ツッコミ担当の藤田憲右さん(左)、ボケ担当の大村朋宏さん(右)(筆者撮影)

今年結成25周年を迎えた漫才コンビ「トータルテンボス」。「M-1グランプリ2007」で準優勝後も腕を磨き、どの劇場でも確実に笑いを取り続けるネタの力で芸人仲間からも一目置かれる存在となりました。ここに至るまでの葛藤。新型コロナ禍でのリアル。そして、見据えるゴールについて思いを吐露しました。

藤田:もう47歳になる年ですからね。いろいろなことがありました。そして、こんなことを自分から言うのもナニですけど、今が一番コンビの状況が良いと思っています。

一つの大きな節目となったのは2007年でした。僕らの頃は「M-1グランプリ」は結成10年までしか出られなかったので、準優勝という形で終えたその年で「M-1」にはもう出られない。

「M-1」を高校野球で言うところの甲子園だとしたら、もう高校を卒業してしまったのでそこを目指すことはできない。ここでまず目標を失ったんです。それでも漫才をやった方がいいのか、テレビへのシフトを目指した方がいいのか。揺れまくってました。

高校野球が終わっても、そこからプロ野球、さらにはメジャーリーグみたいな世界もその上にはあるわけです。本来、そこを目指すしかないんですけど、なかなかうまく進めないというか。

いくら「もう『M-1』はないけれど、何より、お客さんのためにやるんだ」と頭で思っても、本当に正直な話、心の奥の思いと合致していないから板についていないというか……。

「M-1」ロスとの葛藤

大村:実際、揺れてたし、その頃は本当によくケンカもしましたね。

藤田:ネタの全国ツアーをするにしても、当時は「それは大村が勝手にやってるだけだろう!」と強く当たったりもしてました。

大村:当然、僕にも「M-1」ロス的な思いはありましたけど、進むしかないですからね。若手の漫才から中堅、ベテランとその時に合った漫才をやっていかないといけない。ただ、それは一朝一夕にできることではないから、もう「M-1」はないけれど、ツアーをやったり、イベントをやったりして積み重ねていくしかない。それを貫いてきたつもりです。

藤田:言葉で聞くと、そりゃそうだと思うんです。でも、動けなかったところもありました。でも、大村に背中を押されて、いろいろな思いはあるけど、やってきました。

どうでしょうかね、やっと数年前くらいからかな、40歳を超えたあたりから「これは自分のためでもなく、お客さんのためのものなんだ」と心から言えるようになりました。

大村:甲子園という例えを引き継ぐとすると、僕らはもともとエリート集団の大阪桐蔭ではないですからね。地元の友だちが楽しくやっていた金足農業みたいなもの。

ただ、厳しい世界で戦っていくうちに原点から少しずつ離れていった。別にサボるとか、やる気がないということではなく、少しずつ“緩める”という要素を入れていったんです。それが二人の本来の関係性である“楽しむ”という部分を出してくれたのかなと。

それが今50万人ほど登録していただいているYouTubeチャンネルにも表れているのかもしれないし、少しずつここ数年で関係性が良くなってきた。そんな感じなんです。

どこまでも二人で行く

藤田:それこそ、こんなことを言うのはアレですけど(笑)、大村だからここまでやってこられたんだと思います。

もちろん解散することもあるし、コンビの形は残しているけど、実質コンビとしては活動していない。そんなコンビの形もあります。

コンビというのは自分が売れるための踏み台というか、スペースシャトルでいう燃料ロケットみたいな考え方もあるのかもしれません。ある程度、世に出たら切り離すというか。

だけど、僕らはそうじゃない。二人で飛んでいくからこそ月まで行ける。言葉にすると薄っぺらくなるかもしれませんけど、この年齢になって本当に思いますね。

大村:藤田はね、いい意味でバカと言うか、計算がないんですよ。ルックスの部分だけで見ても、すごい勢いで老けてるんですよ。秋の紅葉の白髪バージョンみたいに(笑)、どんどん白くなってます。

