ソニーグループは2月2日、4月1日付で代表執行役会長兼社長兼CEOの吉田憲一郎氏(写真左)が社長職を退き、代表執行役副社長兼CFOの十時裕樹氏(写真右)に社長職を譲る人事を発表した(筆者撮影)

2月2日、ソニーグループ(ソニーG)の社長交代の発表に驚いた読者も多かったのではないだろうか。筆者も当日の昼、会見開催の案内を電話でもらったときには驚きを隠せなかった。

吉田憲一郎氏が社長を引き継いでから、およそ5年しか経過していない。

しかし吉田氏が話し始めると、すぐにこの交代劇が「新たなるソニーGの成長」を目指すために選択した、極めて戦略的、そしてグローバルで戦っていくための前向きな経営体制の見直しであることが感じ取れた。

「再建」の季節を終え、再成長へ

4月1日には代表執行役会長兼社長兼CEO(最高経営責任者)の吉田憲一郎氏が社長職を退き、代表執行役副社長兼CFO(最高財務責任者)の十時裕樹氏に社長職を譲る。さらに空席だったCOO(最高執行責任者)も兼務し、十時氏は社長兼COO兼CFOとなる。

また会見場には姿を表さなかったが、ベンチャー投資の最前線で新しいアイデアや技術に触れ、新規事業開発における確かな目を持つ御供俊元氏が副社長兼CSO(最高戦略責任者)に登用されている点も見逃せない。

吉田・十時によるツートップ体制と表現される新しいソニーGの経営体制だが、そこに社外の技術、事業アイデアに多く接してきた御供氏の目が加わることで、ソニーGは“再建”の季節を終え、いよいよ再成長に向けて新しい船出の時を迎える。

吉田氏はこれまで「パーパス経営」を掲げ、ソニーG全体を再編成することに力を注いできた。パーパスとは企業の存在意義だ。このパーパス経営が浸透した結果、既存事業の成長だけではなく、新規事業開拓も含め「攻めの経営」を行える体制を作るための経営体制を最適化したのが今回の役員人事とも言える。

ソニーGは2019年1月に開催されたCES 2019で初めて「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」というパーパスを掲げた。それまであまり社外に向けてメッセージを発信してこなかった吉田氏が、初めて自信を持って発信した言葉だった。

加えて「夢と好奇心」「多様性」「高潔さと誠実さ」「持続可能性」という価値観も定義しているが、パーパス、価値観ともに、ソニーGに所属する従業員の意識を変えるという意味で大きな役割を果たした。

かつて黄金時代のソニーはトップから開発者、マーケティング、営業職に至るまで、より良いエレクトロニクス製品に特化した企業だった。ソフトウェアやサービスに取り組んだとしても、組織全体のDNAはあくまでも“ハード屋”だった。

しかしメディアのデジタル化に加え、ネットの普及で製品の背景にあるサービスの質などが重要性を増してくると、製品個々の品質やカタチにこだわり、機能面でも先鋭化していく日本の家電製品は相対的に魅力を失っていった。

事業会社が自律的に成長していく体制

あらためてソニーの価値は何であったのか。吉田氏が出した答えが前述のパーパス。そして社内に向け、その意義や精神を語り続け浸透させることで、ソニーGを中心に取り囲む事業会社が従業員と共に自律的に成長していく体制を整えた。

いわば黄金期のソニーを現在の経営環境、社会情勢に照らし合わせ、新たに成長を目指していくための“カタチ”を作ってきたと言えるだろう。

パーパス経営においては必然的に、事業会社の自律的な成長や事業領域の拡大、多様化が進む。

吉田氏は屋号をソニーGに変更した際、各事業会社をソニーGから等距離に置いて業務執行は事業会社の自主性を重んじる体制をとった。必ずしも各事業領域の範囲にとどまる必要はない。パーパスに沿う形で“ソニー”が活躍できるジャンルであればトライし、成長すればソニーGの新しい柱として事業会社へと分離していく。

