「国産小麦、オーガニック、天然酵母」を謳う高級ベーカリーにも、実はかび毒のリスクがある。科学ジャーナリストの松永和紀さんは「小麦のかび毒をゼロにすることはできないが、農薬を使えばある程度まで抑え込める。有機栽培の小麦製品には注意が必要だ」という――。

■「国産小麦、オーガニック、天然酵母は安心安全」は間違い

都内の高級ベーカリーで目に付くパンの三大売り文句は、国産小麦、オーガニック(有機栽培)、天然酵母。これで安心安全……。

実は科学的には三つとも誤解です。最大の懸念はかび毒のリスクです。ところが、このような知識を持たないパン職人の方々がいます。日本の小麦消費における国産の割合は1割強となっています。小麦の国際価格がウクライナ情勢なども手伝い高騰し、国産小麦が注目されています。「私たちの手で有機小麦を栽培し、収穫してパンに」と張り切るパン職人までいるそうです。熱意は立派ですが、それがかえって危ないかもしれないのです。

では、なにが誤解でどう危ないのか? 解説します。

写真提供=農研機構
赤かび病にかかった小麦 - 写真提供=農研機構

小麦で懸念されるのは、かび毒デオキシニバレノールとニバレノールです。パンに生える青や黄色のあのかびが作るわけではありません。麦類は栽培時、フザリウム属菌による「赤かび病」に侵されやすく、この菌がデオキシニバレノールやニバレノールを作り、麦を汚染します。これらが大量に付いた麦類を食べると嘔吐(おうと)や下痢などを発症します。1950年前後には多数の食中毒報告がありました。

近年はそれほどの汚染はなく大量摂取による食中毒は報告されていません。しかし、動物試験の結果から、少量を長期間食べ続けることによる慢性毒性として、成長抑制や体重減少、免疫系への影響などが懸念されます。デオキシニバレノールに比べニバレノールは、摂取量が少ないことなどから基準値が設定されていないため、本稿ではデオキシニバレノールを中心に説明します。

■小麦のかび毒をゼロにすることはできない

赤かび病の原因となるフザリウム属のかびは自然界にいて、野外の稲わらや麦わら等に付いて越冬し、春に大量の胞子を作り飛散し麦類に感染してデオキシニバレノール(以下、DONと表記)を産生します。そのため、麦類から作ったパンや麺類、菓子等などを食べるといや応なしにDONを摂取することになります。

DON汚染をゼロにすることはできませんが、少量の摂取であれば健康への影響はありません。内閣府食品安全委員会は、DONの毒性を評価し、耐容一日摂取量(TDI)を1μg/kg体重/日としました。耐容一日摂取量というのは、重金属やかび毒など、仕方なく摂取せざるを得ない物質について、ヒトが一生涯にわたって毎日摂取し続けても、健康への悪影響がないと推定される量のことです。

では、日本人はどの程度、DONを食べているのでしょうか?

DONは加熱では分解されませんが、水には溶けるため、麺類の場合にはゆで湯に移り麺類からの摂取量は減ります。食品安全委員会は、日本人が食べる国産小麦、輸入小麦の汚染実態や、それをどのように製粉、加工して食べるかなどの調査結果をもとにDONのばく露量(摂取量)を推定しています。全年齢での平均摂取量は0.09μg/kg体重/日となりました。この量であればTDIの1μg/kg体重/日には遠く、まず問題ありません。

■子どもの5%弱は、耐容一日摂取量を超える

しかし、心配な点もあります。日本人全体で見れば、ほとんどの人の摂取量は、TDIの1μg/kg体重/日を下回っていると推定できるのですが、1〜6歳に限ると、そうではないのです。

95パーセンタイル値が0.94μg/kg体重/日、99パーセンタイル値が1.86μg/kg体重/日。パーセンタイル値というのは、測定値を小さいほうから順に並べたときに、95%や99%にあたる数値。つまり、1〜6歳で小麦を多く食べる子どもたち(人数の5%弱)は、DON摂取量がTDIを超える可能性があるのです(図表1参照)。

