誰にでも起こりうる突然の病。単身世帯が増加する中、孤立に陥る人が増えている(撮影/今井康一)

今年のノーベル経済学賞はベン・バーナンキが受賞した。日本で数少ないバーナンキ門下生の一人が慶應大学商学部元教授の渡部和孝氏(49歳)だ。本誌編集者はノーベル賞の取材のため渡部氏に連絡を入れた。ところが、渡部氏は9月末に大学でのポジションを失ったばかりだった。2019年に脳梗塞で倒れ、今も言語障害に苦しんでいる。

「経済的な不安の中で、この先どう生きていったらいいかわからない」。初めて連絡を取った編集者に、渡部氏はそう吐露した。他に相談できる相手がいないからだ。突然の病によって、誰にでも起きうる孤立と孤独。救いの手はあるのか。

文字がまったく読めない

ハロウィンで飾られたかぼちゃの絵を指さして、渡部和孝は言う。

「あれは何て言うんでしたっけ? あの、そこにある、丸い……」

「かぼちゃのことですか?」と記者が聞くと「そうでした。そんなこともわからなくなっていて」と口ずさみ、うつむいた。

言葉が出てこない。文字を正しく認識できない。脳梗塞の後遺症による失語症だ。第一線の研究者として活躍し、語学も堪能だった渡部にとって、これほどつらいことはない。「えーと、言葉が出てこなくて……」。簡単な言葉を思い出せず、何度も沈黙が流れる。それでも長い時間をかけて記者の質問に答えた。

渡部が病に倒れたのは2019年5月。マンションの管理人と話していたところ、呂律が回らなくなった。歩くことはできたため、タクシーに乗るかのように救急車で搬送された。持っていた本を病院で開くと、まったく文字が読めなくなっていた。

脳梗塞の手術を受けたが、言語障害や注意力障害といった障害が残った。入院直後のまったく字が読めないという状況からは回復し、退院後は出向していた内閣府の経済社会総合研究所で非常勤として働き始めた。しかし、文字を読むスピードが遅く、ひらがなやカタカナを単体で認識できなくなっていた。

役所の担当者や郵便配達員との会話にも苦労する。言われたことをすぐに忘れたり、慣れない場所に一人で行ったりすることも難しい。そのような状況で、研究を続けるのはとても無理だった。結局、休職期間を経て大学は退職。出向していた研究所も契約更新せずに辞職した。

渡部は現在、同大学の障害者雇用で臨時職員として働いている。勤務日は週3日、データ入力の作業だ。時給は1150円。その給与と月8万円ほどの障害者年金が現在の収入だ。

「研究職を失った悲しさはあるのですが、それ以上に、人生が変わってしまって、今後どうやって生きていったらいいのかわからない不安のほうが大きいです。今のような状況で、ただ死んでないだけの状態では希望を持てず、かといって自殺する自信もありません。日々、ぼーっとしたまま、悪いことだけが淡々と起きていくという状態です」


銀行行動と応用マクロ経済学が専門の渡部氏(記者撮影)

渡部は慶応大学経済学部を卒業後、1995年に旧郵政省に入省。研究セクションに勤務し、論文の共著者になったことを契機にプリンストン大学大学院経済学研究科に留学した。帰国後は東北大学などで教鞭を執った。日頃からスポーツクラブで運動し、体調に気をつけた食事を心がけていた。

これまで経済的な不安を感じたことがなかった渡部を今最も悩ませているのが、医療費だ。脳の障害に加え、2009年に大腸などの臓器にポリープが多発する「ポリポーシス」という遺伝性の病気を発症していた。定期的にポリープを切除する手術が必要だが、その費用を払い続けることができるのかどうかが不安だという。

現在は慶応大学の健康保険に加入しているため、1カ月医療費が25000円を超えた部分は保険がカバーしてくれる。しかし月々の保険料は高く、非正規雇用のため働き続けられるかもわからない。

困難な状況を理解してもらえない

渡部は脳梗塞で倒れる6年前、手に力が入らないという症状から「もやもや病」と診断された。もやもや病は、脳の血管が細くなり言語障害や手足のしびれが起こる難病だ。脳梗塞はもやもや病の再発が原因とみられる。現在はリハビリテーション病院でリハビリや言語療法を受け続けているが、その費用も不安の種だ。

「もやもや病は手術で治るものではなく、リハビリでも回復するものではないようです。私が十分に会話できないため、私の困難な状況がリハビリの担当者にうまく伝わらず、やるせなさを感じています。リハビリの費用も重く、精神的にも金銭的にもつらい」

病院に同行してくれるヘルパーに支払う費用もかさむ。病院にすら一人で行けないという情けなさに苛まれる。

頼れる人はいないのか。渡部には同居する78歳の母親がいる。その母親も2年前に一時入院したことをきっかけに介護が必要な状態になった。母親のヘルパーとデイケアサービスの支払いは1カ月で20万円ほどかかる。費用は、年金と貯金を取り崩して賄っている。

これまで結婚したことはない。母親以外には、千葉に住む遠縁の親戚が1人いるだけだ。父親は渡部が1〜2歳のときに母親と離婚。父親の暴力が原因だった。離婚後、母は実家に戻り、母と祖父母の元で渡部は育った。

たった数年で孤立した親子

2017年には祖母が他界した。自宅で祖母の介護をつきっきりでしていた母親は外出しなくなり、足腰が衰えていた。以降、渡部は都内のマンションで母親との2人暮らしとなった。

介護が必要になった母と、障害を抱えることになった渡部。2人の暮らしは、たった数年でがらりと変わった。役所に相談したくても、リハビリ病院で自分の現状を正確に伝えたくても、言語障害のある渡部には言葉を尽くせない。渡部に寄り添い、代弁する者もいない。

「私は運悪く珍しい病を抱えていますが、突然、経済的に苦しくなることは誰にでもあることを知ってほしい。自分の現状を少しでも周囲に知ってもらい、何か助けてもらうことができたら……」

インタビューに応じたのはそうした思いからだ。

渡部のように突然病で倒れ、頼れる人がいない孤立状態は、いつ誰にでも起こり得る。60歳以上のデータではあるが、国際比較で日本は家族以外に頼れる人が少ない。2020年の内閣府の調査では、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの4カ国のうち、同居家族以外に頼れる人として友人や近所の人を挙げた割合は日本が最も低かった。


さらに未婚率が上昇している。国勢調査によると、2020年の50歳時の未婚率は男性28.2%、女性17.8%と過去最高に達した。


未婚化で世帯規模が縮小すれば、家族以外に頼ることが難しい社会では孤立する人がさらに増えるだろう。誰に助けを求めればいいのか。死の恐怖と生きる恐怖の間で渡部は一人、揺れている。

「元気にスポーツクラブに通っていたのが、今では夢のようです。今は自炊ができないため体調を考えた食事もできず、運動もしておらず、長くは生きていけないだろうと思います。いつ起きるかわからない死への恐怖が強くあります。ですが、長く生きてしまったら確実に金銭的に立ちゆかなくなる。生きるのも怖いんです」

11月21日発売の『週刊東洋経済』は「1億総孤独社会」を特集。子どもから高齢者まで身近な人を襲う孤独と孤立の闇に迫ります。

(井艸 恵美 : 東洋経済 記者)