo運動は一気に世界的注目を集めた。セクハラ、性暴力への批判の矛先は今回、芸術界の巨匠にも及んだ。無論、ピカソを訴える被害者女性の告発があるわけではないが、研究者は高名な芸術家なだけにピカソの闇の部分を表に出そうとしている。

ピカソに翻弄された女性たち

ピカソの女性遍歴は激しい。彼の人生を飾ったフェルナンド・オリヴィエ、エヴァ・グエル、オルガ・コクローヴァ、マリー・テレーズ・ワルテル、ドラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロックのうち、正式に結婚したのは2人(オルガ・コクローヴァとジャクリーヌ・ロック)だけだった。

フランソワーズ・ジローはピカソとの間に2人の子どもを産みながらも、ピカソの性的虐待癖と浮気癖を嫌い、子どもを連れて出て行った。2番目の妻のジャクリーヌ・ロックはピカソの死後、ピカソの後を追うようにピストル自殺している。その他の女性たちもピカソに翻弄され、別れた後に悲惨な人生を送った。

ピカソの研究者たちの間では、作品だけではなく、その背景にある女性関係から作品を再文脈化する必要があると指摘する動きが近年、高まっている。ピカソはギリシャ神話上の首から上が雄牛で体が人間というミノタウロスを自分の分身として描いている。なかでも、1933年に描いた版画作品「女ケンタウロスを愛するミノタウロス」は有名だ。

ミノタウロスは好色、暴力、罪悪感、絶望の禁欲的欲望を擬人化したものと考えられ、作品にミノタウロスが登場したのは最初の妻、オルガ・コクローヴァとの結婚生活が破綻したころだった。

破綻の理由となったのは、モデルのマリー・テレーズ・ワルテルという恋人ができたことだ。彼女は当時17歳でピカソは46歳だった。ピカソが心を整理できずにマリー・テレーズの美にのめり込んだことで、自分を性欲に狂うミノタウロスに例えたとも見られている。

【2023年6月8日18時40分追記】初出時、ピカソの年齢に関する表現に誤りがあり、上記の内容を修正しました。

その4番目の愛人、マリー・テレーズもピカソとの間に子どもを産んだ翌年にはピカソが新たな恋人ドラ・マールと付き合うようになり、2人はピカソの前で格闘して激しく争い、ピカソはその様子を楽しんでいたといわれている。時は1937年、56歳のピカソは、世紀の傑作といわれるスペイン内戦をテーマにした「ゲルニカ」を制作中だった。去ったマリーはその後自殺している。

作品が飛ぶように高額で売れていた早熟のピカソにとって、女たちはピカソのモデルになれることに驚喜したが、ピカソはミノタウロス同様、巨匠ではなく巨獣となり、女性を思うままにしていたと多くの研究者が指摘している。その行動は今の時代には通用しないものであり、彼の偉大性に影を落としている。

無論、男女の関係だけに女性の人権侵害で裁くには材料が不足していることや証拠に乏しいことも否定できない。作品で女性を侮辱しても芸術だ。それにピカソの巨額の資産もあって、女性側がピカソを訴え、裁判で争うこともなかった。

芸術家の破天荒な行動に厳しい目

興味深いのは、巨匠芸術家の性的、暴力的行動を含めた常軌を逸した行動は、過去においては見逃される例が大半だったが、今は厳しい目が向けられていることだ。

2017年にはアメリカのメトロポリタン美術館に対して、展示されているフランス人画家バルテュスの「夢見るテレーズ」が下半身下着姿の少女を描いた作品だったために不適切と批判された。ニューヨーク在住の起業家ミア・メリルが展示を差し止めるよう、1万1000人の署名とともに嘆願書を出した。

嘆願書に対して世論は「魔女狩り」など批判的反応が多く、最終的に美術館は要求を拒否した一方、有益な問題提起だったと付け加えた。

フランスの美術界は今、明らかに意図的に女性に注目している。それも美の対象としてではなく、美のクリエーターとしての女性の活躍に光が当てられ、さらに美術館トップに女性が起用され、まさに時代の転換期を示し、芸術界の女性への熱い眼差しは過去にないレベルに高まっている。

