2023年3月期に黒字決算を見込むANAHD。2020年1月に始まった新型コロナウイルス感染症の世界的なパンデミックで航空機需要が蒸発した後、ANAはこの危機をどう乗り越えたのか。日経ビジネスの高尾泰朗記者の著書『ANA苦闘の1000日』(日経BP)から、一部を紹介しよう――(第1回)。
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■ANA社員を襲った「仕事がなくなる不安」

2020年4月に入り、ANAは日にちを指定して社員に休んでもらう「一時帰休」を本格化させた。

休んだ日数分の給与を会社は負担せず、減った給与に相当する休業手当を、国の「雇用調整助成金」を一部原資にして支払うというものだ。国は4月から一定の条件の下、雇用調整助成金の助成率や支給上限額を引き上げていた。社員を休ませることで人件費負担を抑制する。本来は固定費であるはずの人件費を押し下げる苦肉の策だった。

ANA単体で1万7000人ほどいた社員のうち、機上でのおもてなしを担う客室乗務員は半分ほどを占めていた。その1人、横川広実は「仕事が減っていくことに対する不安感はかなり大きかった」と当時の心境を吐露する。

横川は鹿児島に住む祖父母に会うため、幼い頃から飛行機に乗る機会が多かった。乗り物酔いしやすい体質だったが、気分が悪くなっても機内では客室乗務員が優しく対応してくれた。そんな原体験から、将来の夢として客室乗務員を思い描くようになったという。

経営破綻のあおりでJALが採用活動を実施しなかった12年春に客室乗務員としてANAに入社。最初は国内線の乗務で基礎を学んだ。

「華やかなイメージを持っていたが、そんなことはない。体力勝負です」。

保安業務や接客の知識・技術だけでなく、体力、そして経験も身に付け、3年目からは国際線でも活躍するようになった。ANAが国際線の就航都市を年々拡大する中、活躍の場はどんどん広がっていった。お気に入りの街は15年に初就航したベルギー・ブリュッセル。フライトの合間に街に出て食事やお茶を楽しむのが、忙しい日々の中のささやかな幸せだった。

そんな日々をコロナ禍が奪い去っていった。

■1カ月にわずか4日になった客室乗務員の勤務

それまでは1日3便ほどの国内線乗務をこなす日を4日続けた後に2連休を取得する「4勤2休」で働き、そのサイクルの合間に月2往復ほどの国際線乗務が入るのが通常だった。

ところが、コロナ禍で運航便数が激減してから、客室乗務員は一時帰休の対象となった。1カ月にわずか4日の勤務、しかも1日の乗務は1往復だけという状況に置かれた。月の業務量が8分の1ほどに減った計算だ。横川も航空業界が様々なリスクに左右されやすい業界であることは認識していたが、これほどの惨状に見舞われるとは想像すらできていなかった。

出典=『ANA苦闘の1000日』(日経BP)より

とはいえ、この頃はANAHDも5月終息を想定していた。横川の周囲でもどこか楽観的な雰囲気は残っていた。コロナ禍はあくまで一時的なもので、数カ月もすればまたにぎわいを取り戻していくのではないか。そんな期待があったのだ。この10年間、事業規模の拡大に伴って人手不足が慢性化。忙しい日々がずっと続いていただけに、体を休めたり、趣味に使ったり、語学学習などの自己研さんに励んだりと、一時帰休を前向きに捉える人もいた。

■がらんとした空港の風景

「この10年近くはどんどん運航便数も増えていって、にぎわう空港の様子しか見てこなかった」。

ANA成田エアポートサービス・旅客サービス部の白井沙織は、普段の空港の姿と、コロナ禍で人がいなくなっていく空港の姿とのギャップに戸惑っていた。旅客サービス部とはその名の通り、空港のチェックインカウンターや搭乗口などで旅客の対応に当たる社員「グランドスタッフ」が所属する部署である。

10年入社の白井は成田空港国際線の担当一筋。空港から徐々に人が減る様子を見て最初に連想したのは、入社から約1年後に起きた東日本大震災だった。震災当日は空港が一時閉鎖され、地上交通が寸断されたターミナルは帰宅困難者であふれた。離着陸が再開された後は日本からの出国を希望する外国人向けの便の運航に奔走する。異常事態を目の前に、1年目の白井はただ立ち尽くすしかなかった。

