人目もはばからず号泣…YOSHIKIにつきまとう「悲しすぎる死別」の歴史

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 あのYOSHIKIが報道陣を前に、人目もはばからず大粒の涙を流した。

 11月14日に営まれた俳優でアーティストのYOSHI(本名・佐々木嘉純)さんの告別式後の囲み取材でのことだった。

 YOSHIKI自身が手掛けるロックバンドのオーディションでYOSHIさんをボーカルに抜擢したと「スッキリ」(日本テレビ系)内で発表したのは、11月1日のことだ。その4日後、YOSHIさんは同バンドメンバーと会った帰路、乗っていたバイクが右折してきたトラックと衝突し、19歳の若さで急逝してしまう。

 名前が示す通り、YOSHIさんはYOSHIKIの大ファン。YOSHIKIもまた、自身が出演したCM「リアルゴールドX/Y」に流れる新曲のボーカルをYOSHIさんに任せるなど、若い才能にほれ込む「相思相愛」ぶりを見せていた。芸能記者が解説する。

「YOSHIKI氏は告別式で終始、悲痛な表情を浮かべていました。気持ちの整理がついていないような戸惑いも感じられましたし。自身が暮らしている米ロサンゼルスにオーディション合格メンバーを呼び寄せ、関係者への挨拶を済ませて帰国した直後の事故ですからね。最後は『前向きに考えて頑張ります』と自らを奮い立たせるように記者団に語って囲み取材を締めましたが、女手一つで育ててくれた母・千恵子さんを5月13日に亡くしたばかり。立ち直りつつあった矢先のYOSHIさんの急死ですから、メンタルが心配です」

 YOSHIKIには悲しい死別がつきまとっている。高校の同級生で、黎明期の「X JAPAN」メンバーだった仲間が交通事故死。その後、HIDEとTAIJIも亡くなった。

 4年前に放映された「中居正広の金スマスペシャル」(TBS系)内では、YOSHIKIが10歳の時に父親が自死したことを告白。以降、千恵子さんが実家の呉服店を一人で切り盛り。その後はX JAPANやLUNA SEA、GLAYを生んだレーベル「エクスタシー」設立のため、資金援助だけではなく、呉服店の法人格をレコード会社に業務変更して応援してくれた。上皇陛下が天皇即位中に開いた園遊会にも母親同伴で出席するなど、YOSHIKIの母思いはよく知られている。音楽関係者が明かす。

「HIDEやTAIJIが急死した際、励ましていたのは千恵子さんでした。日本のロックシーンの後継者を育てるというYOSHIKI自身にとっても新たなライフステージに立った直後の悲劇に、心の支えとなってきた最愛の母はもういません。YOSHIKIのマネージメント業務は実弟の光樹氏が取り仕切っており、YOSHIKIが天涯孤独になったというわけではないですが、喪失感は大きいでしょう。YOSHIKIは11月11日に、HYDEやSUGIZOなど豪華メンバーをそろえた『THE LAST ROCKSTARS』結成発表で、すでに2回手術した持病の頸椎の椎間板ヘルニア加療のため、封印していたドラムを担当することにも言及している。心身ともに満身創痍なのに、飛ばしすぎではないか。その反動が出なければいいのですが」

「日本版アベンジャーズみたいな感じ」「世界に愛を届けたい」と新バンド結成の意気込みを語ったYOSHIKI。まずは自分自身を存分にいたわってほしい。