久保竜彦が語るサッカー日本代表・森保一監督とは【写真:Getty Images】

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「タツ」と呼ばれ、可愛がられたドラゴンが語る「タバコをやめさせてくれたのも森保さん」

 日本サッカー協会(JFA)は1日、ワールドカップ(W杯)カタール大会に臨む日本代表メンバー26人を発表した。名前を読み上げたのは、チームを率いる森保一監督。本大会では8強以上を目指し、タクトを振る。そんな指揮官について、現役時代にサンフレッチェ広島で7年間、共にプレーした元日本代表FW久保竜彦が「THE ANSWER」の取材に応じ、印象を語った。「タツ」と呼ばれ、可愛がられたドラゴンが知る森保監督とは――。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 森保さんは勝つために、自分が良くなるために、なんでもする。そういう人やった。

 早寝早起きとか、何を食うとか、練習遅れないとか、全部の積み重ね。何かが凄いじゃなく、当たり前のことを全部をやる。今も覚えとるんは、練習中に紅白戦かなんかで足首を骨折した時。遅れ気味にやられて、見てる方からしたら「何やっとるんや」ってなりそうやったけど、「大丈夫」って。できる練習を続けてた。

 何があってもチームのことを考えて、勝つために、チームが良い方向に行くために動く人やった。それは、一緒にやったことある選手はみんな知ってる。だから、森保さんのことを悪く言う人を知らない。

 選手の時から“監督”だったから。(チームの)監督の話はわからんけど、自分は「森保さんの話を聞いておけばええや」みたいな感じ。雰囲気と行動と、そういうのを見て感じるものがある人。選手の頃から、そうやったよね。

 高校を出て広島に入ったけど、寮のメシがまずくてね。近くに住んでた森保さんの家でようメシを食わしてもらった。代表でバリバリやってた人。代表選手は怖いんかなって思ってたら、そんなことなくて、グラウンドを離れれば優しくて、気にかけてくれる。

 でも、ピッチに立つと鬼になるんよ。風間(八宏)さんも厳しかったけど、ちょっと違う厳しさがある。試合の鬼よね、ほんまに。

 怒られたのは、しょっちゅう。高卒で何もわかってなかった。本当なら、そんなヤツはめんどくさくて、話もしない。ダメならクビを切られる世界だから。でも、目をかけてくれて、声をかけてくれて。根気よく言い続けてくれた。「練習で手を抜くな」って。私生活のこともよく言われた。

 タバコをやめさせてくれたのも森保さん。俺の結婚の時も、保証人の名前も書いてくれたけえ、離婚もできんよね。

「ああいう人になりたかった。見た中で、一番かっこええ人よ」

 今は温厚とか言われとるみたいやけど、表立ってはそうなるんじゃないかね。めんどくさいことに時間とられるよりはいいから。それは装ってるだけ。

 本当は激しいし、勝つためにはなんでも犠牲にする人。それは監督になっても変わっとらんと思う。采配のことは俺もチームに入っとるわけじゃないし、なかにしかわからんことがあるから何も言えん。テレビで試合を観とっても、選手の時から顔が変わってないから。何ひとつ、変わってない。

 ああ、闘うんだなと。もともと、無名のところから這い上がってこられた人。自分も無名だったから、本当に凄いと思う。

 今は連絡を取ることはないけど、ばったり会うことはある。千葉のJFAの施設に行ったら「森保さん、いますか?」って挨拶する。電話はせんね。電話しても話すことないから。W杯も頑張ってほしい。良い顔が見たい。強い相手だし、その顔が最高の形で見られたらうれしいね。

 それで、きっと自分も元気になる。自分もやらないかんと。本当に尊敬しとったから、結婚の保証人もお願いした。ああいう人になりたかった。

 見た中で、一番かっこええ人よ。

(インタビューは前後編 後編は「W杯落選の哀情『酒に溺れた夜とかあちゃんの涙』 当事者・久保竜彦が明かす16年前の記憶」を掲載)

■久保 竜彦 / Tatsuhiko Kubo

 1976年6月18日生まれ。福岡・筑前町。筑陽学園高を経て、1995年に広島加入。森保監督(当時選手)とは7シーズンプレーした。2003年に横浜F・マリノスに移籍し、リーグ連覇に貢献。1998年に日本代表デビュー。ジーコジャパンとなった2003年以降は日本人離れした身体能力と強烈な左足でエースとして活躍したが、腰や膝など度重なる怪我により、2006年のW杯ドイツ大会は落選。以降、横浜FC、広島などを渡り歩き、2014年に引退。J1はリーグ戦通算276試合94得点。日本代表は国際Aマッチ通算32試合11得点。引退後は山口・光市に移り住み、カフェ運営や塩作りなど、異色のセカンドキャリアを歩む。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)