フルタイムで働くワーキングマザーだった尾石さんがサバティカルタイムを経てつかんだ新しい夢とは(筆者撮影)

音声プラットフォーム「Voicy」の2022年キャリア部門・年間ランキングで2年連続1位になった「学びの引き出しはるラジオ」のパーソナリティー、尾石晴さんの新著『「40歳の壁」をスルッと越える人生戦略』が注目されている。

フルタイムで働くワーキングマザーだった尾石さんは2020年に退職し、2年間は次の仕事の模索期間として「サバティカルタイム」を取る、という選択をした。「脱会社員の選択」連載第9回は、尾石さんに、その決断を後押しした“40歳の壁”は何だったのか、またサバティカルタイムを経てつかんだ新しい夢は何だったのかを聞いた。

キャリアアップしながら気づいていた違和感

尾石さんは新卒で2004年、外資系企業に就職。仕事は楽しく、異動や転勤のたびに新しいスキルを身につけながら、キャリアアップを実現してきた。28歳で結婚した後も30代で管理職になり、充実した職業人生を歩んできた。

風向きが少し変わったのは、31歳で長男を産んだあとだった。長男が1歳1カ月で職場復帰をするものの、夫は多忙で実家も遠く、平日はフルタイム勤務+“ワンオペ育児”の日々が始まった。

会社は福利厚生が手厚い“ホワイト企業”だったが、長時間労働は常態化。保育園のお迎えがある尾石さんは、限られた時間で最大限のパフォーマンスを発揮できるよう業務内容を見直し、徹底的に効率化をはかった。

また、家庭では外注できるサービスや便利家電を導入し、時間を有効に使えるよう工夫に工夫を重ねた。結果、生産性の高い仕事ぶりに評価が高まり、別の部署で再び管理職に就けることとなった。

仕事も家庭も回り出したように見えた反面、心のどこかでは薄々気づき始めていた。このままスーパーウーマンのように会社で用意された女性の管理職登用の道を歩んでいくのが自分の幸せになるのだろうか。そして後に続く女性たちのためになるのだろうか、と。

だが「当時の私は、“子どもをベビーシッターに何時間預けられるか”や、“延長保育をフルで使ったら会議に何時まで出られるか”などばかり考えていました。そうまでしないと働けない会社って、そもそもおかしい、という観点が抜けていて、仕事だから当たり前だと思っていました。働き方に対する違和感はこの頃から絶対あったのに、ちゃんと目を向けようとはしていませんでした」。

新しい挑戦で変わっていく自分

ところが34歳で次男を出産すると、どうにもならないことが増えた。キャリアアップには転勤が必要なのだが、子ども2人の保育園やその後の就学を考えれば諦めざるを得ない。会社は好きだけれど、仕事にフルコミットできない現状、そしてキャリアの停滞に心はモヤモヤした。

そこで、会社にすべてのキャリアを賭けるのではなく、仕事とは違う視点を人生に取り入れてみようと、20代のころから趣味で続けていたヨガのインストラクター資格を取ったり、副業として不動産賃貸業の勉強をして法人を立ち上げたり、新しい挑戦をしてみた。

するとさまざまな属性の人たちと出会い、多様な考え方や価値観に触れる機会が増加。仕事に自分の人生を合わせるのではなく、なりたい人生に合わせて仕事をデザインする生き方もあるのだと学んだ。


20代のころから続けてきたヨガについてもっと探求したいとインストラクター資格を取得。現在はスタジオ運営と、オンラインヨガを手掛ける(写真:尾石さん提供)

また、その後の人生に大きな影響を与えたのが「言葉のアウトプット」だった。きっかけは、働く女性のキャリアを考えるオンライン勉強会に参加した際、主催者から自分の考えを整理し、思考を言語化するためにブログの開設を勧められたこと。「最初は怖い気持ちもあったし、投稿を続けられるかも不安で、何より私にはすごくおこがましいと思っていました」。

仕事で文章を書く機会は多かったが、いざブログに書こうとすると最初は300文字で精一杯。それでも少しずつ続けていくと、自分の考えを言葉にするのが楽しくなってきた。同時に思考が整理され、無意識に持っていた興味や関心、問題意識に気づくきっかけにもなった。

ブログは匿名で顔出しをしていないので心理的な障壁は下げられた。また、同じような属性の人たちと「いいね!」や「コメント」で“牧歌的なやりとり”をして、励まされたり、いろいろな情報をもらったりして、世界が広がっていった。

「当時は気づいていなかったのですが、会社員・妻・母以外の新しい人格を、ブログを通じて見つけていたのだと思います。実社会で担っている役割や肩書を気にせず、一人の人間として考えをアウトプットすることで、自分を取り戻していたような感覚です」

育休が終了し、職場復帰してからもワーキングマザーとしての発信を続けたが、執筆時間の確保が難しくなってきたところで、音声配信プラットフォーム「Voicy」の存在を知った。

それまでも、スマートフォンの音声入力機能でブログに書く素材を集めていたので、音声での発信なら原稿化せず、そのまま世に出せるのがメリットだった。Voicyのパーソナリティーは審査で選ばれるが、ブログなどでの実績が評価されたのか無事に合格し、自分の放送を持てるようになった。

発信するテーマは、ワーキングマザーとして感じていることや、ライフハック的な情報が中心。読書好きなので、本から得られた気づきや学びについて発信することも多く、「あのとき、こういうことを知っていたら困らなかっただろうな」と“昔の私”に向けて語るようにしている。

