久保竜彦は、後半激変した要因に森保一監督の統率力を挙げた【写真:Getty Images】

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日本―スペイン戦のドラゴン分析後編「バラバラにならなかったのが森保さんの力」

 サッカーのカタール・ワールドカップ(W杯)は1日(日本時間2日)、グループリーグ最終戦で日本はスペインに2-1で逆転勝ちした。1点を追う後半3分にMF堂安律、同6分に田中碧の連続得点で無敵艦隊を撃破し、グループ首位で決勝トーナメント進出が決定。元日本代表FW久保竜彦は「THE ANSWER」の電話取材に応じ、歴史的金星をドラゴンの目で分析した。後編は選手同士がぶつかった前半からハーフタイム15分で激変した要因に森保一監督の統率力を挙げた。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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(前編の「『日本サッカー史上最高の試合やろ』 久保竜彦が『完全にマラドーナ』と慄いた堂安律の衝撃」から続く)

 森保さん、ハーフタイムのロッカーでどんな檄を飛ばしたんやろか。

 後半、バラバラになってなかったもんね。コスタリカ戦でバラバラになりそうやったけど、しかも今日も前半あんなサッカーして、なんか「自分、自分」って、チーム全体が自分(個人)の方向で考え方になりそうなところを、森保さんがギュッと締めるっちゅうか。

 前半、ちょっとおかしかったもんね。

 途中で長友と鎌田、言い合いとったし。あそこで長友がブチ切れるんじゃなく、なだめるというか、良い言葉かけてると思うんよ、鎌田に。鎌田がキレそうな空気やったもんね。やりにくくて、体も思う通り動かんくて、しかもあんなにボールも触れない状況。

 普通ならバラバラになりそうなところ、そういうのが分解のあれ(原因)になるけど。それがなかったのが一番、森保さんの力じゃないかな。

 さっき(前編)も言ったけど、選手も4年間一緒にいて、なんか持ってるもの、伝わるものがあるから、ああやって爆発できたと思う。加えて、一人一人が行動だったり、雰囲気だったり、姿勢だったり、やっぱり選手って(監督を)見てるから。

 チームが一番きついところで、ロッカーでバラバラにならず、後半最初で爆発するって、なかなかできることじゃないんよ。自分がやってきたチームの中でも、そうなると言いたいこと言って、自分がやりたいことやり出してってなる。そうじゃないのがすごいと思うんよね。

(グループリーグの)3試合で見ても、チームとして成長しとると思う。

 1発目(ドイツ戦)に合わせて、全部の力を1発目で出して勝って、次(コスタリカ戦)流れが悪くなったけど、それでも最後はまた精神的に強くなったのを見せてくれたし、またこれでもっと良くなると思うから。

(2011年女子W杯で優勝した)なでしこみたいになるんじゃないかって思うよね。試合をしながら良くなっていくっちゅうか、選手が大きくなっていくっちゅうか。堂安、久保もそうやし、(チームも)もっと良くなっていくのが見れる気がするよね。

日本代表は「精神面では世界より先に行ってる気がするんよね」

 この試合ができたんが、日本サッカーは相当自信になると思うんよ。日本人もできる、と。

 個人の差は凄くあると思うけど、チームとしてやれるっちゅうかね。途中から入ってきた選手が浮き足立たないし、そういうチームになってると思うし。最後15分くらい攻められたけど、吉田、冨安が入ってガチッとなったし。

 ああいうのができなかったもんね。今まで見てる限りじゃ。安心して見てられるじゃないけど、大丈夫っぽい感じはあったよね。

 なんか、より大人の集団になっとるし、精神面では世界より先に行ってる気がするんよね。技術、体力はそりゃ、まだ差はあると思うけど。それくらい成長しとる。森保さんの力がでかいんやろなっていうのもあるよね。

 日本サッカー始まってから見てる人は80歳か、90歳くらい? (感想を)聞いてみたいよね。そんな人、誰がおる、釜本さん?

 次はクロアチア戦か。(16強の壁を)超えそうな雰囲気があるし、そういう流れやと思うし、冨安が戻ったのもでかいと思う。スペインも誰がおるかは知らんかったけど、クロアチアも誰がおるかは知らん。ただ、スペインよりはやりやすいと思う。デカイやろ。デカくて体でゴリゴリ来るイメージ。

 三笘と堂安が生き生きできればいいと思うし、堂安はもっとよくなると思う。(同点弾の場面で)ペナ(ペナルティエリア)の中でああいうプレーができた自信で、もっと中盤でもボールを持てるようになると思うよね。

 次の試合はいつなん? 月曜夜か。いやあ、楽しみよね。やってくれるやろ。

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、コーヒー焙煎や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)