ただ、その後の約10年間は、インバウンド需要の拡大で成田空港は年々にぎわいを増していった。その中で白井も順調に経験を積み、チーフとして部下の育成に携わったり、現場の責任者として業務に当たったりしてきた。そうした中で迎えたのが、入社以来2度目の異常事態と言えるコロナ禍だった。

白井は学生時代に短期間のホームステイを体験した際、言語を使い分けながらテキパキと旅客対応を進める空港のスタッフの姿を見て、グランドスタッフを志した。忙しいながらも念願の職業に就いて充実した日々を送ってきた白井は、外国人はもちろん、日本人すらいない、がらんとした空港の風景を見たことがなかった。戸惑い、悲しみ。そんな気持ちを仕事の中で抱くとは思ってもみなかった。

■「次の出勤に対応できるだろうか」

ところ変わり、国内線の最大拠点である羽田空港。

3月時点ではまだ、空港ににぎわいが残っていた。「次の夏休みは海外旅行に行けるかな」。羽田のグランドスタッフが所属するANAエアポートサービス・旅客サービス部の薮崎絵里はその頃、同僚とこんな会話を交わしていた。様々な報道や成田空港の様子などは耳に入っていたし、羽田発着の国内線も一部減便が始まっていた。しかし、旅客数にさほど変化は感じられない。未知のウイルスはどこか縁遠いものとして感じていた。

ただ、4月に日本国内でも感染が拡大し、緊急事態宣言が発令されると、全国の空港の客足が一気に途絶えた。

09年入社の薮崎が思い起こしたのも、やはり11年の大震災だった。震災直後は自粛ムードが広がり、被災地以外を発着する便も旅客が大きく減った。当時の自粛ムードは数カ月で収まったものの、今回は未知のウイルスが相手なだけに、先の見えない不安感に襲われる。

空港のグランドスタッフたちの一時帰休が始まったのはその頃だった。国内線・国際線ともに大幅に需要が減退し、運航便数を減らすことになった。そうなればグランドスタッフの業務量が減り、通常通りの人員を出勤させても手持ち無沙汰となってしまうからだ。

通常、グランドスタッフはシフトを組みながら月に20〜21日程度出勤する。成田で働く白井は一時、勤務間隔が1週間ほど空くこともあった。「次に出勤したときにちゃんと対応できるのだろうか」。特殊な状況下での1週間の「休み」は白井を不安に陥れた。

空港で働くためには日々変わる各国の入国規制に関する情報を頭に入れておく必要がある。しかし、休んでいる日に会社から支給されているタブレットを使って「予習」することもできない。税金が原資である雇用調整助成金の不正受給などといった疑いがかからないよう、ANAHDは「休業日は業務に関係することを一切しない」というルールを徹底していた。

■一時帰休中のスタッフをいかにマネジメントするか

羽田の薮崎は少し事情が違った。

休業日数は多くて月5日程度。国際線と比べれば、減便幅や旅客数の落ち込みが抑えられていたからだ。それでも、同僚の中には出勤日数が通常の半分以下に落ち込んだ若い社員たちもいる。特定の業務に当たるのに必要な資格を持つ社員を優先的に配置せざるを得なかったからだ。

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現場を統括するだけでなく、若手グランドスタッフの指導なども役割として与えられている薮崎は歯がゆい思いをしていた。十分な経験を積めないままコロナ禍に突入し、大幅な勤務日数の減少に見舞われた若手の中には不安や不公平感を持つ人もいる。しかし、そうした社員を直接励ます機会も減ってしまった。スタッフをどうマネジメントするかという新たな難題が生まれていた。

■「かけふ」という言葉で現場を鼓舞

突然会社から「休んでほしい」と言われれば、誰もが困惑し、不安を感じるだろう。ANA社長(当時)の平子は「かけふ」という言葉を使って現場を鼓舞した。

「商いの3原則」。伊藤忠商事の会長CEO(最高経営責任者)である岡藤正広が、プロ野球・阪神タイガースの往年の名選手の名になぞらえて生み出した言葉だ。岡藤は「稼ぐ」「削る」「防ぐ」の頭文字を取ったわけだが、平子はそこに少し応用を加えた。