子どもは成長し活動量も多いため、体重1kgあたりの摂取する食事量が大人よりも多く、DONの摂取量も多くなると考えられます。

食品安全委員会によるモンテカルロ法を用いたDONの推定ばく露量

でも、慌てて「子どもに小麦製品を食べさせるのをやめよう」などとは考えないでください。特定の穀物を禁止するような食生活では栄養バランスが崩れる恐れがあります。小麦のDON汚染は、栽培地や小麦の粒によってもばらつきがかなり大きいと考えられ、食品安全委員会は、特定の子どもが毎日継続してTDIを超える可能性は低く、通常の食生活を送っていれば健康影響を生じる可能性は低い、という見解を示しています。

とはいえ、子どもの一部がTDIを超える、というのは由々しき事態です。残留農薬に対しては、許容一日摂取量(ADI)が設定されていますが、摂取量はADIを超えるどころか、ADIの1%にも満たない農薬がほとんどなのです。そのことを考えると、DONのリスクは大きいと言わざるを得ません。なのに、多くの人が残留農薬は心配しますがDONのことなど知りません。

食品安全委員会は、DONについてリスク管理機関に対し、「引き続き、合理的に達成可能な範囲で、できる限りの低減に努める必要がある」と伝えています。

こうしたリスク評価を受け、厚労省は2022年4月、小麦(玄麦)のDONに1.0mg/kg(食品1kgあたり1.0mgの含有量)という基準を施行しました。厚労省はそれまでも暫定的な基準値(1.1mg/kg)を運用してきたのですが、強化したことになります。

■汚染がひどいのは輸入ではなく国産だった

では、どのような小麦がDONなどに汚染されているのでしょうか?

なんとなく、輸入小麦の汚染がひどく国産小麦は安全と考えていませんか? ですが、それは思い込みです。むしろ、国産小麦のほうが心配な面があります。

日本では昔、小麦の基準値がなく、厚労省が2002年、海外の流れに沿って暫定的な基準値(1.1mg/kg)を設定しました。そこで農水省が実態調査を行いました。すると、図表2のような結果となったのです。

2002年のDON調査結果

国産小麦の方が、輸入小麦よりもはるかに汚染の程度が高かったのです。国産を推進したい農水省にとっては、あまりにも都合の悪い結果でした。

日本での小麦栽培は秋にタネをまき翌年6〜8月に収穫するのが一般的。生育後期に雨が多く赤かび病が蔓延してDONなどを産生しやすいのです。日本への輸入量の多い北米産小麦は主に、雨の少ない地域で栽培されています。

■かび毒汚染を低減させる決め手は農薬使用

汚染の防止、低減には、栽培段階から科学的な対策をとる必要があります。そこで、農研機構などが研究を重ね2008年、「麦類のかび毒汚染低減のための生産工程管理マニュアル」をまとめました。

赤かび病に抵抗性を持つ品種を選ぶ/適切に肥料等を管理し伸びすぎて倒れないようにする(倒れると土壌などにいた赤かびが付きやすく収穫した麦類のDONも増える)/適期に収穫する/収穫後は速やかに乾燥する/被害粒を選別し取り除く……などと共に、もっとも効果的で重要度の高い対策として盛り込まれたのが、化学合成農薬を開花期に散布することでした。

開花が始まった日から10日間に降雨日数が多く最低気温も高いと、赤かび病を発病しやすいのです。かびの増殖が一気に増えるその時期に化学合成農薬でしっかりと抑え込むと、かび毒が減ることが確かめられました。さらに、開花20日後までにもう1回、追加散布するのがDON低減に効果的であることもわかりました。

