イチロー氏のメジャー1年目に通訳を担当した末吉英則氏【写真:木崎英夫】

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ウインターミーティングでイチロー氏の元通訳と再会

 米大リーグのウインター・ミーティングが行われているサンディエゴのホテルロビーには、米国内外の野球関係者や各球団のGM、選手の代理人らが行き交い、野球関連のビジネスに携わる人たちの姿も見られる。その中で、なつかしい顔と再会した。【木崎英夫】

 マリナーズで国際管理部長を務め、イチロー氏(マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)のメジャー1年目には通訳を担当した末吉英則氏だ。2000年から2013年まで同球団に籍を置き、その後はドジャース、日本コミッショナー事務局、西武でキャリアを積み上げてきた。現在は、映像データを提供する「SYNERGY SPORTS」社の野球部門で働いている。

「世界各地にオフィスを置く弊社のクラウドにWi-Fiでつなげば、データはもとより見たい映像にすぐPCやMacでアクセスできるというのが売りです。例えば、ある投手の一塁牽制を見たいとなれば編集した映像がポンと出てくるようになっています。契約するメジャー30球団では、スカウティングツールの一つになっていますし、ドラフト戦略においても重宝されています」

 SYNERGY SPORTSは、今年9月にマイアミで開催されたU-18ワールドカップを主催する「世界野球ソフトボール連盟(WBSC)」とも契約を結ぶなど、ビジネスの裾野を広げている。

 末吉氏が野球界とかかわるきっかけが実に面白い。

元阪神助っ人を特集した番組に心奪われた

 1986年の夏、通っていた大学が交換留学制度を設け、その試験にパスしてオレゴン州で3週間のホームステイを経験。帰国後は社会科の教員になるつもりだったが、再渡米を決意し、翌1987年春からオレゴン大学に留学。1990年6月に無事卒業となったが、両親と交わした日本での就職を果たさないまま異国での職を求めた。しかし、魅力的なものは見つからず時間だけが過ぎていった。

 焦燥感が募り出した夏のある日のことだった。心を躍らせるテレビ番組を目にする。

「その時まで野球界に従事したいなんて一度も考えたことはなかったのですが、あの番組で日本の球団のお手伝いができるのではないかと強く思ったんです」

 前年に阪神で大活躍し、デトロイト・タイガースで大ブレークしたセシル・フィルダーを特集するESPNの特集に見入った。復帰したメジャーで本塁打を量産するフィルダーの活躍と日本のプロ野球、そして日本での生活を紹介したその番組を見終えると、末吉氏は自分を売り込む手紙を日本語と英語の両方で作成した。送り先は、生まれ育った大阪を本拠地とするオリックスと近鉄だった。

「返事なんかまずもらえないだろうと最初からあきらめていましたけど……。返事が来たんです!」

テレビ番組見なければ「今も地元大阪で教師をしていたはず」

 当時のオリックス球団代表だった井箟重慶氏が直接電話を入れてきたのである。1990年10月に「オリックス野球クラブ株式会社」に採用されると、翌年からは投手コーチに就任したジム・コルボーン氏の通訳が主な仕事になった。そして、本当に夢見た扉が開く。オリックスがマリナーズと業務提携を結び、末吉氏は1998年の1月から出向の形でマリナーズ球団に勤務し、2000年から正式に球団付となったのである。

「今はあの頃とは違った方向へと進んでいますが、今も野球にかかわる仕事ができているのですからとても幸せなことです」

 ウインター・ミーティングの会場には、野球関連企業の関係者に売り込みをかける若者の姿もあるが、末吉氏の道のりを知ると、人の人生は何が縁で変わるかわからないという思いになる。

 末吉英則氏は最後、しみじみと言った。

「フィルダーの番組を見ていなかったら、僕は今も地元大阪で教師をしていたはずです」(木崎英夫 / Hideo Kizaki)