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世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』が「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。発売3年たってもベスト&ロングセラーとなっている。
◎宮部みゆき氏(直木賞作家)「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」
◎池谷裕二氏(東京大学教授・脳研究者)「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本」
◎なかにし礼氏(作詞家・直木賞作家)「読み終わったら、西洋と東洋の哲学と宗教の大河を怒濤とともに下ったような快い疲労感が残る。世界に初めて登場した名著である」
◎大手ベテラン書店員「百年残る王道の一冊」
◎東原敏昭氏(日立製作所会長)「最近、何か起きたときに必ずひもとく一冊」(日経新聞リーダー本棚)と評した究極の一冊
だがこの本、A5判ハードカバー、468ページ、2400円+税という近年稀に見るスケールの本で、巷では「鈍器本」といわれている。“現代の知の巨人”に、本書を抜粋しながら、哲学と宗教のツボについて語ってもらおう。

「我思う、ゆえに我あり」と言いつつ、
デカルトは神の存在を証明した

 人間は神から自由な存在であると言い切った上で、ルネ・デカルト(1596-1650)は改めて神の存在を証明しました。

 人間は世界の事象をいろいろと疑ってみても、結局のところは何もわからない不完全な存在である。

 それなのになぜ完全なものを求めるのか。

 デカルトはそのような疑問を、まず提出します。

 不完全な存在である人間がなぜ完全なものを求めるのか。

 たとえば正三角形とか正円とか、幾何学的な知識もそうです。

 よりよいもの、より美しいもの。人間がそれを求めるのはなぜか。

 デカルトはここで神の存在を考えるのです。

 デカルトによる神の存在証明は、かなり複雑なのですが、単純に言い切ってしまえば次のようなことです。

 人間が不完全なのに完全を求めるのは、完全を知っている神が教えてくれたからだとデカルトは考えたのです。

 人間をつくるとき、誠実な神が悪い神に勝利した。

 誠実な神は人間に生得観念として、誠実で正しいもの、すなわち完全なものについて教えてくれた。

 だから人間は生まれながらにして完全なものを求めることができるのである。

 これがデカルトの説く神の存在証明です。

 それゆえに人間は、生得観念に従ってきちんと学んで努力すれば、神がつくる世界と自分が考えた主観の世界とを一致させることができる。

 客観と主観が一致する。

 しかし人間は不完全な存在なのだから、不勉強なまま生きれば主観もいいかげんなままで、世界も不完全なままで終わるのだ。

 このように理論を展開し、デカルトは神を信じる信仰の世界から独立した形で、自分自身で構築した哲学によって、神の存在を改めて証明したのでした。

トマス・アクィナスとデカルトの違い

 トマス・アクィナスは、哲学は人間と自然の世界にだけ通用し、死後と宇宙の世界については通用しないと述べました。

 神の恩寵(おんちょう)によってつくられた世界の実在を、信仰によって信じる以外に世界の真理を求める道はないのだと。

 しかしデカルトは信仰とは無関係に、真理としてコギト・エルゴ・スムを置きました。

 そして独自の哲学の体系を打ち立てる中で、神の存在証明を行ったのです。

 このことは人間の自我を神の名によって束縛することを許さない、純粋な自我の世界の確立であったと思います。

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