一方で中心にあるソニーGの経営は複雑さを増していく。

事業ごとに経営環境は異なり、新規事業や既存事業の強化を行ううえで、それぞれに異なる視点、視野での経営判断が必要だ。そして何より、まったく異なる事業領域が混在する中で限られた経営資源をどのように配分するかが大きなポイントとなってくる。

CFO/COO兼務の重要性

十時氏はパーパス経営の中で、コンテンツIPの大型買収、あるいはイメージセンサー工場への大型投資、5000億円に及んだ自社株投資も実現した2兆円規模の戦略投資枠設定など、財務面でパーパス経営を支援してきた。

いずれの案件でも十時氏は、各案件ごとの市場環境、ハーベストサイクル(投資から回収までの期間)など事業を十分に把握したうえで、必要な財務支援を行ってきたと吉田氏は言う。

不確実な社会情勢が続く現在、AIやEVシフトなど大きな技術・社会の変革が起きようとしている中で、つねに新しい社会情勢に適した、そしてスピードの速い経営を行っていく必要がある。吉田氏はCFOである十時氏自身がソニーGを取り囲む業務領域すべてに深く関わることが重要だと考えを固め、2022年7月にはCFOとCOOの両方を十時氏に任せるという案を、指名委員会及び十時氏本人に伝えた。

「十時が各事業について深い知識がないかといえば、もちろん現時点でも深い理解のうえでCFOの職をまっとうしてくれている。しかし、不安定な現在の社会、そして新たな技術が登場し始めている中で、より深く事業に関わることが、ソニーGの企業価値を高めるうえで重要だ」(吉田氏)

これが一般的な事業会社であれば、予算を握るCFOと業務執行を司るCOOが同一人物という点が問題視される可能性もある。

しかしソニーGの場合、実際の業務を執り行うのはソニーGの周囲に配置された各事業会社だ。すなわちソニーGのCOOは、実際に業務を行っている各事業会社と密に情報と戦略を共有するが、実際に事業を現場で進めるわけではない。

その一方でグループ全体の事業ポートフォリオを仔細に把握できるため、適切な財務計画を立案し、異なる時間軸で進む複数の事業領域に対して適切に経営資源を割り当てることが可能になる。

新事業領域創出を可能にする新体制

「吉田が作ったパーパスは、感動バリューチェーンに置き換えられる。感動を生み出す何かを生み出し、それを最終的に皆様にお届けする。そのバリューチェーンをさらに太く、厚いものにしていく」と話す十時氏は、自身の掲げるテーマについて「ひとことで言うなら“成長”だ」と話した。

事業が成長するということは、すなわち顧客がソニーを選ぶということだ。それは収益という形だけではなく、新たな製品、事業アイデアを生み出す従業員全体にもポジティブな影響を与える。

「私は“経営の要諦は勇気と忍耐にあり”という言葉が好きだ」(十時氏)

かつて自身もソニーを退職したうえでソニー銀行を設立、成功に導いた起業家でもある。

「これまで少なからず経営に携わり、(自ら)リスクを判断し、覚悟を決めたうえで判断する勇気。そして時に逆風や矛盾に耐え抜き(結果が出るまで待つ)忍耐力が必要だと感じている」と話す十時氏に求められているのは、事業ポートフォリオの最適化もさることながら、新たなる事業領域を確立していくことだ。

新たに副社長となる御供氏は、平井一夫氏が社長を務めていた時代から、ソニーイノベーションファンドを率いてきた人物だ。同ファンドは従来の日本企業では考えられないほどの速度でベンチャーの評価を行い、シードあるいはアーリーステージでの融資を実行してきた。

アメリカ駐在が長く、知財畑で長くテックコミュニティの中に身を置いてきた御供氏は、テクノロジートレンドへの造詣が深く、イノベーションの小さな萌芽と別の点を結び付け、新しい事業の種を作ってきた。

昨年の7月から練りに練ってきた新しい経営体制。ソニーGは“再生”のプロセスを経て、新たな環境に適合した新しいカタチを手に入れた。これからは、さらなる世界的な企業への成長を目指すことになる。

(本田 雅一 : ITジャーナリスト)