32歳で電撃引退した江川卓氏

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「今年で辞めるかもしれない」

 今季も福留孝介(中日)、糸井嘉男(阪神)、能見篤史(オリックス)ら、第一線で長く活躍した選手たちが現役を引退した。前出の選手たちは、いずれもボロボロになるまでプレーを続け、燃え尽きたイメージが強い一方で、過去には、まだチームの主力として十分やっていけるはずなのに、花も実もあるうちにユニホームを脱いだ選手が存在した。【久保田龍雄/ライター】

【写真】「江川事件」を経て阪神入りした“トラのエース”や、“BIGBOSS”の選手引退も世間をアッと驚かせた

 その一人が、巨人のエース・江川卓である。1987年、桑田真澄の15勝に次ぐ13勝5敗の成績を残したにもかかわらず、シーズン後、肩の故障を理由に32歳で電撃引退したのは、ご存じのとおりだ。

32歳で電撃引退した江川卓氏

 選手として最も脂がのっていた82年シーズン途中に右肩を痛めた江川は、あらゆる治療を試みたが、肩は年々悪化する一方だった。自著「たかが江川されど江川」(新潮社)によれば、江川は87年5月の広島遠征に出発する直前、夫人に「今年で辞めるかもしれない」と初めて引退を口にしたという。

 そして9月20日、江川は、首位・巨人が3連勝すればマジック11が点灯する広島との天王山3連戦第2戦に先発し、近年で“最高の投球”を見せる。8回まで法政大の後輩・小早川毅彦の右越えソロによる1失点に抑え、2対1とリードして9回裏を迎えた。

 2死一塁で、打者は小早川。7回の打席でカーブを打たれていた江川は「ストレート勝負するしかない」と心に決めた。

「あるべき姿の江川卓」

 相手打者が「ストレートが来る」とわかっていても、ストレートで三振に切って取ることこそ「あるべき姿の江川卓」と考える江川にとって、「それがダメだったら、(現役は)おしまい」という選手生命を賭けた大勝負でもあった。

 全球ストレートで押し、カウント2-2からの5球目、捕手・山倉和博がアウトローに構えたのに対し、江川はあえてインハイに渾身のストレートを投げ込んだ。

 運命の109球目、小早川のバットが一閃し、打球は逆転サヨナラ2ランとなって、右翼席へ。直後、江川はガックリとマウンドに膝をついたまま、しばらく動けなかった。帰りのバスに向かう途中、江川は初めて人前で涙を流した。
この広島戦が事実上の“引退試合”となり、「あるべき姿」の限界を悟った江川は2ヵ月後の11月12日、引退を発表した。

 わずか9年で終わった現役生活に、ファンは「技巧派にモデルチェンジすれば、まだ二桁勝てたのでは?」と早過ぎる引退を惜しんだ。しかし、江川自身は、前出の「たかが江川されど江川」のなかで、「僕はすでに技巧派に変身していた。コシヒカリなんて名前をつけたスライダーを投げなければならなくなったとき、もはや江川卓は終わりかけていた」と説明している。

「15勝できなかったら、ユニホームを脱ぎます」

 1979年、江川の巨人入団に際し、“人身御供”とも言うべき三角トレードで巨人から阪神に移籍した小林繁も、4年後の83年、「自分の思い描いたボールが投げられなくなった」と、30歳でユニホームを脱いでいる。

 移籍1年目に古巣・巨人相手に無傷の8連勝を記録するなど、22勝を挙げた小林は、翌年以降も二桁勝利を重ね、“トラのエース”の重責を担いつづけた。

 だが、小林自身は「あれ(22勝)以後、15勝や16勝しても、(ファンは)納得してくれないんだ」とトップを走りつづけることに疲れていた。巨人時代に痛めた右肘も年々悪化し、下半身の踏ん張りも利かなくなった。

 肉体的にも精神的にも追い込まれた小林は、83年のシーズンを前に「15勝できなかったら、ユニホームを脱ぎます」と宣言した。

 必ずしも“イコール引退”ではなかったが、6月25日の中日戦で、完投勝利目前の9回に大島康徳に同点2ランを浴びると、「簡単に同点にされて情けない」と潮時を感じ、8月ごろ、首脳陣に引退の意向を伝えた。

 安藤統男監督に慰留されると、まだ可能性が残っていた最多勝を目指し、再び心に炎を灯そうとしたが、9月15日の巨人戦で3回途中KOされるなど、3点台だった防御率が4点台に悪化、13勝14敗と負け越してシーズンを終えると、ついに「体力、気力の衰え」を理由に引退を発表した。

 もし巨人に残り、2番手、3番手の投手のままだったら、おそらく30歳での引退はなかったはず。小林自身も「あのトレードがなかったら、トップにはなれなかったかもしれないけど、もうちょっと長く投げていたとは思う」(矢崎良一著「元・巨人 ジャイアンツを去るということ」、廣済堂)と回想している。

「漫画みたいなストーリー。出来過ぎでしょ」

 試合後のヒーローインタビューで、突然現役引退を発表したのが、現・日本ハム監督の新庄剛志である。

 日本ハム移籍3年目の2006年4月18日のオリックス戦、2回に左中間ソロ、7回に満塁弾を放ち、チームの3連勝に貢献した新庄は、ヒーローインタビューのお立ち台に上がると、「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」と宣言した。

 まだ34歳。突然の引退発言にファンはショックを受け、スタンドから「辞めないで」コールも起きた。だが、新庄は「みんなにはわからないだろうけど、プレーに納得がいかなかくなった」と、捕れると思った打球に追いつけず、狙ったはずの直球に詰まらされるなど、肉体的な衰えを理由に挙げた。

 3月25日の開幕戦で札幌ドームが満員になり、日本ハム入団時の夢を3年がかりで実現したことで、「僕の仕事は終わりと感じた」のも大きな理由だった。

「残りシーズンは今まで以上に楽しみたい」と宣言した新庄は、打率.258、16本塁打、62打点の成績で、球団の44年ぶり日本一に貢献。“持っている男”を体現したような最高のフィナーレに、「漫画みたいなストーリー。出来過ぎでしょ」と感激しながら、17年間の現役生活に別れを告げた。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部