「か」は「借りる」。旅客需要が蒸発した中、まずは事業の運転資金を調達することが重要だ。これは経営陣の仕事であり、先に紹介した通り着実に実行されている。だから安心してほしい、という思いを込めた。

その上でコストを「削る」ことが重要なのだと説いた。一時的に社員には痛みを負ってもらい、人件費を圧縮しなければならない。不要不急の投資も後回しにする必要がある。

この頃には米ハワイ線に投入する欧州エアバスの超大型旅客機「A380」の3機目の受領を遅らせる措置も取っていた。これもこの考え方に沿った行動だ。

ただし、コストを削減しなければならないとしても、安全性や定時性の担保という航空会社としての本懐をおろそかにすれば、企業としての信頼性は下がり、復活の足かせとなってしまう。そのリスクを「防ぐ」ため、あらためて手綱を締め直す。

■想定の見直しに追い込まれる

そうしている間も、感染状況は収まる気配を見せなかった。巨大航空会社はじりじりと首を絞められていく。

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ANAHDが入る汐留シティセンター(写真中央) - 写真=iStock.com/y-studio

結果的に、4月の旅客数は国際線が前年比95.8%減、国内線が91.2%減と壊滅的な状況となる。本来は稼ぎ時であるゴールデンウイーク期間中の予約も全く入らない。5月6日までとされていた緊急事態宣言は延長の見通しとなる。片野坂らANAHD経営陣は「5月終息」の想定の見直しに追い込まれる。

「コロナが終息する時期の前提を8月末とする」。4月28日、20年3月期決算の発表に合わせて社員に発信したメッセージの中で、片野坂は想定シナリオを「ケース2」に移行する考えを示した。9月以降、運航規模は徐々に回復していくものの、21年3月末時点でも需要は国内線でコロナ禍前の7割、国際線も5割までしか戻らないという、ケース1に比べて悲観的な見立てだ。

SARSは発生したのが02年11月とされる。終息は03年7月だったため、発生から終息まで8カ月かかったことになる。ケース1では本格的な感染拡大を始点としたが、ケース2では発生を始点として想定を組み直したわけだ。平子は「当初から最悪のケース、ベストのケース、その中間と3つのシナリオを描いてきた」と説明する。ケース2はそこでいう中間シナリオだった。

■正しい情報を伝えることこそが大事

社員の不安を最小限に抑えるため、片野坂は「インサイダー以外の情報はしっかりと伝える」ことを意識した。メッセージの中では4月の収入見通しが計200億円にも届かないこと、一時帰休によって月10億円ほどのコスト削減効果があることなど、業績の厳しい現状と様々な打ち手の効果を具体的な数字を交えながら説明していった。

「危機感をあおってはならないが、正しい情報を伝えることこそが大事」。

こうしたスタンスを取る片野坂は、メッセージの中で「雇用は必ず守る」との姿勢も引き続き強調する。欧米航空会社などでは既にレイオフ(一時解雇)などのリストラ策に動き出したところも多かった。それだけに、社員に安心して働いてもらう、あるいは休んでもらうためには重要なメッセージだと考えたわけだ。

高尾泰朗『ANA苦闘の1000日』(日経BP)

その一方で、賃金・賞与カットの可能性にもこの時点で踏み込んだ。3月の社員あてメッセージでも一般社員に様々な協力を求める可能性に触れていたが、既に役員報酬や管理職の月例賃金カットが始まる中、ゴールデンウイーク明けから労働組合との協議を始めると明かした。現に、このメッセージの発信と前後して、ANAは20年度の一般社員の夏季一時金を19年度比で半減させる方針を固め、労働組合に提案している。

コロナ禍の先が読めない中、ANAHD経営陣が取りうる手段は、資金調達という「輸血」と、コスト削減という「止血」しかなかった。生命をつなぐための奔走。それは、損益計算書やバランスシートの上ではなく、キャッシュフローを巡る戦いだった。

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高尾 泰朗(たかお・やすあき)
日経ビジネス記者
1992年佐賀県生まれ。2015年に日本経済新聞社に入社し、「日経電子版」向けのコンテンツ制作を担った後、16年に企業報道部へ。消費・流通の現場を取材したほか、建設業界や教育・福祉業界などの担当記者を務めた。20年から日経ビジネス記者。航空や運輸、マクロ経済などを担当している。
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(日経ビジネス記者 高尾 泰朗)