そして、人前にこんな出る仕事をしているのに、そこを隠さない。そのままであっけらかんと暮らしてるんです。それを見ていると、コイツ、愛くるしいなぁと思うんですよね。表に出る人間としては失格なのかもしれませんけど、本当に面白いヤツだなぁと。

そんなヤツが僕らのYouTubeチャンネルでこれでもかとイタズラを仕掛けられている。その構図が年々面白くなっているとも思いますしね。

これは完全にプライベートな話ですけど、月一回のペースくらいですかね。地元の友だちと20人くらいでゴルフに行ってるんです。そこでは僕らが芸人だとか一切関係なく、普通に同級生として集まりに参加している。そんな時間を持てること、そこで楽しいと思えること。若い頃はいろいろな思いもありましたけど、今となっては本当に貴重な時間だなと思うようになりましたね。

白髪に関してモノ申す

藤田:……あのですね、一つだけいいですか。一応、白髪に関しては考えがありまして。近藤サトさんの記事を見たら“抗わない美学”ということをおっしゃっていて、すごい言葉だなと思ったんです。なので、今の僕は近藤サトさんの言葉に支配されているんです。

大村:支配下から出ろよ。あれは近藤サトさんだから抗わなくていいんだよ。お前は抗ってよ。

藤田:白髪もそうですけど、このまま歳を取っていって、もっとじいさんになった時に本当にコンビとして面白くなるのかなと。なので、僕は早く50代、60代になりたいなと思っているんです。

見た目ももっと崩れてると思うんですけど、そのオッサン同士が寝起きドッキリを仕掛けたり。仕掛ける方も、仕掛けられる方も面白いだろうなと。

「いい歳して、何やってんだよ」。そう言われると思うんですけど、それは誉め言葉だと思っているので、なんとかその言葉をいただけるまでは頑張りたいなと思っています。

ただね、同情されるとまた話が違ってくるんで。その一歩手前が一番面白いと思うんですけどね。オッサンがワーワーやってるけど、痛々しくはない。なんとかそこまでコンビでできていたら、より一層、コンビの意味がにじみ出てくるんだろうなと思います。

イタズラで人生の幕を下ろしたい?

大村:ずっと僕の中に残っている光景があるんです。工事現場で見たシーンなんですけど60代くらいのオジサンが弁当を食べてて、もう一人、そっちも60代のオジサンがショベルカーに乗っていて、ショベル部分を操縦して弁当のオジサンのヘルメットをコツンとやったんです。

弁当のオジサンは「何やってんだ!」と怒って運転してたオジサンを追いかけまわし、運転のオジサンは逃げ回る。そんな「トムとジェリー」みたいな構図をコンビでずっと続けられたらなと。

……あと、この前、藤田が「大村のイタズラで人生の幕を下ろしたい」と言っていたので、なんとかそれはかなえてやりたいなと。

藤田:言ってねぇよ! 誰がイタズラで幕を閉じるんだよ。そんなもん、純粋に事故じゃねぇか! 安らかに家族に看取られて旅立ちたいよ。

大村:ま、こういう場なんで藤田も強がってますけど、何とかそんなゴールが迎えられるように頑張っていきたいと思っています。

藤田:ぶっこみ方、ハンパねェな。

■トータルテンボス

1975年4月3日生まれの大村朋宏と1975年12月30日生まれの藤田憲右が1997年にコンビ結成。静岡の小中学校の同級生で、ともにNSC東京校3期生。2004年、2006年、2007年と「M-1グランプリ」で決勝に進出し、07年は準優勝。自らの草野球チームも持つ野球好き芸人としても知られる。25周年全国漫才ツアー「ちりぬるを」を開催。10月1日の沼津ラクーンよしもと劇場公演からスタートし、ファイナルのルミネtheよしもと公演まで全国10カ所で行う。

(中西 正男 : 芸能記者)