社会課題を解決するには、どんな手法が有効なのか。ノーベル経済学者でシカゴ大学教授のリチャード・セイラー氏は、行動経済学を応用した「ナッジ」という手法を提唱している。セイラー氏などの共著『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』(日経BP)から、その具体例をお届けする――。

※本稿は、リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン(著)、遠藤真美(訳)『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』(日経BP)の一部を再編集したものです。

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■「テレビショッピングの魔力」の正体

――「待ってください、これだけじゃないんです!」

アメリカでは昔から、深夜になると、魔法のようなキッチングッズや新種のヘビ油を売り込むテレビCMをやっている。こうしたCMはきまってメンタルアカウンティングのシンプルな原則を利用する。

「利得はまとめるよりも、ばらしたほうがお得に感じる」。

つまり、売る商品を一度に全部紹介するのではなく、一部をとっておいて、それを「いますぐ電話で注文すれば」特別限定価格で提供すると後出しするのである。

それにならって、選択アーキテクチャーの特別限定ツールを二つ提供する。「キュレーション」と「楽しくできるようにする」だ。

■アマゾン全盛期に、なぜ書店は生き残れるのか

本書の2008年版を書いていたとき、われわれはよく、お気に入りのレストランで2人でランチをした後、近くの書店にふらりと入っては、あれこれ話を続けたものだ。

シカゴ大学のあるハイドパークにはよい書店がたくさんある。この文が現在形であることに気づいて驚いた人もいるだろうが、多くの書店がいまも営業している(サンスティーンはもうシカゴに住んでいないので、ハイドパークの書店を恋しがっているが、いまはマサチューセッツにあるコンコード・ブックショップが大切な場所になっている)。

実店舗型の書店は、どうしてポスト・アマゾン時代を生き残れているのだろう。

パンデミックの渦中でさえ、営業を続けている。カフェを併設し、雑貨も扱うようになったところもあるが、ハイドパークとコンコードでは、いまも書籍だけを販売している。

成功している書店(そして、その他の小さな小売店)には、どんな共通点があるのだろう。

それは、よいキュレーターであることだ。

オンラインの巨人たちと競争しようとするどの企業にとっても、キュレーションは欠かせない。アマゾンは、紙に印刷されたほとんどすべての本、そして紙に印刷されていない多くの本を売っており、それを自宅にすぐに届けてくれる。

タブレットなら注文に1分とかからない。そうだとすると、従来型の小売店は選択肢を増やして競争することはできない。「なんでもそろう」店には太刀打ちできない。

実際、100万冊の本が所狭しと置かれている巨大な倉庫を見て回るなんて、考えただけで疲れてしまう(それもたった100万冊だ)。しかし、アマゾンでのショッピングはシンプルでわかりやすい(それに、コロナ禍でさえ、マスクをする必要はまったくなかった)。

■オンラインにはない発見や偶然の出会い

どうして二つの選択肢が両方とも残っているのか。答えは言うまでもない。選択アーキテクチャーだ。

小さな店はキュレーションで対抗する一方、オンラインのメガストアはナビゲーションツールを使って、膨大な選択肢のなかから簡単に商品を探して選択できるようにしている。

キュレーションの処方箋は一つではない。事業を成功させる道は一つではないのと同じことだ。

一部の巨大書店が繁栄しているのは、よいキュレーションが行われているからだけではない。顧客にすばらしい体験を提供しているからでもある。

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フィクションの売り場からミステリーの売り場へと足を向けると、思いがけない発見や偶然の出合いがたくさんあって、ほんとうに楽しい。旅行やSFやアートに特化して成功している書店もある。

それと同じように、一部の秀逸なレストランがすばらしいのは、一つのことをきわめて、それをやり続けているからだ。最高のラーメン、ホットドッグ、タコス、ピザ、スペアリブに出合えるのは、それだけを売っている店であることが多い。

有名なシンガポールのホーカーセンター(屋台街)では、どの屋台も1種類の料理だけを出している。ミシュランの星を獲得している屋台も二つある。料理の値段は数ドルで、どこにでもあるような小さな屋台だ。どちらもキュレーションを行っているのである。

