■今度は別の男性と金銭トラブルか

小室圭さんの母親・佳代さんにまた金銭トラブル発覚……か。

週刊文春(9/22日号)によれば、晩夏のある日、佳代さんに「1600万円返せ」と迫られた80歳前後の男性が、思い余って警察に相談に行ったというのだ。

ニューヨークの街中を歩く小室眞子さん=2022年6月7日

単なる噂ではないようだ。なぜならその警察が神奈川県警港北警察署と具体的に明示されているからだ。晩夏というからつい先頃のことであるらしい。

警察庁関係者がこう話している。

「実は、この男性と佳代さんの間で深刻な金銭トラブルが発生しているのです。次代の天皇の姉・眞子さんの義母が関係する事案ですから、一警察署だけで処理することはできない。情報は神奈川県警を通じ、速やかに全国警察のトップである警察庁の上層部にも共有されました」

皇室の縁戚につながるということは大変なことなんだなと、読みながらため息をついてしまった。

いったい何事なのか。読み進めると、この男性は、佳代さん側が借りたのではなく贈与されたものだと大騒ぎになった元婚約者との400万円をめぐる金銭トラブルの時、唯一といってもいいだろう、佳代さんの味方になり、メディアに対して佳代さん擁護論をコメントしていた、彫金師のA氏だというのである。

■「パパがほしい」と泣く圭さんのために…

以前、ここでも触れたが、彼は、元婚約者より前に佳代さんが付き合っていた年上の男性で、最初は佳代さんが熱を上げていたという。

夫が38歳という若さで自死してしまったため、当時10歳だった息子の圭さんはショックのあまり学校を休んだそうだ。その後、父方の親族と遺産相続をめぐって断絶状態になり、シングルマザーとして息子を育てるのは大変だったであろう。

夫を失って以降、彼女は周囲に、息子が夕方になると「パパがほしい」といって泣くため、息子のパパを探さなければならないと語っていたそうだ。

週刊文春によれば、当時の彼女には複数のパパ候補がいて、中には4億円の資産を有する男性もいたと、彼女が漏らしていたという。

彼女が一番熱を上げていたのは、近所に住んでいる60歳近いA氏だったようだ。佳代さんは、A氏と年が近いと思われる絵画教室の先生にこう尋(たず)ねたそうだ。

「その人、私の手を握ってきたんですけど、そのくらいの年代の男性でも性欲ってあるんですか」

佳代さんは、A氏が働けなくなったら、自分が養わなければならないため、20も年が離れていることを気にしていたようだ。

■「いつまでもここにいないで。出ていって!」

だが、夫が亡くなってから半年後の2002年秋には、音楽発表会に2人で手をつないで参加していたという。

そして、「母子の巣に彼を招き入れる」(週刊文春)。だが、A氏の仕事がうまくいかず、収入が減ったため、「私が面倒を見ている」と知人に話していたようだ。

A氏が前立腺の手術をした時は、同意書の書類に彼女が署名し、病院まで付き添い、かいがいしく世話をしていたそうだ。

佳代さんは、A氏の知人の女性が家に立ち寄っても、「あなた誰なんですか!」と怒鳴り散らしたという。

当然だが、佳代さんもA氏と結婚したいと思うようになっていった。だが、その夢を壊したのは、息子の圭さんだったようだ。

圭さんが、「結婚はやめてほしい。いつまでもここにいないで。出ていって!」と嗚咽混じりにA氏に懇願したというのである。

週刊文春は、多感な時期で、母親をA氏に奪われるとでも思ったのではないかと推測している。

やがて息子がインターナショナルスクールで高校生になるころ、同じマンションに住む、当時50代後半の外資系商社マン・X氏と付き合い始め、2010年9月に2人は婚約するのである。

だが、それも2年余りで破局を迎え、その後、X氏が週刊誌に佳代さんとの金銭トラブルの件を話し、大きな問題に発展したことはよく知られている。

■“依存”は一転して“攻撃”に変わった

先にも触れたように、金銭トラブル問題でメディアに追い回され、プライバシーまで覗(のぞ)かれてしまう佳代さんの心の支えになっていたのが、A氏だった。

一度は離れた2人だったが、やがて、A氏が佳代さんの自宅から出てくるところが目撃される。彼女の左手薬指に指輪がはめられているのを女性週刊誌が報じた。

しかし、こうした蜜月の日々も長くは続かず、A氏への“依存”は一転して“攻撃”に変わったというのである。

警察関係者がこう話している。

「仲違いがあったようで、彼女は『だったら今まで私が貢いだお金を返して』と主張し、過去、交際期間中にA氏のために使った生活費などに慰謝料を加えた金額を要求したというのです」

