女医の世界には「3分の1の法則」というものが存在する。

「生涯未婚」「結婚した後、離婚」「結婚生活を全うする」それぞれの割合が、ほぼ3分の1ずつとなるというものだ。

彼女たちを取り巻く一種異様な環境は、独特の生活スタイルを生み出し、オリジナリティーに富んだ生き方を肯定する。

それぞれの女医は、どんな1/3の結末をむかえるのか…。

▶前回:イイ男だと思ったのに、200万円の詐欺にあってしまった…。ダメ男に惹かれる女の顛末




Vol.5 婦人科・繭香(34歳)の場合【前編】


「あれ?そんなコーヒー飲むんだ…」

ドリンクホルダーに入ったコンビニのカップを見て、繭香が言った。

義幸はコーヒーにこだわりがあり、自分で淹れたものしか飲まない。外ではスタバのドリップコーヒーだけと決まっている…。

「えっ?あ、うん。最近はコンビニのコーヒーも美味しいからね。時間がないときとか、たまに買うんだ」

「へえ〜、そうなんだ」

「そんなことより、ほら。ジムはどう?どんな感じ?」

義幸が慌てた様子で話題を変える。

「綺麗だしサウナもついているし、すごくいいよ。義幸もこっちに変えたら?」

繭香は西新橋にあるスポーツジムに通っている。

義幸は築地の病院に内科医として勤務しており、麻布十番にある自宅への帰りがけにタイミングが合い、愛車で迎えに来てもらったのだ。

「24時間やってるのは魅力だけどね。俺は専属のトレーナーをつけて、みっちり鍛えたいんだよな。緩いトレーニングはちょっと…」

「いや、緩いかどうかは自分次第でしょう。私は自分で限界まで追い込んでるし」

義幸の言葉に少しカチンときて、思わず言い返してしまう。

そこで会話が途切れ、車内に嫌な空気が流れた。

― まただ…。すぐこうなっちゃう。

最近、2人でいると険悪な雰囲気になることが多い。


義幸とは、結婚して3年目。

2人とも医者なので、仕事への理解がありパートナーとしてのメリットは大きい。

ただ、お互いに医師特有のプライドを持ち合わせているため、会話をしていてもつい張り合って、気に障る発言をしてしまう。

「そういえば、クリニックのほうは大丈夫なのか?口コミサイトの件は…」

義幸がハンドルを握りながら尋ねる。

「ああ、あれね…」

繭香は、地方国立医大附属病院での後期研修が終了し、婦人科の専門医の資格を取得した後に、父親の経営する虎ノ門のクリニックで働き始めた。

クリニックでは、母親も皮膚科医として働いているのだが、最近ネット上の口コミサイトでネガティブな書き込みをされている。

内容としては、「医者の態度が悪い」「清潔感がない」などの漠然としたものである。




「まあ、待ち時間が長かっただけで、悪評を流す人もいるみたいだから。これ以上酷くなるようだったら、何か対策を取らないといけないけど…」

繭香は、会話しながらも別のことを考えていた。

義幸の女性関係についてだ。

― 助手席のシートが、いつもよりなんとなく後ろに下がっている気がするんだけどな。さっきのコーヒーもだけど、やっぱりおかしい…。



数日後、繭香は友人の結衣を食事に誘った。

恵比寿にある『ta.bacco(タバッコ)』で、イタリアンを食べながら義幸への不満を漏らす。




「まあ…、義幸さん、カッコいいからねぇ」

ある程度は仕方ないと言ったふうに、結衣がなだめる。

結衣は都内でアパレルショップを数店舗経営していて、繭香とも生活水準が近く価値観も合うので、気がねなく話せる友人のひとり。

義幸とも面識があり、相談にのってもらうこともある。

「背が高し、体を鍛えているだけあってガッシリしているから、韓流スターみたいだよね!」

「確かに、ヒョンビンに似てるとは言われてるけど…。実際に浮気してたら許せないなぁ」

職場の看護師たちからもチヤホヤされているであろうことは想像にたやすい。

「なに。じゃあもし本当に浮気してたら、別れるの?」

「私はそのつもりだけど…」

そこで繭香が口ごもると、結衣が思いを汲み取るように言う。

「ご両親のこと?」

「うん…」

クリニックの経営者である父親は、義幸にもいずれ経営に加わってもらいたいと考えている。

分院展開などの規模の拡大を計画しており、その一翼を担ってほしいとの思いがあることも繭香は知っている。

母親も、義幸のことをとても気に入っている。結婚を告げたときは、これで安泰だと2人とも手放しで喜んでいた。