等身大で、生き方のヒントがちりばめられた発信内容は大きな共感を呼び、フォロワー数は右肩上がりで増えていった。

退職後は人生のサバティカルタイムに

一方、38歳のとき、長男の就学と同時に感じたのが、いわゆる“小1の壁”だった。子どもが幼いころは、お世話が中心だったが、小学生になると「学業と心のフォロー」という任務が加わった。そのうえ2歳の次男もいる状況で、働き方を見直す必要性に直面した。

だが、それはたまたま子どもの問題をきっかけに露呈しただけで、そもそも40歳を前にして、人生後半の働き方を考える時期に来ているのではないか、とも感じた。そして、自分を取り巻く状況と、目指したい働き方について深く考え、夫とも話し合った結果、自身は会社を退職し、もっと自分の裁量でコントロールできる仕事へシフトしていくこと決めた。

ただ、その仕事が何なのかは確信が得られなかった。そのため、企業の制度としてある、理由を問わない長期休暇「サバティカル休暇」を参考に、退職後1〜2年という期限を定めた「サバティカルタイム」を自主的に取ることにした。「定年のない仕事」につながる、キャリアの“種”をじっくり見つける期間にしたかったため、すぐに別の会社へ転職という選択はしなかった。

サバティカルタイムの過ごし方について、自分なりに決めたルールがいくつかある。まずは心身の健康維持のため、早寝早起きや運動習慣を心がけること。そして、報酬の額によって受ける仕事を決めないこと。逆に興味や関心がある仕事は自分から積極的に手を挙げて取りにいくこと。

「会社員のころは、無意識にいろいろなブレーキをかけていました。例えば“お金や時間がかかるから”“すぐに結果が出なさそうだから”。そういうブレーキをかける前に、まずは何でもやってみようと決めました」

退職にあたっては当然、経済的な不安はあった。そのため家計で自分が負担している金額と、それ以外にかかる金額の見込みを計算。貯金に加え、副業の不動産管理業と発信業で得られる収入を合わせれば、2年間は何とかなると道筋を立てた。

また、会社には退職後、希望すれば再雇用される制度があることを確認。サバティカルタイム後、再び会社員に戻る選択肢も残した。

「私はたまたま貯金があり、会社以外の収入経路もあったので、夫の財布を頼らずに済みました。ただ、経済的な自立が難しく、夫に金銭的な負担がかかる場合でも、それまで子育てに専念してきた妻が今後の人生を考え、サバティカルタイムを取りたいのなら、それは非難されることではないと思います。

夫が大学院に行きたい、というようなケースもあると思いますし、大切なのは長いスパンで夫婦のキャリアを見て、お互いの選択について話し合うこと」

退職時点で収益が出ていたのは不動産業とnoteマガジンの売り上げだったが、その後、Voicyの放送にスポンサーがついたり、ヨガのオンラインレッスンを始めたり、著書を出版したりと、いろいろなところに蒔いた種が、仕事につながり始めた。

2020年にはヨガスタジオをオープンし、2021年からはスキンケア商品のプロデュースや販売にも挑戦。うまくいかなかったこともあるが、その都度、軌道修正しながら、どのような経験からも学びや気づきを得てきた。


出産後、女性の膣をケアする必要性を感じたことから、ソープとオイルを開発し、販売している。構想から商品販売にいたるまでの道のりはnoteで公開中(写真:尾石さん提供)

2年間のサバティカルタイムを終え、2022年4月からは「オンライン上の居場所(サードプレイス)」について研究する大学院生になった。そもそもは仕事の“種”を見つけ、育てるつもりの2年間だったが、アウトプットを続けるうちに、もっと深く思考する時間と環境が欲しくなり、大学院で学ぶという新しい夢を見つけたのだ。

「例えばVoicyやオンラインヨガのコメント欄が、フォロワーさん同士でコミュニケーションを楽しむ場になっていると感じるときがあります。その方たちはきっと、提供する物やサービス以上の価値を、その場に見出してくれているのではないか、と思うんですね。

その価値とは何かを突き詰めていくと、実社会で多重な役割を担っている方たちが、個としての自分に戻れる何か、もしくは、自分が自分でいられる何かがその場にはあるのだろうと考えています」

大学院では、一緒に学ぶ若い人たちや多様な専攻出身の人たちとの交流などから得るものが多い。

「修士課程1年目の学生という立場で、レポートの提出に追われるようなプレッシャーもあり、これまでの社会人生活で凝り固まっていた思考の癖が、どんどん削ぎ落とされていくようなんです。社会人を20年ぐらい続けてきた人は、まったく違う環境で、自分が一番下になる修行みたいな経験をしたら世界が変わるかもしれませんね」

すべての始まりは自分自身が変わったことから

Voicyでは著名な方々と対談する機会もあり、まったく想像もつかなかった世界に自分がいるような感覚もある。


「でもそれは、40歳の壁を前に価値観や考え方が変わり、そのことをアウトプットし続けた結果、さまざまな出会いに恵まれただけ。全ての始まりは、自分自身が変わったことから。よくはるさんだからできたんでしょう?と言われますが、そうじゃない。これは誰にでもできることなんだよ、ってお伝えしたいと思っています」

試行錯誤は続いていて、40歳の壁はまだ越えている途中。だが気づけばスルッと壁を抜けているのではないか、という予感がある。

「人生は一度きりなので、心のどこかで何らかの壁を感じている、もしくは、壁だと認識はしていないけれど、何となく違和感があるなら、それはいったい何なのかを考えてみると、自分の人生を主体的に生きるヒントが見つかるのではないでしょうか。私はこれからの人生で、次に続く人たちへ生きやすくなるヒントを渡していきたい。それが居場所づくりなのか、ハブ的存在になることなのかを考えている最中です」

他人の物差しではなく、自分の尺度で、人生を生きること。その大切さを、今日も尾石さんは語り続けている。


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(吉岡 名保恵 : フリーライター)