その金額が1600万円だというのだ。あまりの彼女の剣幕に驚いたA氏が恐怖を覚え、県警に相談に行ったようだ。

だが、交際していたのは20年近く前のことで、民事上も時効が成立し、A氏が払う必要はないはずである。

いくら佳代さんの剣幕がすごいといっても、いい大人が、県警に駆け込むことなど考えにくい。私は、この話の裏に隠された何かがあると思えてならないのだが。

A氏は週刊文春の取材には無言を貫いたというが、周囲にはこう話しているという。

「今はこれ以上事を荒立てようという気はない。でも、今後また向こうが私に攻撃を加えるようなことがあれば、何らかのアクションを取るかもしれない」

単なる金銭をめぐる「痴話げんか」ではないようだ。金銭的に追い詰められた佳代さんが、何らかの非常手段をとる覚悟を決めたのだろうか。

■眞子さん、圭さん結婚前には“不穏な情報”も

追い詰められたといえば、佳代さんは、ニューヨークにいる息子の妻である眞子さんからも追い詰められていると、女性自身(9/27日号)が報じている。

写真=iStock.com/TomasSereda
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TomasSereda

同誌によれば、これまで「実母の紀子さまよりも佳代さんを慕っている」と報じられてきたが、実はそうではなく、現在の嫁姑関係は完全に冷え切っているというのだ。

元々、小室圭さんは母親も呼んで一緒に暮らすことを考えていたようだが、眞子さんのほうが猛烈に反対したというのである。

結局、小室さんの司法試験不合格によって、佳代さんの渡米は頓挫してしまったが、なぜ、眞子さんが姑と暮らすことを嫌がっているのだろう。

女性自身で秋篠宮家に近い人物はこう語っている。

「秋篠宮家を小室圭さんと佳代さんが訪問し、“両家会談”が行われたのは、’18年6月のことでした。明らかになった金銭トラブルについて対応策を話し合うためでしたが、実はこれ以降は、佳代さんと眞子さんが直接対面したという情報はありません」

この人物は2020年12月ごろに“不穏な情報”を耳にしたという。

「佳代さんとしては、アメリカ留学中の息子のために、自分が何か行動しなければと考えたのでしょうか。宮内庁を通じて秋篠宮家に強く働きかけたと聞いています。

内容は“婚約内定会見までしたのだから、結婚を認めてほしい。もしそれができないのであれば、それなりの対応をしてほしい”というものだったそうです。破談にするのであれば補償を、ともとれますが、佳代さんのそうした言動に眞子さんも困惑したそうです」

■「佳代さんの米国移住に拒絶反応」は本当か?

また宮内庁関係者も、「そのころ、私も佳代さんが、秋篠宮家に金銭的な協力を依頼したという話は聞いていました」と語っている。

さらに、佳代さんが21年6月、『週刊文春WOMAN 2021夏号』の取材に答えてしまったことも、眞子さんの不信感を買ったという。

「結婚後も、眞子さんは佳代さんに会おうとしないまま、渡米してしまいました」(秋篠宮家に近い人物)

会わなかっただけではなく、「この1年半ほどは眞子さんから佳代さんへ連絡することもなくなっている」(女性自身)という。

「取り残された佳代さんは小室さんに、さかんに日本での生活についての不安を訴えているそうですが、眞子さんは佳代さんの米国移住には、拒絶反応を強めていると聞いています」(NY在住ジャーナリスト)

私は、この見方に多少の違和感を覚える。これまで多くの週刊誌で、眞子さんと佳代さんの仲は、実母の紀子さんよりいいと報じられてきた。

■何事か起きそうな不穏な空気をはらんでいるよう

もちろん、嫁姑の関係は微妙である。ちょっとした言葉の綾(あや)で仲違いすることはよくある。だが、1年半近くの間、眞子さんが佳代さんと連絡を取っていないというのは、にわかには信じがたい。この裏付けを、女性自身はどのようにして取ったのだろう。

もし、この話が事実だとすれば、小室眞子さんは、10月末の夫の司法試験の合否を待ちながら、実母とも義母とも話ができず、孤独感を深めているのだろう。

一方、実母の秋篠宮紀子さんも、56歳の誕生日に記者団の質問に答えて、約6000字にも及ぶ「ご回答」を出した。その中で、長女と会えない日々をこう綴(つづ)っている。

「今は直接会うことが叶いませんが、庭の花の世話をしながら、木香(もっこう)薔薇のアーチを作り、いつか娘と一緒にゆっくり庭を歩くことができましたら、と思っております」

週刊新潮(9/22日号)によれば、木香薔薇とは内親王時代の眞子さんの「お印(皇族や華族の人々などが、記名の代わりとして、身の回りの品につける印章のこと)」だそうだ。