ルーブル美術館では初の女性館長が誕生

2021年9月、世界最大規模のパリのルーブル美術館の館長にロランス・デカール氏が就任(『ルーブル美術館「初の女性館長」誕生の意外な事情』参照)。彼女は、すでにパリのオランジュリー美術館、オルセー美術館の館長を務めたキャリアを持ち、文化遺産の国際協力担当相に就いたジャン=リュック・マルティネス館長の後任となった。大改装後のルーブルで若者にも魅力的な美術館づくりに取り組んでいる。

同じく2021年、フランス元老院(セナ)が所有するパリのリュクサンブール美術館では「女性画家、1780年―1830年」展が開催された。大革命前のアンシャンレジーム期の最後の十数年間、女性画家は前例のない注目と同時に男性王室画家らの抵抗の中にあった。その中心にいたのがマリー・アントワネットの肖像画家として知られるエリザベート=ルイーズ・ビジェ=ルブランで、同特別展の中心に据えられた。

同展のタイトルが「闘いの起源」とされていたのは、文字通り男性中心の美術界に女性が進出する闘いの起源を探る展覧会だったからだ。大革命を前後して数奇な運命をたどった女性画家たちは皆、苦労の連続だったし、男性と同格に扱われることもなかった。この展覧会がフランス美術界に転機を与えた。

2022年に入り、同じリュクサンブール美術館では、19世紀の終わりから20世紀初頭に活躍した女性画家たちの役割に焦点を当てた「パイオニア 狂騒の20年代のパリの芸術家」が開催された。フランスの芸術界が近年、いかに芸術と女性の関係を丁寧に再考しているかを物語るもので、フランスが解放感に酔いしれた狂騒の19世紀末から20世紀初頭が舞台だった。

時は世界中の才能あふれる芸術家たちがパリで制作にしのぎを削ったエコール・ド・パリの時代、活気に満ちていた芸術界にはシュザンヌ・ヴァラドン、タマラ・ド・レンピッカ、ソニア・ドローネー、タルシラ・ド・アマラルなどの先駆者たちが、パリの美術学校を通過し、芸術家として認められ、スタジオ、ギャラリー、出版社を所有した。

フランスで女性が自ら選ぶ権利を行使した最初の時代であり、美術学校の講座で裸体を表現したのは女性だった。同展の説明では彼らは自分たちに課せられたセクシュアリティによる伝統的義務を抜け出し、結婚するか否かを含め、体当たりで選択の自由を主張したフランスで最初の女性パイオニアだった。

ただ、彼女たちは巨匠の仲間には入らなかった。エコール・ド・パリの主役には、せいぜいマリー・ローランサンが入ったぐらいだった。フランスで女性参政権が認められたのは1945年だったことを考えると、女性芸術家たちの登場が社会を変えるまでに40年はかかったことになる。

女性の作品は圧倒的に数が少ない

2022年後半には、パリのガリエラ美術館で「フリーダ・カーロ、外見を超えて」展が開催され、今年3月まで開催されている。メキシコの画家として世界的に有名なカーロの作品だけでなく、生涯身に着けていたメキシコの民族衣装や障害のある体を支えるためのコルセットやギブスまで展示されている。

フェミニズム運動の視点では、パリのパレ・ド・トーキョーでスイスのフェミニスト現代画家、ミリアム・カーンの「私の連続思考」(5月14日まで)が開催中だ。ストリート・アートにも挑戦した彼女の大胆な表現作品は、今の時代に再評価されている。

ただ、筆者の友人で高額作品だけを扱うフランス人美術商のオードブラン氏は「女性の作品は紹介しないのではなく、そもそも圧倒的に数が少ない。一方で女性が美の対象として男性の権威に支配されてきた歴史は否定できないが、未成年者を性の対象とする作品、男性による強制的支配をうける女性をテーマにした作品は批判の対象になるだろう」と述べている。

(安部 雅延 : 国際ジャーナリスト(フランス在住))