「THE ANSWER」のインタビューに応じた久保竜彦【写真:荒川祐史】

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ドイツ大会で落選したドラゴンの実体験、今大会で涙を呑んだ選手にエール

 日本サッカー協会(JFA)は1日、ワールドカップ(W杯)カタール大会に臨む日本代表メンバーを発表し、26人が決まった。一方で大迫勇也、古橋亨梧、原口元気ら、発表前に有力視された選手や当落線と言われた選手が落選。4年に一度しかない舞台を目指し、あとわずかで夢を断たれた選手の心情とは――。2006年ドイツ大会、その当事者となった元日本代表FW久保竜彦が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、今だから明かせる当時のリアルな実体験を語った。

 当時のジーコ監督が「マキ」と最後に巻誠一郎の名前を読み上げ、サプライズ選出に「おお〜」とどよめきが上がった瞬間、落選が決まったのが久保だった。日本人離れした身体能力と強烈な左足に誰もがエースとして本大会で躍動する夢を見たが、度重なる怪我でコンディションが上がらず、涙を呑んだ。落選した日の夜にあったエピソードを明かし、今回落選となった選手へドラゴン流の無骨なエールも送った。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

 ◇ ◇ ◇

 もう、16年前になるんやね。

 あの日は山形に治療に行っとった。当時、所属してた横浜F・マリノスのリーグ戦の次の日が発表で、新幹線に乗ってた。そうしたら、チームの人が電話をくれて。「落ちたわ」「ああ、そうなん」って。とりあえず、クラブハウスに来てくれと言われたんかな。

 正直、選ばれるか落ちるか、半々と思ってた。腰も膝も痛くて、あの年は本当に状態が良くなかったから。

 だましだましやりながら、やってきた。注射もしたし、断食もしたし、治療もやったし。一時期は良くなっても、それが続かんくて。試合があると、またおかしくなる。痛み止めを打たんと、試合もできん状態やったから。

 お酒もやめとった。1年半くらいかな。W杯に少しでも体を良い感じにしたいと思って準備してたから。だから、落ちた時はやっとゆっくり治せるのかというのと、でも子供の頃からの夢やったW杯に出られないというのと、両方の気持ちやったかな。

 でも、出たいのは出たかったよね。

もう覚えてない酒におぼれた夜と、忘れられない「かあちゃん」の涙

 その夜、酒を飲んだんよ。

 岡田さん(岡田武史監督)から「1日だけ休みやるわ」と。大さん(仲の良かった同僚の奥大介さん)がおったけど、大さんもW杯を狙ってて落ちたから、飲んだら大変なことになるなと。それで、嫁さんと家で飲めるだけ飲もうかと思ったら、広島から先輩が来てくれて、横浜の仲の良い知り合いも来てくれて。

 口には出さんけど、気を遣ってくれてたと思う。「やっぱり落ちたか」なんて、ああだこうだ言って。で、しこたま飲んだ。そうしたら次の日、二日酔いがきつくて。休みは1日だけのつもりが「すいません、起きれんかったです」と言ったら、岡田さんが「(休みは)今日までだぞ」と許してくれた。

 あれは、やけ酒やったんかな。もう、よう覚えとらんけど。

 逆に、今でも覚えとるんは、かあちゃんのこと。

 発表の時に俺のかあちゃんが、高校の先生と一緒にテレビに映されてた。それがニュースに流れて、なんでテレビに出とるんやろと思って見よったら、かあちゃんが泣いてた。しょうもないことして、ずっと迷惑かけたけど、泣いてる顔を見たことなかったから。

 ちゃんとしなきゃいけないなと。何かあるごとにあの映像を思い出すよね。なんで(当落線なのに)テレビなんか出たんやろって思ったけど、脳裏に焼き付いてる。だから、人に優しくじゃないけど、もう泣かせるようなことしちゃいかんとは思ったよね。

 ジーコ監督には期待されとったと思う。

 代表で自分の部屋に何度も呼ばれて、手術しろ、手術しろってうるさくて。自分が手術をやった病院も教えてくれたけど、自力で治したいと思った。でも、それだけ気にしてくれた。サッカーもめっちゃ上手かったし、練習も楽しかった。

 小さい頃から憧れの人やった。自分も良くなりたい、上手くなりたいというのもあったから、ジーコは引き出してくれた。シュートも違うやり方を教えてくれたし、ジーコじゃなかったら聞けなかった。あともう1か月、W杯で一緒にやってたら自分にプラスになることあったんやろな。

 大会は見た。仲良い選手がいっぱいいたし。初戦のオーストラリア戦であんなこと起きるんだなと思った(1-0の後半39分から3失点で逆転負け)。ああいうところでミス起きるんや、それだけ世界って凄いとこなんやって思った。

落選した選手へ、ドラゴン流のエール「落ちりゃ、それも面白いと思う」

 今回も当落線で落選する選手はおったんよね。

 俺なんか、ただのおっさんだから言えることはないけど、引きずるのはダメ。そんなんは良い選手じゃない。そんなヤツはいないと思うけど。これで引きずるようなヤツは、ここまでのところ(当落線)にそもそもかからないからね。

 切り替えるしかない。じゃないと、これからチームで生き残っていけんでしょ。そんなんは選手もきっとわかってると思う。

 でも、落ちりゃ、それも面白いと思う。ずっと上っていくばかりじゃ面白くないでしょ、人生。落ちたら落ちたで、どういう気持ちになるか、その時に周りに誰がいてくれるか、なかなか見られないから。あとはまた上がればいい。浮き沈みがある方が、楽しいでしょ。

 なかなか落ちることってないもんね、人生で。だって、自分の力では落ちれんもん。

 それを経験できるのも面白いんじゃないですか。

(インタビューは前後編 前編は「『俺の結婚の保証人やけえ』『試合の鬼よ』 久保竜彦が語る代表監督・森保一という男」を掲載)

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、カフェ運営や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)