麦類に赤かび病の病徴はなくてもDONを蓄積していることが多く、見た目で「感染していないようだから、農薬は散布しない」という判断はできないことも判明しました。開花がいつ頃になるか、その年の気象条件によっても異なるので、農研機構は、生産者が播種(はしゅ)日や気象データを入力すると開花期を予測するサービスも提供しています。

効果的な化学合成農薬も検討され、3剤がマニュアルに記載されました。

これらの赤かび病対策研究は詳細なもので、栽培マニュアルにとどまらず多数の学術論文として発表され、国際的にも高く評価されました。研究成果は、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が設置した「コーデックス委員会」が作成した「穀物中のかび毒汚染の予防と低減のための行動規範」にも引用されています。

■赤かび病対策は難しい

農水省は2002年以降、毎年100〜226地点の小麦のDON汚染を調べています。同年以外は基準を超過するものは出ていません。汚染の最大値は2004年の0.93mg/kg。各年の平均値も最大値が2006年の0.13mg/kgで、ほかの年は0.1mg/kgを下回っています。

とはいえ、マニュアルができて指導に懸命だからDONデータも下がった、とは言いづらいところが、赤かび病とDON対策の難しいところ。図表3で、2014年と15年の通常調査、追加調査の結果を示しました。通常調査は全国でのサンプリング。追加調査は、赤かび病の発生が多いと報告された地域について追加で調べたものなので、平均値が大きく上がっています。DONによる汚染が年によって地域によって違い、サンプリングによっても大きく変わり得ることがおわかりでしょう。

国産小麦のDON実態調査

赤かびは普通に野外にいるので、発病防止は大変難しいのです。今年作についてもいくつかの県が「赤かび病が多発している」として生産者に注意を呼びかけました。生産者はマニュアルに従って栽培や収穫を行い、自治体やJAなどが収穫後の小麦の検査を行って、基準値を超過する小麦を出荷しないようにしています。

もちろん、赤かび病は世界的に発生しているため、輸入小麦も注意しなければなりません。輸入小麦は国家貿易品であり、農水省が検査して買い上げています。同省が2006〜15年度に輸入小麦2831点を調べた結果は、平均値が0.094〜0.11mg/kg。最大値は1.1mg/kgでした。厚労省も外国産小麦を調べています。それらのデータを見る限り、現在は国産と輸入のDON汚染状況は大差ないようです。

■研究者は「麦類は有機栽培せず、食の安全を守ってほしい」

以上が、小麦のかび毒の実情です。

赤かび病研究をリードし生産工程管理マニュアルの作成と普及に貢献した中島隆博士(現農研機構エグゼクティブリサーチャー)は、有機栽培が注目されていることを踏まえ、「麦類を、化学合成農薬を使わず栽培すると、かび毒汚染のリスクが高くなります。麦類は有機栽培せず、食の安全を守ってほしい」と語っています。

中島隆・農研機構エグゼクティブリサーチャー。赤かび病研究をリードした。現在は、農研機構初のスタートアップ「植物病院」の準備をしている(筆者撮影)

赤かび病対策のマニュアルで使用を推奨された三つの化学合成農薬は、許容一日摂取量(ADI)が40〜120μg/kg体重/日。この数字は大きければ大きいほど毒性が弱いことを意味します。しかも、小麦に使用してもその摂取量はADIに比べて著しく少ないことが明らかです。

一方で、DONの耐容一日摂取量(TDI)は1μg/kg体重/日で、前述のとおり、子どもの一部は摂取量がこの数値を超える可能性があります。比較すれば、農薬使用よりもかび毒の方がやっぱりはるかにリスクが高いのです。

有機栽培では、化学合成農薬は使えませんが微生物から抽出した剤など約30種類の農薬は使えます。そこで、中島さんらはそれらの農薬についても試験しました。使えれば、麦類の有機栽培も可能になります。

