毎日入るお風呂ですが、その歴史は意外と知られていません(写真:PHOTO NAOKI/PIXTA)

子どものころ、銭湯に通っていた記憶がある。自宅に内風呂ができてからも、台所でお湯を使うと浴室のお湯が急にぬるくなったりするので、お湯を使うのに気を使った記憶もある。こうしたことを書くと年齢がバレてしまうが、そのくらいに日本のお湯は変化しているのだ。

いまは、水栓レバーをひねればすぐにお湯が出るし、ボタンを押せば勝手にお湯はりや追い焚きもしてくれる。いつでも好きな時にお湯が使え、わが家にはないが、ミストサウナや美容に良いシャワーヘッドまで使えるようになり、自ら発電する給湯機だってある時代になっている。

なぜそんな過去のことを思い出したかと言うと、(一財)ベターリビングが刊行した『ガスとお湯の50年〜時代とともに、暮らしを豊かに〜』を読んだからだ。50年というので、1970年代以降から現在までになるが、それ以前の湯沸かしなどの機器についての変遷もまとめられていて、読み応えのあるものになっている。

江戸時代以前はお湯につかった入浴はまれだった!?

この『ガスとお湯の50年』に掲載されている情報から、日本のお湯の歴史を振り返ってみよう。

お湯を使うのは主に、煮炊きと風呂(入浴)の場面だ。古来より煮炊きの際にはお湯が必要。かまどで薪や木炭などを燃料として、お湯を沸かして煮炊きしていたときは、水汲み、薪の調達、火の調節や始末までかなりの重労働だった。


(イラスト:大橋慶子)

この頃の一般的な庶民の家には台所があって、土間のかまどで煮炊きをしていた。一方、庶民の家に風呂はなく、軒先にたらいを置いて沐浴をしていた。つまり「行水」だ。たまに、共同の銭湯に行っていたが、今のようなたっぷりのお湯につかる入浴ではなかった。

実はお湯につかって入浴するのは、明治・大正時代になってからだという。それ以前は、主にお湯の湯気を使って入浴していた。つまり「蒸し風呂」だ。湯気が逃げないように、出入り口を小さくするなどの工夫をしていたが、衛生上の問題や暗かったことから風紀上の問題もあったという。

とはいえ、江戸時代以前でも、一部の武家や豪農の屋敷では、湯に首までつかる「据(すえ)風呂」があった。関東では「鉄砲風呂」、関西では「五右衛門風呂」と呼ばれる、鉄の部分で火をたいてお湯を沸かす一人用の桶の風呂だ。

明治時代からガスがお湯の熱源になる!

1877(明治10)年頃になると、今の銭湯の原型になる「改良風呂」と呼ばれる風呂ができる。浴槽を板間に沈め、たっぷりのお湯につかって入浴するという、今と同じスタイルに変わったのだ。流し場の天井が高くなり、湯気抜き窓が付くなど、開放的な銭湯になって、衛生面や風紀面も改善されていく。さらに、大正時代には、板張りからタイル張りになるなどの変化も見せた。

一方、煮炊きについては、1900(明治33)年頃から、薪や炭に代わって、ガスが使われるようになる。江戸時代のへっつい(しっくいで固めた壁土のかまど)から薪かまどに変わり、1902(明治35)年に東京ガスから初の国産ガス機器「ガスかまど」が開発された。


左(イラスト:大橋慶子)、右(出所)東京ガスネットワーク ガスミュージアム「ガスかまど」

東京ガスは当時、渋沢栄一が取締役会長を務めていた会社だが、ガスの熱源利用が主流になると見て、一般家庭への炊事用ガスの普及拡大を決めたとのこと。ガスが熱源になることで、薪による煮炊きの重労働からようやく庶民は解放されたのだ。

さらに東京ガスは、1910(明治43)年に、木製浴槽に風呂釜を内蔵し、ガスバーナーを配した「角型瓦斯風呂」、「桶型瓦斯風呂」を発売する。こうして、お湯はガスを熱源として利用されるようになっていく。

昭和になると、「ガスかまど」などが普及していく。土間にしゃがんで煮炊きをしていたものが、板の間に炊事場が移ったことで立って調理をするようになる。ガスの場合は火の粉や灰が舞うこともないからだ。こうして衛生的な炊事場になり、家事のスタイルが大きく変化した。


(イラスト:大橋慶子)

入浴は、銭湯全盛の時代となるが、まだ一部の家庭に限定されていたとはいえ、お湯をガスで沸かす家庭用の風呂釜も登場する。

日本住宅公団による大量供給時代へ

一方戦後になると、深刻な住宅不足が大きな問題となった。住宅を大量供給するために1955(昭和30)年に設立されたのが、日本住宅公団だ。1950年代半ば以降は、高度成長期による都市部への人口集中も進み、大量供給できる大型団地やニュータウンなどが数多くつくられた。

この際、食事のできる台所のプラン(ダイニングキッチン)や内風呂が導入される。これに応じて設備機器の開発が進み、ステンレス流し台、木製浴槽に代わるホーロー浴槽、洋風便器、据置型洗面ユニットなどが採用されるようになる。


