日本で問題となっている「空き家」ですが、海外では「お宝」と見られているようです(写真:kker/PIXTA)

日本全国で話題となっている「空き家」。家あまりの状況から年々その数は増加し、所有する人にとっては頭の痛い問題となっています。しかし、ひとたび日本という国を離れると、違った視点からこの空き家を見られると言うのは、元国連職員でロンドン在住の谷本真由美氏です。日本の中古空き家は「外国人にとっては宝の山」だといいます。

谷本氏の新刊『世界のニュースを日本人は何も知らない4』から一部抜粋、編集してお届けします。

氷河期世代が頭を悩ませる「空き家」

日本ではこのところ空き家問題が大問題になっていますね。

高度成長期に大量に建てられた住宅や別荘が所有者の高齢化や死去により空き家になってしまっています。特にこれは、私のような40代の氷河期世代の人間にとってはたいへん頭の痛い問題でして、バブルの頃にサラリーマンだった親が長野県や山梨県、伊豆や箱根などに別荘を買ってしまい、その維持管理と処分に苦労している方がかなりおります。

私の周囲でも、親が温泉付きの別荘や、建築許可や取り壊しの許可が簡単にはおりない別荘を購入した人がいました。しかしながら購入時の価格で転売に応じてくれる人などおりませんので、その数分の一の価格で泣く泣く手放したという例が多くあります。

手放せればまだマシなほうで、まったく買い手がおらず、しかも別荘があるのは八ヶ岳の麓や伊豆の奥など、行くのがかなり大変な場所ばかりです。仕事や子育てもあるのでいちいち掃除やメンテナンスのために通うこともできません。

とはいえ空き家にして放置しておけば家屋はどんどん朽ちていくし、放火されたり動物が中に入ってしまったりとかなり厄介です。管理業者にメンテナンスや見回りを外注している方もおりますが、それも毎月毎月お金がかかってかなり大変です。

こういった別荘も頭の痛い問題ですが、バブル期に通勤するにはかなり不便な郊外に家を買ってしまった方の子ども世代もかなり苦労しています。なんとかマイホームが欲しいということでかなり無理をして昭和の時代、通勤に1時間半とか2時間もかかるところに家を買ってしまった親御さんが少なくないからです。

そうして放置され30年から40年以上経過した現在では、雨漏りや床が抜けるという悲惨な状況です。修理をするのにも1回に100万円以上の出費がかかります。親は高齢になって介護の費用がかかり、子どもの教育費もバカにならず、頭の痛い問題です。

都内に通勤するのには遠すぎるし、家も古くなり、バブルの頃の流行りを取り入れてカスタマイズしてあるような家だと使い勝手も大変悪かったりします。

「負の遺産」かと思いきや…

さて、このような悩みのタネとなる日本の別荘や住宅ですが、実は他の国の外国人からすると“宝の山”のようなものです。こういった別荘や郊外にある注文住宅で日本人の買い手がつかない物件は、昔風の日本家屋だとか畳の部屋ばかりの家です。

入り口には松が植えてあり、屋根瓦は昔ながらのものでスレート葺きではありません。庭には池があり浮き草が浮いていて、竹垣があったり灯篭があったりもします。日本の若い人だと嫌がるかもしれないタイプの古い家ですね。

ところが他の先進国の人にとっては、こういった家が魅力的に映る物件なのです。このような様式の住宅は海外にはありません。木で造られた引き戸など、西洋の世界ではそういったドアが玄関についていることはまずありません。治安が悪すぎて、そんなドアだと一発で破られて強盗が入ってきてしまうからです。中世以前の時代からそのようなドアがないのです。

そして玄関に入ると靴を脱ぐところが低くなっていて、一段高いところから家に入るようになっています。こういったものも西洋の世界にはありません。しかし日本のこういった家屋には、玄関にはちゃんと靴を入れる靴箱がある。お客様を迎えるために花を生けるスペースもある。玄関からして家にいらっしゃる方のことを考えてあるわけですね。

家の中に入ると木で造った廊下があり、ところどころギシギシと音がし、何十年もかかって磨き上げられた艶があります。昔の木で建築したものなので、新築の住宅にはない味わいがあります。各部屋の柱もたいへん渋く、味のあるものです。

