W杯クロアチア戦、前半43分に先制ゴールを決め喜ぶFW前田大然【写真:ロイター】

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日本―クロアチア戦ドラゴン分析後編「喜び方を見て、ファンになったよね、前田の」

 サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は5日(日本時間6日)、決勝トーナメント1回戦で日本はクロアチアと1-1で突入した延長戦で決着つかず、PK戦の末に1-3で敗退。史上初のベスト8はならなかった。元日本代表FW久保竜彦は「THE ANSWER」の電話取材に応じ、激闘をドラゴンの目で分析した。後編は、前半43分にFW前田大然が決めたゴールに郷愁を感じ、今大会最後のメッセージとして日本サッカーの未来へのエールも送った。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 森保さんは攻めるっちゅうか、勝負する布陣やったと思う。やり方を変えて、堂安を先発にして。

(グループリーグで)押し込まれる時間が長かったのをどうにかしたいという。森保さんが、あのロシア(W杯決勝トーナメント1回戦ベルギー戦逆転負け)を知っとるわけやから、決勝トーナメントはそういうやり方なんやってのは思ったし、グループリーグと戦い方が全然違ったよね。あの越え方しかないんやと。

 守って、守って、というグループリーグのやり方をするんじゃなく、あそこで前に行かないと、次がないんやと。攻めて、越えて、というのはあったんやろうね。

 ただ、2大会連続で行ったのも初めてやろ。これを積み重ねていくしかないよね。ジャンプアップはないんよ。いきなり強くなったり、上手くなったりはない世界と、選手はみんな分かってる。今大会やったら三笘だったり堂安だったり、そういう選手が(同じ世代で)重なって出てくるんが、強い国なんかなと思うよね。

 あのリーグ(E組)であんな試合見れると思わんかったし。ベスト16に続けていけるんは、今後積み上げていくんには必要なことやし。続けていくしかないよね。

 でも、今日でファンになったよね、前田の。ゴール決めた時、前田の喜び方を見てね、いい感じに喜んで。子供みたいに喜びよったよな。本当、W杯は前田ありきの森保さんの戦い方。見た目は黙々とやるタイプと思ったけど、あの喜び方を見て、自分と重なるっちゅうか。

 子供の頃にゴール決めた時のあれを思い出したりしたよね。夢、憧れで目指してやってきたところで点を決めたときってあんな風になるんかなと思ったし。

 みんな(サッカーをやってきた人は)選手それぞれに(エネルギーを)感じてたと思う。小さい頃に見たもの、感じたものがあってね。俺は前田大然から感じてたけど、あんなサッカーしてくれるんだから。頑張ろうって思ったよね、俺の場合は。

日本の未来に贈る言葉「負けず嫌いな人で、サッカー好きな人がその場所、場所でやって強くなっていく」

 ずっとサッカー見とらんかったけん。久しぶりに見て、W杯は違うんやなって思ったよ。やっぱ、W杯すげえなって。

 見てて面白いし、本気の度合いはみんな観ててわかるし、Jリーグとは違ったし。それだけ選手が懸けてるちゅうこと。ちっちゃい頃から憧れて、W杯の試合を見て、サッカーを始める。で、頑張る選手が残って、そういう選手が見られるわけだから、面白いよね。

(日本代表には)自分が関係した教えてくれた人や助けてくれた人がスタッフでやってるから、いろんな感情があったよね。

 これからの日本も頑張ってほしいよね。負けず嫌いな人で、サッカー好きな人がその場所、場所でやって、強くなっていくと思うから。どこかで良い選手が出てくるかも分かんないし。W杯を見て、国の雰囲気がサッカーに対して強くなれば、自ずと強くなっていくと思うし。

 そういうのが(空気の醸成が)W杯を見たサッカーを好きな人ができるか、これから未来で上に行けるかに関わっていくるんじゃないかね。

 森保さんは、俺が見た中であんな負けず嫌いな人いないから、森保さんがこれからも先頭に立ってやるのは良いと思うけど。でも、それは分からん。ただ、そういう感じでサッカーが好きな人が日本のためにやっていけることが必要なんじゃないかと思うんよ。

 これから、もっと強くなっていくためにはね。

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)