何度もメールを送ったのだから大丈夫だろう…そんな時に限って相手がメールを読んでいないのはなぜか
※本稿は、細谷功『今すぐできて、一生役立つ 地頭力のはじめ方』(大和書房)の一部を再編集したものです。
■コミュニケーションにおいては「受け手が神様」
仮説思考とは結論から考えること、最終目的地から逆算して考えることであると述べました。
「向こう側から考える」という仮説思考は、人と人との円滑なコミュニケーションにも応用できます。コミュニケーションでいう「こちら側」とは伝え手である自分のこと、「向こう側」とは受け手である相手(単数のこともあれば複数のこともある)のことです。
仮説思考によるコミュニケーションでは、「受け手側にどういうメッセージが伝わればよいか」がすべての起点となります。
そもそも、コミュニケーションの目的は何でしょうか?
それは、受け手に的確にメッセージが伝わって最終的には何らかのアクションにつながるということでしょう。コミュニケーションは相手があって成立するものであり、独りよがりのコミュニケーションはあり得ません。
当たり前の話ですが、私たちの身のまわりでは、この基本が逆転しているケースがしばしば見られます。
図表1を見てください。コミュニケーションの本来の目的、つまり達成すべき最終ゴールは「受け手に適切なメッセージが伝わる」ことであり、伝え手(自分)自身が伝える方法は、コミュニケーションの手段の一つにすぎません。
目的が達成できるのであれば、伝え手以外の第三者が伝えてもいいですし、受け手が自主的にメッセージを受け取って理解につとめる方法も手段のうちです。
ところが往々にして見られるのが伝え手側の論理でメッセージを伝えることに一生懸命になっている状況です。実際、コミュニケーションを上達させたい人がすぐに飛びつくのが、「伝え方」のノウハウです。文章の書き方、プレゼンテーションのやり方といったことです。
■ゴールは相手にメッセージを伝えること
これらは、コミュニケーションの目的を十分にわかっていれば問題ありません。しかし、そうでない場合は、下手にテクニックだけを覚えるとかえってタチが悪く、「相手はどうして理解できないんだ」などと、理解されないのを受け手側のせいにしてしまいます。
「受け手が神様」であることを徹底的に認識することがコミュニケーション上達の第一歩、そしてすべてだと思います。伝わらなければ、いかにうまく伝えても何の意味もないのです。
■ダメなメールのやり取り
コミュニケーションにおいて「こちら側から」考えているか、「向こう側から」考えているかは、電子メールの使い方にもあらわれます。
図表2を見てください。ここで比較しているのは、電子メールでコミュニケーションしているときに「こちら側から」考えている(ベクトルが逆転していない)人と「向こう側から」考えている(ベクトルが逆転している)人との姿勢の違いです。
根本的な考えとして違っているのは、ベクトルが逆転している人は「自分が一生懸命伝えているのに、ほとんど伝わってはいない」という前提で考えていることです。ここに、「比較的仕事のできる」人の陥りがちな罠があります。
■相手はこちらの言ったことはほとんど理解していない
「こちら側から」考えている人は、「自分はちゃんと人のメールを読んでいるんだから、相手も読んでいて当然。あるいは、そうあるべき」と勝手に決めつけてコミュニケーションしがちです。そして伝わっていないことがわかると、いかに自分が適切に「メールを送った」か、何度も同じことを「伝えた」かを主張します。
じつは、電子メールにかぎらずコミュニケーション上のトラブルの多くは、この構図の上で起こっています。コミュニケーションの「目的」と「手段」の逆転の話を思い出してください。伝え手が「いかに正しいか」の証明をしはじめてしまうケースは、コミュニケーションの誤解が生じた際に非常によくある話です。
「コミュニケーションでは受け手が神様」「伝わらなければどんな手段を使っても何の意味もない」という原則を理解していれば、これがいかに実のない議論かがおわかりいただけるでしょう。
「伝え手が正しい」ことを証明する必要があるのは、訴訟などの公式な争いになった場合の証拠としてのみです。
「相手に伝えてアクションにつなげてもらうことを目的とする」通常のコミュニケーションでは、まったく意味がないことであると肝に銘じておくべきだと思います。相手はこちらの言ったことなど、ほとんど理解していないと考えるぐらいでちょうどいいでしょう。
■「報告するにはまだ早い」はダメ
いかに伝わっていないかを徹底的に認識すること。このコミュニケーションの基本を考えれば、短いサイクルで頻度を上げ、相手の理解度をつねに計って軌道修正をかけながら進むのが正しい方法となります。
