顧客離れを懸念し、大幅な値上げに踏み切れず悩んでいる経営者の方は多いのではないでしょうか(写真:まちゃー/PIXTA)

物価の上昇が止まらない。しかし、値上げによる顧客離れを懸念し、なかなか大幅な値上げに踏み切れないのが現状だ。そんな中、「値上げはどんどんするべきだ」と説くのが、マーケティングのカリスマとして知られる小阪裕司氏だ。同氏は「ここで安売りにこだわることは、日本の未来にすら悪影響を与える」という。その理由を『「価格上昇」時代のマーケティング』から一部抜粋してお伝えする。

10年前からあった価格上昇の兆し

2022年春ごろから顕著になった物価高は、生活、そしてビジネスのあらゆる面に影響を及ぼしつつある。2020年以来のコロナ禍、2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻など、世界は明らかに激動の時代を迎えつつある。

一方で、昨今の物価上昇を一過性のものだと考えている人は意外と多い。そういう人は、「この苦境さえ乗り切れば、物価上昇もいずれ落ち着くはずだ」と考えているかもしれない。

確かに半導体不足はコロナ禍によるサプライチェーンの逼迫がその大きな要因だし、エネルギー価格の高騰はロシアのウクライナ侵攻の影響が大きい。コロナ禍が収束し、ウクライナでの戦争が終結すれば、このコスト高の状況も落ち着くだろうということだ。しかし、私はそうは思わない。物価上昇は決して今、始まったことではないからだ。

もう10年ほど前のことになるが、鮮烈に覚えていることがある。講演会で金沢に行ったときのことだ。私はカニが大好きで、北陸に行くたびに本当においしいカニ料理を出すお店に行くことにしていたのだが、その価格がちょっと驚くほど上がっていたのだ。

翌日、地元の企業の経営者との会合でその話をしたところ、理由がわかった。「良いカニは中国の業者が船ごと買ってしまっている」というのだ。だから良い品になればなるほど品不足になり、価格が高騰しているという。

当時、中国の所得レベルが上がり、巨大な富裕層および中流層が生まれてきていたときだった。これらの人々の旺盛な購買欲と購買力に、日本が「買い負け」していた。それがカニの価格上昇の理由だったのだ。

戦後の日本で経済が復興しつつある当時、アメリカのドラマを見た人がその家庭内で当たり前のように使われている洗濯機や冷蔵庫を見て、消費意欲を掻き立てられたという。そして、生活が豊かになるにしたがって、こうした家電が飛ぶように売れるようになった。

まさに同じことが中国で起きていたわけだ。日本のカニの味を知った中国の富裕層や中流層が、「こんなにおいしいものがあるのか!」と消費意欲を掻き立てられ、実際にそれを手に入れるだけの購買力を手に入れたのだ。

「買い負け」ていたのに気がつかなかった

そういう視点を持つと、多くの分野で日本が「買い負け」している状況が見えてきた。不動産がその典型で、私の知人の不動産会社社長によれば、一等地の優良物件になればなるほど、外国資本がすぐに買っていくという。

ただ、こうした「買い負け」による物価上昇に気づきにくかったのは、一方で低価格の商品も流通していたからだ。カニならばロシアなどをはじめとした安価な海外産のものが平均価格を下げていたし、それらの調達にも苦労はしなかった。全体をざっくり見ているとこの「買い負けによる物価高騰」に気づきにくかった。

つまり、「いいものは秘かに取り合いになっていて、それ以外のものは一見、変化がない」という状況が長く続いたわけだ。

しかし、事態は大きく動いた。コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などにより、突然、さまざまなものの流れが滞り、不足し、取り合いになった。特に燃料や小麦粉など、多くの商品・製品に原価として関わるものの値段が一気に上がり始めた。

そこに円安が追い打ちをかけている。ほんの1年前に1ドル110円程度だったものが、2022年7月にはついに1ドル139円にまで上昇した。これは、輸入品の価格が1年で2割上がったということであり、円による購買力が2割下がったということでもある。

このような状況下で、今後「買い負け」は進みこそすれ、収まることはないだろう。しかも、今後は中国だけでなく、インドやインドネシアといった人口の多い国々で富裕層や中流層が一層増加していく。

一番確実に読める未来は人口動態だといわれる。これらの国々の消費人口が増えていくことはもうわかっていることであり、その人たちが富裕層・中流層になれば当然、購買力が高まる。

もちろん、昨今の物価高は原価高騰の影響が大きい。しかし、本質的な問題は購買力の問題なのだ。つまり、コロナ禍が収束し、ウクライナでの戦争が終結しても、物価高は収まらない。そう考えておいたほうがいいだろう。

バブル以来のデフレによる過剰反応

このような状況を受け、「価格を上げなくてはどうしようもない」という機運は徐々に高まっているように思う。しかし、ここに1つの問題がある。日本人は「価格アップを過剰に恐れている」ということだ。

バブル崩壊以来、日本は30年近く、消費者物価の上昇が抑えられていた。それどころか「デフレ時代」と呼ばれるように、むしろ安くなる商品も多かった。吉野家の牛丼が200円台にまで値下げされたことを覚えている人も多いだろう。

また、パソコンなどがその典型だが、技術が進んで汎用化されるとともに、価格も下がってくる。つまりこの30年、物価はむしろ下がっていったというのが、多くの人の実感ではないだろうか。