(出所)UR都市機構『’ING REPORT 機』より「BF風呂釜とホーロー浴槽」と「据置型洗面ユニット」

内風呂用の当初の風呂釜は、室内の空気を給気して燃焼し、煙突から屋外に排気するもので、給気や排気の不良による事故も起きていた。そのため、屋外から給気して屋外に排気する「バランス型風呂釜(BF式)」が1965(昭和40)年に量産されるようになる。

また、シャワーを浴びる習慣のあるGHQの要望により駐留軍用住宅向けの湯沸器が製造されたことを契機に、お湯を沸かす場所ごとに設置しやすい「小型湯沸器」や貯湯式湯沸器などが国産品として開発されていく。

さて、同書のテーマの50年前、つまり1970年代になると、内風呂が普及する。日本独自のガス機器が進化をしたこと、郊外型の集合住宅が増加したこともあって、住宅の浴室設置率(内風呂化率)は1970年頃には約7割、1970年代半ばには約8割に達したという。

小型湯沸器の開発競争や住宅の近代化の影響もあって、1970年前後には全国で年間300万台以上の小型湯沸器が販売されるようになる。また、ガスコンロは1960年代後半には、全国で年間600万台以上が販売されるようになる。

浴槽も進化する。1964年の東京オリンピックに合わせてホテルが多く建設されたが、工期が短くて済む、壁面・天井・床・浴槽が一体化した「ユニットバス」が開発された。その後ユニットバスは、集合住宅用として普及していく。

さらに1970年代には、シャワー機能がBF風呂釜に付加されたり、屋外設置専用型のガス風呂釜が登場したり、ガス給湯機にAC100Vを使った電装化が進んだりと、さまざまな進化を遂げていく。


左(イラスト:大橋慶子)、右(出所:リンナイ株式会社「シャワー付きBF風呂釜の浴室」)

こうしたなか、優良な住宅部品の開発普及を目的に、ベターリビング(設立当時は財団法人住宅部品開発センター)による、「優良住宅部品認定(BL)制度」が創設される。ガス給湯機ユニットはこの制度の最初の認定品目の1つになる。

1980〜1990年代はお湯の利用が拡大する

1980年代に入ると、お湯を大量に使うようになり、さらに進化をしていく。給湯能力の高い大型機器が開発されるが、集合住宅では省スペース化が求められた。電装技術の導入により、1980年には集合住宅のPS(パイプシャフト)内に設置するコンパクト型給湯機が開発される。


(出所:リンナイ株式会社「最初のPS設置型給湯器」)

また、それまで風呂釜と給湯機は別々に進化してきたが、一体化が図られるようになり、風呂釜に給湯機能を加えた給湯機付き風呂釜へと進化をしていく。こうして、1980年代後半には大型給湯機が年間200万台出荷、風呂給湯機が年間100万台以上出荷されるようになる。

1980年代には、20号や24号などの大型給湯機が一般的になる。さらなる利便性が求められるようになり、「ガス全自動風呂給湯機」が登場する。それ以前は、浴槽のお湯の沸き加減を何度も見に行くといったことをしていたものが、リモコンひとつでお湯はり、追い焚き、自動保温ができるようにと便利になった。

1980年〜1990年代は、お湯の利用方法が拡大した時期でもある。温水式の「床暖房」や「浴室暖房乾燥機」、「食器洗い乾燥機」などさまざまな住宅設備も登場した。一方で、安全面も強化される。「マイコンメーター」(ガスメーターに保安機能を搭載)が普及し、大規模地震を契機に耐震性の高いポリエチレン管への交換なども進んだ。

2000年〜2010年代はお湯を効率的に使う時代に

2000年以降は、省エネ化が進んだ時期で、効率よく給湯する「高効率給湯機」が花盛りとなる。電気を使うヒートポンプ給湯機「エコキュート」が登場すると、ガスを使う潜熱回収型給湯機「エコジョーズ」が対抗する。その後は、ガスエンジンコージェネ「エコウィル」や家庭用燃料電池コージェネ「エネファーム」など、発電する給湯機が登場する。

給湯機だけでなく、浴室の省エネ化も進む。システムバスの断熱化や冷めにくい浴槽、節水シャワーが登場し、水栓の省エネ化による節湯も実現していく。

以上、今回取材に協力いただいた一般財団法人ベターリビング『ガスとお湯の50年』に掲載された情報を抜粋して、お湯の進化の歴史を紹介した。筆者自身もとても勉強になったし、今の便利な生活はお湯が進化したおかげだということがわかった。それを支える多数の技術革新があるのだが、詳しく知りたい場合は、デジタルブックが公開されているので、そちらを見てほしい。

2020年代の今は、地球規模の省エネが求められており、脱炭素やSDGsなどの観点で強化されたり、IT技術によるスマート化が普及したりしていくのだろう。

(山本 久美子 : 住宅ジャーナリスト)