離婚するとなると、そんな2人の思いを踏みにじることになるので、やはり気が重い。

「同業者って大変だよね。しかも医者ってだいたい親も医者だから建前もあるでしょ?それに比べて、うちは楽でいいよ」

結衣のところは、旦那が主夫となって家事をこなし、彼女の収入で家庭を支えている。

「よくパワーバランスが保てるよね。気まずくなったりしないの?」

「全然!だってお互いに好きなことをやってるんだから。私は仕事が好きだから外で働いて、夫は料理とか掃除が好きだから家のなかで働いてもらってるんだよ」

「補い合ってるってことね」

「そう!自分の苦手なことを相手がやってくれてるんだから、むしろ感謝だね」

義幸と、つい張り合って関係がギクシャクしてしまう繭香から見ると、結衣夫妻の関係性は羨ましくも感じる。

しかし、医師同士の結婚となるとそうはいかない。

特に、子どもがいない場合は、夫婦のどちらにも仕事量をセーブするという発想はなく、そのことが原因ですれ違いが起きるのだ…。


食事を終えて店を出たところで、繭香はタクシーを拾い麻布十番にある自宅へと向かう。

別れ際に結衣からかけられた言葉を思い出す。

「もし本当に離婚することになったら、いい弁護士を紹介するから心配しないで!」

冗談とも本気ともつかないエールだが、そんな言葉にいつも気分を穏やかにさせてもらえる。

明治通りを走行中、右車線からサッと追い抜いていく車があった。

― あれ…?今の、義幸の車じゃない?

青いスポーツカーはやはり目立つ。すぐに義幸のものとは判別できなかったが、しばらく進むと左にウインカーを出し、道路脇に停車した。

「あ、運転手さん。そこで少し停まってもらってもいいですか?」

止まった車の5ⅿほど先に、タクシーが停車したので、振り返って確認すると、やはり運転席に座っているのは義幸だった。

そして、助手席には女性が座っている。




助手席のドアが開き、女性が外に出る。スラッとしていて背の高い、モデルのようなスタイルだった。

― あの人、誰だっけ…。

繭香は目を凝らして、記憶を遡る。すると、ひとりの人物が頭に浮かんだ。

望月あゆみ。

半年ほど前まで、繭香の勤めるクリニックで受付をしていた女だ。



数日後、繭香は麹町にある法律事務所を訪ねていた。

― まさか、本当に弁護士を紹介してもらうことになるとは思わなかったな。しかも、こんなに早く…。

タクシーから義幸を目撃したあと、結衣に連絡すると、すぐに弁護士の連絡先を教えてくれた。

― 義幸の浮気相手は、望月あゆみで間違いない…。

繭香には、そう確信する根拠があった。

半年前、母親が担当している皮膚科に、ある男性芸能人が初診でやって来た。その男性に、望月あゆみのほうから連絡先を渡し、関係を持っていることが別の受付からの密告で発覚した。

また、日ごろから遅刻が多く、職務怠慢も見られたため、病院側から退職勧奨をおこなった。

― 彼女、不倫に走ってもおかしくはないタイプだわ…。

義幸は、たまにクリニックに出入りする機会もあるため、そこで接触があったと考えられる。

浮気相手が望月あゆみだと確信したのは、彼女の“身長”だ。165cmの繭香よりもさらに高く170cmほどある。義幸の車のシートが下がっていた件も合点がいく。

― 絶対に許さない…。

義幸の不貞を確信し、プライドを傷つけられた繭香は、離婚を決意した。

ドアが開き、1人の男が入ってくる。弁護士の牧田だ。

「すみません、わざわざお越しいただいて」

結衣の情報では、牧田は40代前半で、かなりやり手だという。しかし、ずんぐりむっくりとした体型と穏やかな口調からは、能力の高さは感じられない。

「離婚のご相談だと伺っていますが…」

「一応、スマホで写真を撮ったんですけど、こういうのって不倫の証拠になりますか?」

繭香がタクシーから2人を見かけた際、とっさに車内から撮影していたスマートフォンの画像を差し出す。




「これでは不十分ですね。肉体関係があったと推測できるものでないといけません。例えば、ホテルなどに出入りしている写真とか、LINEのやり取りとか…」

「そうですか…」

「よかったら、信頼できる調査会社などをご紹介することもできますが…」

繭香は、不倫の全容解明に乗り出すことを決めた。

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