そんな時代が長く続いたため、メーカーも卸も小売りもサービス業も、「値上げ」というものに慣れていない。だからこそ、「本当に値上げしていいのか」「値上げをしたら顧客が離れていくのではないか」「値上げするとして、いくらにすればいいのか」「それをどのように伝えたらいいのか」と、さまざまな迷いを抱えているのだ。

このような状況において、我々には2つの選択肢がある。1つは「頑張って価格を維持すること」。そして、もう1つは「値上げをして、適正な価格で販売すること」。

最近、巷で「値上げせずに頑張ります」といった貼り紙を見ることがしばしばある。物価の上昇に対してコストカットや効率化でなんとか価格を抑えようとしているのだ。先日観たテレビ番組では、ある大手企業の社長がコストカットによる価格維持のために、社長室のエアコンを切っているという話が紹介されていた。

こうした努力には頭が下がる。しかし……今後、今以上の物価上昇が見込まれている中、果たしてその努力をいつまで続けることができるのだろうか。

私が推奨する選択肢は当然、「値上げをして、適正な価格で販売すること」だ。そうしないと多くの店や企業が立ち行かなくなる、という理由はもちろんある。ただ、それだけではなく、このまま「値上げせずに頑張る」ことを続けると、日本経済の発展が阻まれ、日本の世界における地位はさらにずるずると下がっていってしまうと思うからだ。

いつの間にか「安い国」になってしまっていた日本

コロナ禍直前の2019年、訪日観光客数は過去最大の3000万人を超えていた。都心や観光地には外国人が溢れ、ちょっとしたバブルの様相だった。ではなぜ、外国人が日本に大挙してやってきていたのか。その大きな理由は「日本が安いから」だ。

アメリカ在住の知人の教授が先日、アメリカの「一風堂」に行ったところ、ラーメン1杯にトッピングを付け、ちょっとしたつまみとビールで60ドル、つまり約8000円もしたのだという。アメリカの物価はこの20年で約2倍になったというが、この話を聞く限り、それでは済まないかもしれない。

そんなアメリカ人にとって、ラーメン1杯が1000円もしない日本はパラダイスだ。そもそも昨今の先進国において、ちゃんとしたランチを1000円以下で食べられる国など日本くらいしかないのではないか。

アメリカだけではない。ヨーロッパも中国も、物価がどんどん上がり続けている。アジア各地のリゾート地でも、以前行ったときと比べて驚くほど物価が上がっているのを実感することがある。逆に言えばそれは、相対的に日本が安くなっているということだ。

先日、日本の購買力が50年ぐらい前に戻ってしまっているという衝撃的なデータが発表された。日本人はあらゆる面で海外に対し「買い負け」しているのだ。

その先にある「あまり考えたくない未来」

では、そうして訪れる未来はどうなるのだろうか。紅茶の産地として知られるスリランカだが、上質なセイロンティはほぼすべてが輸出に回され、現地にはほとんど出回らないという。同様に、高級コーヒー豆の生産地でも、現地の人はほとんどそれを飲んだことがないという話をよく聞く。同じようなことが日本で起こりうる。高級品はすべて海外に輸出され、日本国内には品質の低いものしか流通しなくなる。

実際、ホテル業界で近い現象が起きている。コロナ禍でこれだけニーズが減ったのに、ホテル価格は高止まりしており、一方で1泊10万円以上するような高級ホテルが続々とオープンしている。海外からのインバウンドやビジネスニーズを意識したものだ。

私は数年に一度、シンガポールの大学で地政学を学んでいる。そこで以前、教授から聞いた話が強く印象に残っている。

当時、観光立国を標榜し、実際にインバウンド需要が拡大しつつあった日本に対し教授は、それは正しい道だと指摘しつつも、「訪日観光客数の増加をひたすら目指す方針は間違っている」と指摘した。

日本は観光資源に恵まれた国である。歴史も自然も文化も食も、魅力的な観光地に必要な要素がすべてある。東南アジアを中心にリゾートホテルを展開するアマングループが進出先を決定する際に考える検討要素があるそうだが、それをすべて満たしているのは、世界で日本だけなのだそうだ。

だが、京都を訪れると、駅前から神社仏閣まで人で溢れている。一般の観光客はいいが、富裕層はそうした雰囲気を嫌い、離れていってしまう。そこで、京都のような街は超ハイエンドなホテルを中心にすることで観光客を絞り込み、数よりも「どれだけお金を使ってもらうか」を意識したほうがいい。そういう話であった。

一等地には泊まれなくなる?


その話に深く納得するとともに、一抹の懸念がよぎった。そうなると、もはや日本人は気軽に京都にすら行けなくなるのではないか。市内の一等地のホテルは外国人しか宿泊できず、日本人は市外にしか泊まれなくなるのではないか、と……。

大げさに思われるかもしれないが、私はここが日本という国にとってのターニングポイントではないかと考えている。すなわち、この価格上昇局面において、「ひたすら安さにこだわる」のか、「よりいいものを、より適正な価格で売る」ことに意識を転換するのか。

もし、前者にこだわり続けてしまうと、日本はさらに「安く買い叩かれる国」になっていってしまう恐れがある。そのような未来は、誰にとっても考えたくはないだろう。

(小阪 裕司 : オラクルひと・しくみ研究所 代表/博士(情報学))