■選択肢が多くても、満足が得られるとは限らない

セイラーが何年も通ったシカゴのワインショップはほんとうに小さなところで、ワインの箱が天井まで雑然と積み上げられていた。しかし、そこにいつもいるオーナーは、店にあるワインも、顧客の好みも、すべて把握していて、まるですぐれたアルゴリズムのようだった。いや、それ以上だっただろう。

オーナーはよく、「新しいボトルが入ったから飲んでみますか」と声をかけてくれたし、セイラーは多少のリスクならいとわない人間だった。偶然の出合いがあると楽しい。

ワインだけでなく、本でも、音楽でも、映画でもそうだ。よいキュレーションとは、悪い選択肢をとり除いて、新しい選択肢をとりいれることである。

人的資源部門から社会保障、医療といった領域の選択アーキテクチャーは、キュレーションとナビゲーションツールをなんらかのかたちで組み合わせて使わなければいけない。そうしなかったら、よい選択はできない。

「選択肢を最大化する」という、シンプルな哲学をもっている人もいる。それがいつも悪いわけではないが、選択アーキテクチャーのツールを賢く組み込まないと、問題を引き起こしかねない。

キュレーションをしっかり行って選択肢を絞り込むか、よいデフォルトを設定する、あるいはその両方をすれば、非常に満足のいく結果を生み出すことができる。

■「ナッジ」には楽しさの要素が欠かせない

われわれが考えるよい選択アーキテクチャーの最後の要素は、「楽しさ」である。ナッジの一つ目のスローガンは、「望ましい行動を簡単にとれるようにする」だった。それをうまく補完する二つ目のアドバイスは、「望ましい活動を楽しくできるようにする」である。

マーク・トウェインの小説『トム・ソーヤーの冒険』の有名なエピソードがそのよい例だ。

いたずらが大好きな少年トムは、悪さをしてポリーおばさんに罰を与えられる。その罰とは、おばさんの家の前の道に面した塀に白いペンキを塗ることだ。

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早く友だちと遊びにいきたいトムがいやいやペンキ塗りをしていると、それを見かけた友だちのベン・ロジャーズが、おいしそうなりんごを手にからかいにやってくる。そのとき、名案がひらめく。ペンキをいかにも楽しそうにきれいに塗ってみせるのだ。

それがあまりに楽しそうなので、ベンもやりたくてたまらなくなるが、こんな楽しいことはさせられないとトムは断る。するとベンは、これをあげるからペンキ塗りをやらせてくれないかと、りんごを差し出す。

それからも友だちがペンキを塗らせてくれと次々に貢ぎ物をもってやってくる。そうして夕方には塀の3度塗りが見事に終わる。トウェインはこう書いている。「白いペンキがなくならなかったら、村の男の子はみんな破産していただろう」。

トウェインはこんな言葉を残している。「仕事はしなければならないことでできているが、遊びはしなくてもよいことでできている」。

ある活動を遊びのように見せたり、好奇心をかき立てたり、ドキドキ感やワクワク感を生み出せたりできたら、人はそれを喜んでやるようになるだけでなく、対価を払ってでもやりたがるようになるのだ!

■階段利用者を激増させた地下鉄駅の工夫

この原則を存分に活用しているのが、フォルクスワーゲン・グループである。

フォルクスワーゲンは「ファン・セオリー」と呼ばれるプロジェクトの一環として、広告代理店のDDBストックホルムと共同で一連の動画を制作している。

このプロジェクトは、望ましい行動が楽しそうに見えたら、人びとが環境や健康をもっと意識するようにうながすことができるという考え方にもとづいている。

2300万回以上視聴されたいちばん有名な動画は、ストックホルムの地下鉄の駅が舞台だ。乗客は駅から地上に出るのにエスカレーターを使っている。

そのすぐ横には階段があり、スタッフがその階段を大きなピアノの鍵盤に仕上げ、階段を踏むと音が鳴るようにする。作業が終わると、階段は楽器へと変わる。すると乗客はすぐ、飛び跳ねたり、スキップしたり、ダンスしたりしながら、楽しそうに階段をのぼっていくようになる。

