日本敗退の朝「忘れんよね、今回のW杯はね」 久保竜彦は呟いた、瀬戸内海の海風に吹かれて
日本―クロアチア戦を山口・光市にある「おっさん」の食堂で観戦
サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は5日(日本時間6日)、決勝トーナメント1回戦で日本はクロアチアと1-1で突入した延長戦で決着つかず、PK戦の末に1-3で敗れた。前半43分にFW前田大然のゴールで先制したものの、後半10分に失点。史上初のベスト8はならなかった。元日本代表FW久保竜彦は「THE ANSWER」の電話取材に応じ、自宅のある山口・光市で観戦した試合を回顧。その後、仕事場のある瀬戸内海に浮かぶ小さな島から無念の胸中を語った。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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日本を涙に染めた深夜からほどなく、ドラゴンは海を渡っていた。「おお。今、島におるんよ」
クロアチア戦の感想を問うと、ひどく落胆した様子が電話口から伝わってくる。
「ねえ、もう……」
そう言うと30秒、言葉が途切れた。強い海風がノイズとなり、久保の沈黙を遮った――。
引退後、山口・光市に移り住んだ。趣味は釣りと酒。サッカーのイベントの顔を出すことはあるが、試合はたまに見る程度。家にテレビはない。冬、娘が「寒い」と言えば、暖房を入れるより「そこらへん、走ってきたらあったまるやろ」と言って育てた。自然を愛し、自然と生きる。
その独自の感性をW杯の舞台で輝かせたい。東京・中目黒にある編集部でグループリーグの観戦と解説を依頼。快諾をもらった。極上のドラゴン節を引き出すべく、酒を用意。まるで居酒屋のサッカー好きのように語る言葉と様子は、サッカーファンの間でひそかに話題になっている。
23日、ドイツ戦。
ゴールが決まると「これが一張羅よ」というジャージのポケットからガラケーが落っこちるほど、興奮した。歓喜の缶ビール350ml×3本。「朝まで飲まんといけんね。こんなことないでしょ、人生で。だってドイツよ、相手。ドイツ」
27日、コスタリカ戦。
「また一緒に観ようや」。本来は電話取材の予定だったが、久保の希望で再度来訪した。よもやの劣勢。冬なのに履いてきたサンダルを脱いで足を投げ出した。失意の缶ビール350ml×6本。「勝って、朝まで飲みたかったな」
そして、1日、スペイン戦。
近所の「おっさん」が営んでいる食堂でテレビ観戦。今大会初のアルコール抜きで見守った運命の一戦は、歓喜の結末に。朝を迎えた電話取材。「今から仕事、行きよるんよ。元気もらったよ。寝ずに3日間くらい仕事できるわ」
あれから4日。約束の午前10時。
今大会最後になった電話に、久保は5コールで出た。
長い沈黙の後、「しゃあないよね」。ボソリとつぶやいた。島の空は、鉛色をしていた。
前田のゴールに重ねた自らの姿「子供の頃の点決めた時を思い出したりしたよね」
スペイン戦に続いて「おっさん」の食堂に出向き、試合を見た。
「右サイドは雰囲気あったし、精度も高い。20分くらいには、これはセンタリングから入るわと思ったわ。(相手守備の)ひと山を越えて。絶対来ると」
前半43分。言葉通り、右からひと山越えたクロスがこぼれ、前田が左足一閃。
「あと何点入るかと思って見よったけどな……」
見立てとは裏腹に決め手を欠く展開。逆に、後半10分、クロアチアに試合を振り出しに戻された。
そして、120分でも決着はつかず、PK戦へ。
1人目南野、2人目三笘が失敗。クロアチアも3人目が失敗。「まだいける」。そう思ったが、しかし――。
酒を1滴も飲まずに見守った午前3時近くのテレビには、慟哭する青のユニホームが映っていた。
「ああ、終わったなって。すぐ寝たわ」
電話口を、また一段と強い風が叩いた。
終焉を迎えた森保ジャパンの旅路。久保の心が揺さぶられた場面があった。
「今日の前田の喜び方を見てね。ファンになったよね、前田の。子供みたいに喜びよったよな。見た目は黙々とやるタイプと思ったけど、あの喜び方を見て、自分と重なるっちゅうか。子供の頃の点決めた時のあれを思い出したりしたよね。夢というか、憧れで目指してやってきたところで点を決めた時って、あんな風になるんかなと思ったし」
ほかならぬ久保もW杯を夢見たサッカー少年だった。
福岡・筑前町出身。マラドーナに憧れ、得意の左足を磨き、Jリーガーになった。ジーコジャパンでは日本人離れした身体能力で得点を量産。誰もがW杯で世界との真剣勝負を夢見た。しかし、膝、腰と度重なる怪我でコンディションが上がらず。06年ドイツW杯、当落線上で涙を呑んだ。
落選した日の夜。1年半やめていた酒を飲み、記憶がなくなるほど飲んだ。でも、今も記憶にこびりついて忘れられないことがある。落選直後、テレビの取材を受け、泣いている「かあちゃん」を初めて見た。「人に優しくじゃないけど、もう、かあちゃんを泣かせるようなことしちゃいかんとは思ったよね」
あれから16年。人生の岐路となったW杯で躍動した、所属先も知らない一人のFWに自分が重なった。
「久しぶりにサッカー見たけど、やっぱ、W杯すげえなって。見てて面白いし、本気の度合いはみんな見てて分かるし、Jリーグとは違う。それだけ選手が懸けてるんよな。ちっちゃい頃から憧れて、W杯の試合を見て、サッカーを始める。で、頑張る選手が残って、そういう選手が見られるわけだから。そりゃあ、面白いよね」
そんな話を聞きながら、合わせて実施したインタビュー。PK戦に見た日本の課題から、4年後の期待まで独自の視点で語ってくれた。
釣りの方が楽しかったはずのサッカーに元気をもらい「忘れんよね、今回のW杯はね」
電話する久保がいた島は、牛島という。
現在はコーヒー焙煎に、塩作りに、唯一無二のセカンドキャリアを歩む。瀬戸内海に浮かぶ周囲12キロ、連絡船で港から20分。「うしま」と読む、島民50人ほどの島に塩釜があり、畑で野菜も作る。そこが、現在の仕事場。月曜日。世の中と同じように、また新たな1週間が始まろうとしている。
2度上京し、W杯と日本代表を楽しんだ13日間。「サッカー見るより、釣りしとる方が楽しいけえ」。そう言っていたはずの男が、サッカーの面白さに酔いしれた。
サッカーが結びつけた縁もある。編集部には、かつて久保がマリノス在籍した当時、一緒に苦楽を共にしたスタッフもいる。「ねえ、楽しかったよ」と言う。
「そういう仲間と同じサッカーチームでやってきた頃を思い出したし。忘れんよね、今回のW杯はね。やっぱり元気出たし、サッカー見て、俺も頑張ろうと思ったし」
日本代表はまた、4年後を目指した旅路に出る。
「俺はここで気楽にやっていくだけやけんね。好きなことやるだけよ。好きなように、好きなことやってくわ……うん」
46歳。久保竜彦は、久保竜彦の今を、これからを生きる。
かつて5万人のスタジアムを沸かせた男が、やけに風の強い、この小さな島で。
なお、インタビューは近く配信する。
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)