しかし、赤かび病への効果がほとんどないものや、麦の生育に影響が出る「薬害」が発生するものもあり、化学合成農薬を代替できないことが判明しました。

■「化学合成農薬を使うべき」というのが専門家の結論

海外では、有機栽培の科学的研究が盛んです。有機栽培した麦類と化学合成農薬を用いる慣行栽培の麦類のDON量を比較した試験も行われていますが、有機の方が少ないという結果と多いという結果の両方があります。

中島さんは「赤かび病の被害は、どの国でもその年の気象条件により大きく変わります。単年度の試験の結果をもとに有機がよいとか悪いとか判断するべきではありません。日本の気象条件では麦類はやっぱり、化学合成農薬を使うべき、というのが私たち研究チームの結論です。有機農業の目的は、生物多様性保全、循環系構築など環境保全のため。食の安全の確保や向上は保証していないことは理解してほしい」と語ります。

気候変動も顕著で、温暖化や降雨の変化等によりかび毒のリスクも変わってきます。今後も、気を緩めず対処してゆく必要があります。

■セールストークではなく科学が必要

残念なことに、こうした情報がパン職人に伝わっていない現状があります。ドイツなどで修業しパン職人として業界をリードし製パン法の書籍も数多く出版している竹谷光司さんは「パン職人の間で国産小麦への関心が高まっており、有機国産小麦を安全安心と思っている人もいるようです。かび毒の話は、ほとんどの職人が知りません」と語ります。

パン職人の中に、近所の仲間で小麦を植えようとしている人もいるそうです。有機だから安全安心と信じ込んで、DONの検査もせずパンとして販売されたら大変です。

国産小麦については、「輸入小麦のようにポストハーベスト農薬を使っていないから安全」という見方をする人もいます。しかし、製粉関係者によれば、収穫後に輸送中の害虫やかびの増殖防止のために用いられるポストハーベスト農薬は現在、海外でもあまり使われていません。使われたとしても、かび毒に比べリスクは小さく、残留基準を超過していなければ農薬使用に安全上の懸念はありません。

冒頭の三大売り文句の一つ、天然酵母の安全安心も、科学的な判断とは言えません。そもそも、パンに使われる酵母には遺伝子組換え技術などは用いられておらず、人工酵母はないのです。パンに使われる市販酵母、イーストは、工場で野生酵母からパンに適した優良株を選抜して培養したもので、これも立派な天然酵母です。

竹谷さんは「国産や、オーガニックなどの言葉は、セールストークとしては魅力的ですが、これらはあくまでもおいしさ追求のため。科学的に理解してパンを作って販売してゆきたい」と語っています。

パン職人がセールストークに走る背景には、メディアやSNS等が、かび毒などのリスクを知らず、国産や有機を無責任に持てはやしてきた風潮もあるでしょう。思い込み、ではなく、科学が必要です。

(記事は、所属する組織の見解ではなく、ジャーナリスト個人としての取材、見解に基づきます)

参考文献
製粉振興会・小麦粉の基礎知識
農水省・国産麦に関する情報
農水省・かび毒に関する情報
農研機構・麦類のかび毒汚染低減のための生産工程管理マニュアル改訂版(2016)
中島隆,ムギ類赤かび病によるかび毒汚染低減に関する研究;日本植物病理学会報85巻(2019)
厚労省薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食品規格部会資料・食品中のデオキシニバレノールの規格基準の設定について
中島隆, 有機農業の拡大のための次世代有機農業技術を考える;日本農学アカデミー第36号(2021)

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松永 和紀(まつなが・わき)
科学ジャーナリスト
京都大学大学院農学研究科修士課程修了。毎日新聞社の記者を経て独立。食品の安全性や環境影響等を主な専門領域として、執筆や講演活動などを続けている。主な著書は『ゲノム編集食品が変える食の未来』(ウェッジ)、『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書、科学ジャーナリスト賞受賞)など。2021年7月より内閣府食品安全委員会委員(非常勤、リスクコミュニケーション担当)。
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(科学ジャーナリスト 松永 和紀)