動画によれば、階段を楽しんで使ってもらうようにしたところ、階段を選ぶ人が66%増えたという。こうしたデータが正確なのかどうかはわからないし、階段をピアノにすることが経済的に見合う戦略だとはどうしても思えないのだが、この原則は正しいとわれわれは信じている。

実際に、この完全版に取り組むかどうかを決めるときには、あるシンプルなルールにもとづいて判断することにした。そのプロセスが楽しいとき、かつそのときにかぎり、やることにする。

■宝くじで「スピード違反」と「犬のふん」が減った

ピアノ階段は楽しいが、実用性には欠ける。そこでファン・セオリー・コンテストを企画し、広くアイデアを募集した。コンテストで最優秀賞に輝いたのが、正の強化と負の強化の両面から安全運転をうながそうとするアイデアである。

具体的に説明しよう。まず、スピードカメラが道路を走行する車の速度を測る。スピード違反をしたドライバーには罰金が科されるが、速度制限を守ったドライバーは宝くじがもらえる。そしてその宝くじの賞金は、スピード違反の罰金から支払われるという仕組みである。このアイデアを時限的に試したところ、有望な結果が得られた。

写真=iStock.com/Antonio_Diaz
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この例は人間の重要な行動特性を示している。そう、みんな宝くじが大好きなのだ。一部の政府がすでにこの知見を活用している。とりわけ興味深いのが、台湾の新北市の例だ。

新北市は飼い主に犬のふんを後始末するようにうながそうと、宝くじキャンペーンを実施した。犬のふんを袋に入れて所定の施設にもっていくと、袋と引き換えに金塊が当たるくじがもらえる。

犬のふんが文字どおりの金(ゴールド)になるというわけだ。1等賞は約2000ドル相当の金塊だった。市によれば、キャンペーン期間中は路上に放置されるふんが半減したという。

■税金逃れ対策、健康維持にも効果を上げた

中国本土では、宝くじが別の目的で広く使われている。税務コンプライアンスだ。世界の多くのところがそうであるように、中国は圧倒的な現金社会であり、町の食堂のような小さな店のあいだでは、売り上げを抜いて消費税を逃れる行為が横行している。

この問題を撲滅しようと、政府は特別なレシートを用意した。店で代金を支払うともらえるレシートに、スクラッチくじが印刷されているのだ。じつに賢い。こうすればレシートをもらうインセンティブが客に与えられ、その取引が政府に報告されるようになる。世界各国の財務大臣はこのことを覚えておくべきだ。

写真=iStock.com/Ralf Geithe
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宝くじは、健康への意識を高める効果的な動機づけとしても使えるだろう。ペンシルベニア大学の心理学者で社会科学者のケヴィン・G・M・ヴォルプらの研究グループが、医療管理会社の従業員を対象に、健康リスク評価への参加をうながす実験をした。

あるグループには、評価に参加した人は25%の確率で100ドルが当たる宝くじをもらえるという条件が示された。この宝くじは動機づけとして効果があり、参加率は約20%上がった。宝くじを動機づけとして使うときには、細部の設計が重要になる。自分も当たっていたかもしれないと思わせると、宝くじへの関心は高まるだろう。

■「罪悪感のない喜び」でリサイクル量が35%増えた

オランダ政府はこの原理をとても効果的に使っている。オランダの公営宝くじの一つは、郵便番号がベースになっている。自宅住所の郵便番号が当選したと発表されれば、くじを買ってさえいたら賞金が当たっていたかもしれないのにと悔やむ。このアイデアは人の後悔の念を刺激するものだ。

宝くじは、正の強化を与える手段の一つにすぎない。宝くじに効果があるのは、人は賞金が当たる確率を高く見積もるからである。

もちろん、正しいことをする人に現金を与えてもよいのだが、金額が少なければ、逆効果になりかねない。(台湾のキャンペーンの賞金総額が、ふんを袋に入れてもっていった飼い主全員で頭割りされていたら、1袋当たり約25セントになっていた計算になる。25セントのためにわざわざ袋をもっていくだろうか)。