こういった古い家の伝統的な和室は京壁で昔の左官屋さんが丁寧に仕事したもので、西洋の住宅とはかなり異なります。日本の伝統家屋の壁は繊細に造られているのです。

これは実際にヨーロッパやアメリカに行って古い建物を見たことがある方であればよくわかるかと思います。欧米では漆喰の壁があっても塗りが雑で細かいところは荒々しい仕上げなのです。その点、日本の壁は日本の気候に合わせて湿気を吸ったり出したりするようにうまく調整ができるのです。

そういった和室には伝統的なデザインの電灯、床の間、雪見障子、掘りゴタツ、仏壇を置く場所、押入れ……等々、これまた西洋の世界にはまったく存在しないものが広がっています。手作業で丁寧につくられた一つひとつのものがほどよく調和するように、よく考えられているのです。

畳の床は、夏は涼しく冬は暖かく、掃除もほうき一本で済むので実にエコロジーです。そして新しいものに取り替える場合も天然のもので造られているので、簡単に自然へと還ります。これも西洋の世界からするとたいへん驚くべきことなのです。

日本人は古民家をもっと活用すればいい

このような古い家や家具、さまざまな室内の装飾というのは二度と同じものをつくることができません。かつて使われていた木材や素材は、今では手に入りにくくなっています。数十年前の作業が可能だった職人さんはもう存在していません。少なからぬ住宅メーカーは訓練期間が短い人でも家を建てられるように、プレハブ式の住宅を主体に販売しています。

昭和の頃の注文住宅をつくる人はどんどん減っています。古い形式の住宅を求めるお客さんが減っているので作業する人も徐々にいなくなっているのです。だから逆にこういった住宅の希少性はますます高まっていくのです。

日本の郊外にある空き家や別荘は、西洋の人々が小津安二郎や黒澤明の映画とか『座頭市』のなかで観た世界がそのまま残っている。つまり歴史が大切に保存されているのです。かつての日本人の生活様式や考え方が建物で残されているのでしょう。

そのような素晴らしい和室や伝統的な庭のある家屋が、日本ではなんと底地の所有権付きで手に入るのです。場合によってはタダ同然の値段で、首都圏に近い場所であっても数百万円で売られています。

他の国では土地の利用権はリースホールドといって、期間を定めた借地権も少なくありません。完全な所有権付きだと値段がぐっと上がります。だから日本ではこういった住宅が土地の所有権が付いて激安なので本当に驚かれるのです。

これを見て日本の伝統的な文化や歴史を愛する人々は、なんとも悲しくなってしまいます。日本人はこういった先祖たちが建てた家を大事にせず、買おうという人も直そうという人もあまりいません。その家の伝統的な素晴らしさには目もくれず、利便性や新しさに注目してしまう。

しかも東京まで電車で2時間もかからないような場所にもそんな古民家が溢れているのです。これを欧米の基準で考えたらビックリするような距離です。電車やバスも激安で通勤も毎日でなければ不可能ではない。車も不要な立地だったりします。そういった貴重な家屋をどんどん破壊して、化学的な素材で造られ10年か20年ぐらいしか持たない家を建ててしまいます。

高度成長期時代から変わらない価値観

日本人は仕事が多忙で、通勤に便利な場所でなければ生活が困るということも理解していますが、それではなぜリモートワークが盛んになる現在、通勤に困らない仕事を探して転職し、郊外のこういった伝統的な素晴らしい住宅に住んで生活の質を上げないのかと疑問に思うのです。


なぜならアメリカやヨーロッパの北部では、仕事を選ぶ場合にもちろんステータスやお金のことも考慮しますが、まずは生活の質や自分がやりたいことを考えます。

生活の質を左右するのが住む場所や家屋です。ある程度の広さがあって自分好みの景観や自然がある場所を好む人が少なくありません。いくら便利だからといって大都市のマンションに住んで毎日毎日通勤をするのが最高だと思う人は多くはないはずです。

ところがなぜか豊かなはずの日本では、そういった働きバチのような生活が良いと思っている人がまだまだ多いのではないでしょうか。そして親から受け継いだ古い家をタダ同然で他人に譲り、手入れしないで放置してしまいます。

日本の空き家問題が解決しないのは働き方の問題もありますが、日本人の価値観自体が高度成長期時代から変わっていないというのがあるのでしょう。

(谷本 真由美 : 著述家、元国連職員)