W杯クロアチア戦、PK戦の末に1-3で敗退した日本代表【写真:Getty Images】

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日本―クロアチア戦のドラゴン分析前編「サッカーは足で蹴るスポーツやけん」

 サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は5日(日本時間6日)、決勝トーナメント1回戦で日本はクロアチアと1-1で突入した延長戦で決着つかず、PK戦の末に1-3で敗退。史上初のベスト8はならなかった。元日本代表FW久保竜彦は「THE ANSWER」の電話取材に応じ、激闘をドラゴンの目で分析した。前編は、120分間に及んだ戦いを総評し、日本はキッカー3人が失敗するなど、運命を分けたPK戦について独自の視点で語った。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 ねえ、もう……しゃあないよね。万全のコンディションでできるわけでもないし、その時の状態で100%(やる)というのは見れた。

 前田が決めた時はあと何点入るかと思ったし、あと1、2点は取れた気はするけど。それは難しいんやろな。逆に点を取られて。俺はW杯はよく分からんけど、流れが来そうで来んかったり、1個のプレーで雰囲気が変わったり。勝負ってこんなもんと言ったら、あれやろうけど。

 PK戦に入った時、(選手たちの)顔色を見てたけどな、なんとも言えんね。人それぞれの蹴り方あるし、俺はこうしたら入るって言ったってしょうがないしね。

 ただ、PKは運じゃないけんね。実力のあれよ。蹴るのも技術やし。蹴り続けて来とるわけやもんね。ただ(キックの)力がなかったというんはある。

 PKにしてもなんにしても、サッカーは足で蹴るスポーツやけん。最後の最後はきついんよ。延長いって、出し切ってからの勝負やから、PKは。GKの方が有利よ。疲れた中で蹴るっていうんは。(消耗は)めちゃ出るよ。

 延長までやって、あれだけやって、走ってるわけやん。前の選手もあれだけ走って。(1人目で失敗した)南野は途中から出たといっても、追いまくってたし。出し切っとると思うよ、(出場時間が)1時間くらいでも。

(クロアチアの3人目が)ポストに当たったのを見た時はもう一個、来るかなと思ったけど。吉田が決めきらんかったのがね。でも、そんなもんよね。(日本の)助走が短いっていうんは、本当にパワーあるやつがやるやり方やと思うけどね。助走短くなること多いんよね。

 それは思ったけど、まあ言ったところでね。

日本に足りなかった「主導権を握ってる時のもう一個の武器。三笘みたいな」

 試合は最初、十何分か持たれたけど、そこから盛り返して。遠藤が効いてたと思うし、そこからもう一人誰かいればってのはあったけど。

 右サイドは雰囲気あったし。精度も高かったし。これはセンタリングから入るわと、(前半)20分くらいには思った。右、左どっちからでも合ってた、(相手守備の)ひと山越えて。絶対、来ると思ってたよ。

 クロアチアは、最初は日本も押し込まれてたけど。同じ中3日なんか? なんか、しんどそうというか。でも、キックの精度は怖かったと思うし、DFからすると。どっちに転んでもおかしくない試合だったとは思うよね。

 選手も、見てる方も互角っぽかったけど。流れが良い時のあとひと押しが足らんかったんかな。主導権を握ってる時のもう一個の武器(が必要)。三笘みたいな。

 伊東のサイドは良かったけど、左行ったり右行ったりしてた。あっこ(右)のサイドで勝負させたら、違ったんかなって思うし。試合のことは分からんけど、俺は見てそう思った。でも、あのリーグ(E組)であんな試合見れると思わんかったし。

 今日で前田のファンになったよね。子供の頃にゴール決めた時のあれを思い出したから。

(後編「『前田を見て、子供の頃を思い出したんよ』 激闘の120分に郷愁を感じた久保竜彦の贈る言葉」に続く)

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)