宝くじにかわる選択肢になるのが、マイレージ型の報酬プログラムだ。貯めたポイントをなにか楽しいものと交換できる。人は現金よりもタダでもらえるものに引きつけられることがある。お金目当てだと後ろめたさがあるが、無料の商品と交換するなら「罪悪感のない喜び」という希少なものが得られるからだ。

このような報酬システムは、イギリスでリサイクルを促進するのに使われて成功を収めている。ロンドン郊外にあるウィンザー・メイデンヘッド王室特別区には、リサイクルしたものの重さに応じてポイントがもらえる報酬プログラムがあった。

貯まったポイントを利用して地域のお店で割引を受けられる。その結果、リサイクル量は35%増えた。

■新型コロナ対策でも「ナッジ」が生きた

パンデミックは楽しいものではないが、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相はすばらしいユーモアのセンスの持ち主で、新型コロナウイルスとの闘いに楽しさを吹き込んでみせた。

リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン(著)、遠藤真美(訳)『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』(日経BP)

パンデミックの最中、首相は厳しい外出制限を課すと発表した。ただし、イースターバニーには制限はかからないし、歯の妖精も仕事を続けられる。首相は記者会見の場で国民にそう伝えた。

アーダーン首相はニュージーランド国民を笑顔にしながら、新型コロナウイルスの根絶につながる行動をとるようにナッジし、ときに命令したのである。

ここでの教訓はシンプルだ。「物事は楽しくできるようにする」。そして、なにが楽しいかわからないなら、それは人生を十分に楽しんでいないということである。

(出典)
1. Maria Yagoda, “Singapore Hawker Stands with Michelin Stars,” Food & Wine, August 20, 2018, https://www.
foodandwine.com/travel/singapore-hawker-standsmichelin-<http://foodandwine.com/travel/singapore-hawker-standsmichelin-><http://foodandwine.com/travel/singapore-hawker-standsmichelin->stars-where.
2. “Volunteer and Job Opportunities,” Mark Twain Boyhood Home and Museum, https://marktwainmuseum.org/
volunteer-employment/.
3. “Speed Reduction Measures-Carrot or Stick?” ITS International, https://www.itsinternational.com/its2/feature/ speed-reduction-measures-carrot-or-stick.
4. Richard H. Thaler, “Making Good Citizenship Fun,” New York Times, February 13, 2012, https://www.nytimes.com/2012/02/14/opinion/making-good-citizenship-fun.
html.
5. Emily Haisley et al., “The Impact of Alternative Incentive Schemes on Completion of Health Risk Assessments,”American Journal of Health Promotion 26, no. 3 (2012): 184-8.
6. Thaler, “Making Good Citizenship Fun.”

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リチャード・セイラー米シカゴ大学経営大学院教授
1945年米ニュージャージー州生まれ。74年米ロチェスター大学で経済学の博士号取得(Ph.D)。米コーネル大学、米マサチューセッツ工科大学(MIT)経営大学院などを経て95年から現職。行動経済学の研究で、2017年にノーベル経済学賞を受賞した。著書に『行動経済学の逆襲』(遠藤真美訳、早川書房)、『セイラー教授の行動経済学入門』(篠原勝訳、ダイヤモンド社)などがある。
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キャス・サンスティーンハーバード大学ロースクール教授
専門は憲法、法哲学、行動経済学など多岐におよぶ。1954年生まれ。ハーバード大学ロースクールを修了した後、アメリカ最高裁判所やアメリカ司法省に勤務。81年よりシカゴ大学ロースクール教授を務め、2008年より現職。オバマ政権では行政管理予算局の情報政策及び規制政策担当官を務めた。18年にノルウェーの文化賞、ホルベア賞を受賞。著書に『ナッジで、人を動かす 行動経済学の時代に政策はどうあるべきか』(田総恵子訳、NTT出版)ほか多数、共著に『NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか?』(ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー共著、村井章子訳、早川書房)ほか多数がある。
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(米シカゴ大学経営大学院教授 リチャード・セイラー、ハーバード大学ロースクール教授 キャス・サンスティーン)