ところが、実際には、上司への「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)を実行するときにも「もう少しちゃんとできてから」とか、「納得いく出来になっていないから」という理由で、ついつい報告が遅くなるケースが多いのではないでしょうか。
もちろん、報告の対象が、顧客などの対外的な相手である場合は、このような方法をとるほうがよい場合もあるでしょう。しかし、「上司と部下」の関係において、こうした考え方は百害あって一利なしだと思います。
■「生煮えの状態」でいいから「多頻度・短サイクル」
図表3に、コミュニケーションにおける「こちらの考える方向性」と「相手の期待値」のギャップを時系列で示しました。
私たちは「相手の期待値」を100パーセント確認し、それを共有した状態で事を運ぶことはほとんどなく、双方曖昧なままで進めていくケースが多いと思います。
こういう場合に、「ちゃんとできてから報告しよう」という考えは非常に危険なのです。まず、「ちゃんと」というのは、何をもって「ちゃんと」というのでしょうか。これは独りよがりの「ちゃんと」であることが多く、「自分にとってちゃんとした」状態でやったことが、「相手の期待値」とかけ離れたものになっている可能性が非常に高いのです。
とくに、初めて一緒に仕事をする人や、手の内がわかっていない人同士で仕事をするときには、十分に注意しておかなければなりません。
こうした場合には、「生煮えの状態」でもいいので、「多頻度・短サイクル」でコミュニケーションを取っておけば、「同じ成果物を見ながら」お互いのギャップを認識し、軌道修正をかけていくことができるのです。
上司側にも責任があります。完成度よりも短サイクルでのレポートを奨励する雰囲気を醸成しておくこと。これは職場コミュニケーションの基本でもあります。
■完璧主義に縛られてはいけない
「結論から考える」という仮説思考力を語る上で、大前提となる「哲学」があります。
それは、時間をかけて完璧に行うよりは、まずは精度が低くても一度やってから修正を加えていくということです。これは相手の期待値がつかめないときに特に有効です。
これはケースバイケースであって、私たちの日常生活でも「正確性」を優先して十分な精度が得られるまで時間をかけることが要求される場面と、「正確性」は二の次でも「65点の」(あるいはもっと低い精度でも)結論を出してスピーディーに先に進むことが要求される場面があります。
ただし、実際には日常生活でもビジネスの現場でも、圧倒的に後者の場面、すなわち「正確に誤るよりは漠然と正しくありたい」ことが要求される場面のほうが多いのではないかと思います。
人は必要以上に正確性にこだわって、すばやい結論を犠牲にしてしまっているのではないかと思います。これはとくに、効率よりも完璧主義が求められてしまう環境や組織において多く見られる現象です。
■まずは「65点」でいい
完璧主義は、仮説思考で「向こう側に」離れることを阻害する最も強い求心力となります。「いまの情報で仮の結論を考える」が仮説思考ですが、完璧主義に陥ると、この発想ができなくなります。そもそも不確定なことを考えるのですから、「だめな理由」や「できない理由」をあげようと思えばいくらでもあげられます。
だめな理由、できない理由からの呪縛を打ち破らなければ、仮説思考ができるようにはなりません。完璧な解答や正しい解答にこだわって「そんなの無理だ」とあきらめるのか、それとも、まずは「65点」の答え(「最低の合格ラインの少し上ぐらい」というイメージでこう表現していますが、場合によっては「まず何かアウトプットする」という観点から言えば「20点」でも「30点」でも良い場合だってあります)を出してから先に進もうとするのか。
どちらの発想をするかによって、結果は大きく違ってきます。とくに、「もともと正解がない」ことに仮説思考で取り組む場合には、「だめな理由」「できない理由」は大きな阻害要因となります。
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細谷 功(ほそや・いさお)
ビジネスコンサルタント、著述家
1964年神奈川県生まれ。東京大学工学部を卒業後、東芝を経てビジネス・コンサルティングの世界へ。米仏日系コンサルティング会社を経て、2009年よりクニエのマネージングディレクターに。ビジネス・コンサルティングのみならず、問題解決や思考に関する講演やセミナーを国内外の企業や各種団体、大学などに対して実施している。著書に『地頭力を鍛える』(東洋経済新報社)、『仕事に生かす地頭力』(ちくま文庫)、『アナロジー思考』『問題解決のジレンマ』(東洋経済新報社)、『考える練習帳』(ダイヤモンド社)、『見えないものを見る「抽象の目」』(中公新書ラクレ)などがある。
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(ビジネスコンサルタント、著述家 細谷 功)