花言葉は「幼いころの幸せな時間」。眞子さんの子供の頃、母親・紀子さんと仲良く庭を歩いた、あの幸せな日々はもう帰らない。

母親・紀子さんの悲痛な叫びのように聞こえてならない。

秋篠宮家、小室圭・眞子さん夫婦、小室佳代さんが迎える秋は、一抹の寂しさと、何事か起きそうな不穏な空気をはらんでいるように思える。

■女性自身の「佳子さまと歯科医の交際」報道について

最後に、私が8月18日のプレジデントオンラインで紹介した「秋篠宮佳子さんの婚約」報道について触れておきたい。

女性自身(8/23・30日号)は、「七夕前夜お忍び実家訪問目撃撮 佳子さま(27)本命恋人は両親公認エリート歯科医」というスクープを報じた。

私はプレジデントオンライン(08/18 15:00)で、「秋篠宮佳子(27)さんがエリート歯科医と婚約? 事実だとすればビッグニュースだが」と疑問符を付けて、この記事を紹介した。

七夕の前日、佳子さんが東京の北西部にある閑静な住宅地にあるデンタルクリニックを訪れ、2時間半も滞在していたというのである。このクリニックの院長も、彼の息子たちも学習院を出ていて、院長の妻は紀子さんと親しい仲だという。

これだけのスクープだから、続報があると思ったが、女性自身は次号で、なぜかそのことにまったく触れていなかった。この情報を後追いする週刊誌もほとんどなかった。

おかしいなと思っていたら、サンデー毎日(9/11日号)で、元毎日新聞の皇室記者だった森暢平成城大学教授が、「佳子さま『歯科医交際』の『女性自身』は偽情報」だと書いのである。

■女性自身を基に書いた行いも同罪である

森教授は、

「佳子さまと若手歯科医の『交際』の事実は全くない」
「複数の関係者に確認し、佳子さまと若手歯科医Aさんは恋人関係にない、とはっきり断言できる。佳子さまは、Aさんの父親である院長に歯の治療をしてもらっていただけだ」
「そもそも『女性自身』が撮影した写真で、お見送りするのは院長夫妻だけだ」
「これは報道被害である。(中略)少し取材をすれば、佳子さまとAさんが恋人関係にないことや、ご訪問が治療目的だったことはすぐに分かるはずだ」などなど。

その事実をつかめなかったとしたら『女性自身』は取材不足だし、知っていて書いたとしたらフェイクニュース生産機関と批判されても仕方ないと、手厳しく批判したのだ。

ここまで断定的に書いているのだから、森教授は、宮内庁筋か秋篠宮家かは分からないが、確たる証拠をつかんだのであろう。

私も女性自身の記事を基にしてプレジデントオンラインに書いたから、私が批判されているように感じ、身を縮めて読んだ。

もちろん、なぜ見送りの写真に夫妻だけしか映っていないのか、宮内庁は事実でないなら反論すべきであり、沈黙しているのは認めたことにならないかと書いてはいる。だが、内容は、もっぱら女性自身の記事が事実だとしたらというのが前提である。間違った情報を流したとすれば同罪である。

■週刊誌記者の取材力は格段に良くなっているが…

皇室物だけではないが、週刊誌報道をベースにして書くことは、なにがしかのリスクを伴う。

もちろん、週刊誌の記事のほとんどが嘘などというのではない。私が現役の頃より、週刊誌記者たちの取材力は格段に良くなってきているし、編集力も上がってきている。

だが、週刊誌の基本は「噂」である。事件化する前の噂の段階から取材を始め、新聞、テレビにはできないスクープをつかむこともある。噂にもなにがしかの事実が含まれているからだ。

だが、どうしても噂のままで、確たる事実をつかめない時が、当然ながらある。

そこで諦めるか、噂として書くか、事実であるかのような思わせぶりな記事を書くか、編集者は悩むのである。

今回の女性自身の記者も編集者も、佳子さんと歯科医師とのツーショットがあれば、婚約・結婚と書き立てたのだろうが、その写真は撮れなかった。

当日の夜、その歯科医師が院長の家にいたのか、佳子さんと同席していたのかもつかんでいなかったと思われる。

単なる歯の治療かもしれない可能性はある。悩んだ末に、編集者はあの見てきたようなストーリーを作り上げたのであろうか。

写真=iStock.com/YakubovAlim
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/YakubovAlim

■反論できなければ「誤報」と認めたほうがいい

女性自身は、昔から皇室情報には定評があった。専属の皇室担当記者を擁していて、これまでも数々のスクープを放ってきた老舗の週刊誌である。

森教授の記事に女性自身が反論したとは、私は聞いていない。できなければすみやかに「誤報」と認めたほうがいい。週刊誌の記事なんかすぐに忘れると思っているとしたら、それは間違いである。この記事はネット上にコピーされていて、佳子さんの結婚問題が出るたびに引き合いに出される。読者は忘れてはくれない。

私は、週刊誌の記事を紹介しながら、多少の個人的意見を付け加えることで、お鳥目をいただいている。昔は一読して、この記事は怪しいと判断できたが、昨今、記事の真贋を見分けるチェック機能の衰えを感じている。

結果として、プレジデントオンライン編集部にも迷惑をかけてしまった。メディアリテラシーが劣化してきている。女性自身の記事は、つくづくそのことを思い知らせてくれた。

----------
元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。
----------

(ジャーナリスト 元木 昌彦)